この記事で分かること
- CAPMで株主資本コストを求める際に、リスクフリーレート・ERP(エクイティリスクプレミアム)・βという3つのインプットをどう選ぶか
- リスクフリーレートの満期をどう選ぶか、財務省「国債金利情報」の実データでの考え方
- ERPのデータソース(Damodaran教授の公開データ)と、ヒストリカル法・インプライド法の違い
- βの推定期間・頻度、業種別ベータ法によるレバード化・アンレバード化、CAPMの限界と代替モデルの位置づけ
結論:CAPMは「式 」より「前 提の置き方」で結果が変わる
CAPM(資本資産評価モデル)の式そのものは、Re = Rf + β × ERPというシンプルな一次式です。しかし実務でこの式を使うと、同じ対象企業でも、リスクフリーレートの満期をどこに取るか、ERPをどのデータソースからいくつ採用するか、βをどの期間・頻度で推定するかによって、算出される株主資本コストは1〜2%ポイント、場合によってはそれ以上動きます。CAPMが「正しいか正しくないか」よりも先に、この3つの前提を根拠を持って置けるかどうかが、バリュエーション実務での再現性を決めます。WACC全体の計算方法ではCAPMをWACCの1パラメータとして扱いますが、本記事ではCAPM単体の3つのインプットの選び方に絞って掘り下げます。
先に結論を示すと、日本企業の株主資本コストを算定する実務では、リスクフリーレートは償還期間の長い日本国債(10年債が代表的な選択)の利回りを財務省の一次情報から取得し、ERPは歴史的平均かDamodaran教授の公開データのいずれかを出典を明記して使い、βは対象企業が上場企業であれば自社の月次データから、非上場や上場歴が浅い場合は業種別ベータ法で類似上場企業群から推定するのが標準的な組み立て方です。以下、それぞれの選び方と、実際の数値でどう計算するかを順に見ていきます。
CAPMの構造と3つのインプット
CAPMは、1960年代にWilliam F. Sharpeらが体系化した資本資産評価モデルで、株式のベータという単一の指標で市場全体に対する感応度を表し、株主資本コストを市場全体のリスクプレミアムに比例させて求める考え方です。理論的な背景には、Harry MarkowitzやSharpeが整理した分散投資とポートフォリオ理論があり、この理論的な位置づけは現代ポートフォリオ理論(MPT)とアセットアロケーション入門で扱っています。
式:CAPM(資本資産評価モデル)
Re = Rf + β × ERP
Re:株主資本コスト(%)/Rf:リスクフリーレート(%)/β:対象企業株式のベータ(無次元)/ERP:エクイティリスクプレミアム(%)=投資家が株式市場全体に期待する超過リターン(期待市場リターン − リスクフリーレート)
この式が示す通り、Reを動かす要因は3つしかありません。Rfが上がればReはそのまま上がり、βが1より大きければ市場より大きくERPの影響を受け、βが1より小さければ市場より小さくERPの影響を受けます。したがって、CAPMの実務は「式を解くこと」ではなく、「Rf・β・ERPという3つの数字を、対象企業と評価時点に対してどう選ぶか」という前提設計そのものです。次章から、この3つを順に検討します。
リスクフリーレートの選び方
リスクフリーレートは、理論上デフォルトリスクがない資産の利回りを指し、実務では自国通貨建ての長期国債利回りを代理変数として使うのが一般的です。日本企業の評価であれば日本国債(JGB)、米ドル建てのキャッシュフローを評価するなら米国債の利回りを用います。ここで実務上の判断が分かれるのが「何年債を使うか」です。
財務省が公表する「国債金利情報」では、1年から40年までの各年限の利回りが日次で公表されています。2026年8月28日時点の主な年限の利回りは、1年債1.483%、2年債1.719%、5年債2.212%、10年債2.930%、20年債3.806%、30年債4.084%でした。年限が長くなるほど利回りが高くなる、順イールド(右肩上がり)の形状になっていることが分かります。
| 年限 | 利回り(2026年8月28日時点) |
|---|---|
| 1年 | 1.483% |
| 2年 | 1.719% |
| 5年 | 2.212% |
| 10年 | 2.930% |
| 20年 | 3.806% |
| 30年 | 4.084% |
実務でリスクフリーレートに10年債を使うことが多いのは、企業価値評価やDCF法のキャッシュフローが数年から永久成長まで及ぶ長期の見積もりであり、評価するキャッシュフローの満期とリスクフリーレートの満期をできる限り揃えるという考え方に基づきます。短期の1年債や2年債は、金融政策の影響を強く受けて振れが大きく、長期のキャッシュフローを割り引く基準としては満期のミスマッチが生じます。一方で、30年債や40年債まで満期を延ばすと、発行量が相対的に少なく需給要因で利回りが歪みやすいという指摘もあり、10年債は「流動性が高く、かつ長期のキャッシュフローとの満期の整合性も取りやすい」バランス点として選ばれることが多い年限です。DCF法の割引率はなぜ争点になるのかでも、割引率の前提が評価額に与える影響の大きさを扱っています。
なお、リスクフリーレートは日々変動するため、評価書では必ず基準日を明記する必要があります。本記事の設例では、2026年8月28日時点の10年国債利回り2.930%を採用します。評価実務では、この基準日をバリュエーションレポートの前提条件に明記し、直近スポットレートを使うか、一定期間の平均を使うかも案件ごとに判断が分かれる論点です。
ERP(エ クイティリスクプレミアム)のデータソース
ERPは、投資家が株式市場全体に対してリスクフリー資産を上回って期待する超過リターンです。この数字は国債利回りのように市場で直接観測できないため、推定方法とデータソースの選び方自体が論点になります。実務で使われる主な方法は、過去の株式市場と国債の実現リターンの差から求める「ヒストリカル法」と、現在の株価指数の水準から将来キャッシュフローの割引計算を逆算して求める「インプライド法」の2つです。
公開データとして実務で広く参照されるのが、NYU Sternのアスワス・ダモダラン(Aswath Damodaran)教授が毎月更新する国別のカントリーリスクプレミアム・ERPデータです。この一次情報を確認したところ、2026年1月5日更新版(2026年2月にトルコの数値が追加更新)で、成熟市場である米国のインプライドERPは4.46%、日本のカントリーリスクプレミアムは0.91%(Moody’s格付A1、格付に基づく調整済みデフォルトスプレッド0.60%を株式市場のボラティリティで調整した値)、日本の合計ERPは5.14%として公開されています。合計ERPは成熟市場ERPとカントリーリスクプレミアムの単純な足し算ではなく、株式市場と債券市場のボラティリティ比率で調整した値である点に注意が必要です。
日本国内では、公益社団法人日本証券アナリスト協会が証券アナリスト資格制度のカリキュラムで企業価値評価・割引率の考え方を扱っており、CAPMやリスクプレミアムの基礎理論を体系的に確認する際の参照先になります。ただし同協会は特定の推奨ERP数値を毎月更新する形では公表していないため、実務で使う具体的なERPの数値そのものは、Damodaran教授の公開データや、過去数十年の株式市場・国債の実現リターンから自ら計算するヒストリカル法など、数値の出所を明示できるソースを使う必要があります。どのデータソースを使ったにせよ、評価書には「いつ時点の、どのソースのERPを採用したか」を明記することが実務上の最低限のルールです。
βの推定:期間・頻度・業種別ベータ法
β(ベータ)は、市場全体の値動きに対して個別株式の値動きがどれだけ感応するかを示す指標です。上場企業であれば、自社の株価と市場指数(TOPIXなど)のリターンを回帰分析して推定できますが、この推定にも「どの期間」「どの頻度」のデータを使うかという選択が入ります。実務でよく使われるのは、週次または月次のリターンを2〜5年分用いる方法です。日次データは観測数が多く統計的な精度は上がりますが、短期のノイズや流動性の低さの影響を受けやすく、逆に5年を超える長期のデータを使うと、事業構成や資本構成が過去と変わってしまった企業では現在の実態を反映しにくくなります。βの回帰推定やその統計的な扱いは、クオンツ運用・クオンツリサーチで扱う統計手法とも関係します。
回帰で得られる生のβ(ローベータ)は、長期的には市場平均の1に収束する傾向があることが実証研究で知られており、これを踏まえて過去のβと1を加重平均する調整を加えたものが調整済みベータです。Bloombergなど主要な情報ベンダーが表示するβの多くは、この調整を織り込んだ値であるため、複数のソースからβを取得する場合は、どちらの値か(生のβか調整済みβか)を確認する必要があります。
対象企業が非上場企業、あるいは上場していても株式の流動性が低く回帰の精度が確保できない場合には、業種別ベータ法を使います。これは、事業内容が近い複数の上場企業のβを集め、各社の資本構成の影響を取り除いた「アンレバードβ」の平均を求め、そのうえで対象企業自身の資本構成に合わせて「レバードβ」に組み直す方法です。
式:レバードベータへの組み直し(Hamada式)
βL = βU × [1 + (1 − Tc) × D/E]
βL:レバードベータ(対象企業の資本構成を反映したβ)/βU:アンレバードベータ(無借金と仮定した場合の事業リスクのみを反映したβ)/Tc:実効税率(%)/D/E:有利子負債の株主価値(時価)に対する比率
この式は、負債を使うほど株主が負う財務リスクが増える分、βLがβUより大きくなることを表しています。逆に、対象企業のβLから資本構成の影響を取り除いてβUを求める場合は、この式をβU = βL ÷ [1 + (1 − Tc) × D/E]という形に変形して使います。次章では、この式を使った具体的な計算例を確認します。
計算例:非上場企業の株主資本コストを求める
以下は説明用の仮設例です。実在の企業のデータではなく、計算の流れを示すための前提を置いています。国内で事業を展開する非上場のソフトウェア企業を評価するケースを考えます。この企業は非上場のため自社株のβを回帰推定できないので、業種別ベータ法を使います。
類似する上場ソフトウェア企業群のアンレバードβの平均を0.85(仮設)とし、対象企業の実効税率を30%、有利子負債の株主価値(時価)に対する比率(D/E)を30%と仮定します。リスクフリーレートは前章で確認した2026年8月28日時点の10年国債利回り2.930%、ERPはDamodaran教授の公開データによる日本の合計ERP5.14%を採用します。まずβを対象企業の資本構成に合わせてレバード化します。
①レバードβの算定
βL = 0.85 × [1 + (1 − 0.30) × 0.30] = 0.85 × 1.21 = 1.03(小数第3位を四捨五入)
次に、このレバードβとリスクフリーレート、ERPをCAPMの式に代入します。
②株主資本コストの算定
Re = 2.93% + 1.03 × 5.14% = 2.93% + 5.29% ≈ 8.22%
この対象企業の株主資本コストは、約8.22%と試算されます。実務では、この数値は資本構成の前提(D/Eレシオ)を変えると連動して動くため、レビューの際にはD/Eレシオを複数のシナリオで振って感応度を確認するのが一般的です。同じβU・実効税率・Rf・ERPの前提のまま、D/Eレシオだけを0%、30%(上記の基本ケース)、60%、100%と変化させたときのレバードβと株主資本コストは、次の表とグラフの通りです。
| D/Eレシオ | レバードβ | 株主資本コスト(Re) |
|---|---|---|
| 0%(無借金) | 0.85 | 7.30% |
| 30%(基本ケース) | 1.03 | 8.22% |
| 60% | 1.21 | 9.13% |
| 100% | 1.45 | 10.36% |
この感応度から分かる通り、対象企業の資本構成を無借金からD/E100%まで動かすだけで、株主資本コストは7.30%から10.36%まで、3%ポイント以上動きます。買収後にレバレッジを積み増す前提のLBO案件や、資本構成の前提が固まっていない事業計画のバリュエーションでは、この感応度を示さずに単一の数値だけを結論として出すと、レビューで前提の根拠を問われやすくなります。
CAPMの限界と、実務での向き合い方
CAPMは、単一のβという指標だけで株式のリスクを説明しようとするモデルであり、この単純さゆえに複数の実証研究から限界が指摘されてきました。代表的な指摘は、小型株や特定のバリュー株が、CAPMのβだけでは説明できない超過リターンを持つ傾向があるというもので、こうした指摘を踏まえてEugene FamaとKenneth Frenchらが提唱したFama-Frenchモデルのような、βに加えて企業規模や簿価時価比率といった追加のファクターを組み込む多因子モデルも学術・実務の両方で使われています。CAPMを最初に体系化したWilliam Sharpeの理論的な貢献自体は現在も評価されていますが、「単一のβで市場リスクを完全に説明できる」という前提は絶対的なものではなく、あくまで実務上扱いやすい近似モデルとして使われている、という位置づけを理解しておく必要があります。
もう一つの実務上の限界は、非上場企業や、上場していても株主が少数に集中しているオーナー企業の評価です。CAPMのβは、投資家が分散されたポートフォリオを持つことを前提に、市場全体との相関だけを問題にする指標です。しかし、非上場企業のオーナーの多くは、その会社への出資が資産の大部分を占めており、分散投資ができていません。こうしたケースでは、市場との相関だけでなく企業固有のリスクも織り込んだトータルベータという指標を、通常のCAPMのβの代わりに使う考え方もあります。どちらの指標を使うかは評価の目的(少数株主としての評価か、集中保有するオーナーとしての評価か)によって変わるため、機械的にCAPMのβを当てはめる前に、この前提が対象企業の株主構成に合っているかを確認することが実務上重要です。バリュエーション全体で起きやすい前提のズレは、バリュエーションの落とし穴20でも扱っています。
よくある質問(FAQ)
リスクフリーレートは常に10年国債を使うべきですか。
実務で最も多く使われるのは10年債ですが、絶対的なルールではありません。評価するキャッシュフローの期間が短い案件では、より短い年限を使う判断もあり得ます。重要なのは、評価するキャッシュフローの期間とリスクフリーレートの満期をできる限り整合させ、選んだ年限と基準日を評価書に明記することです。
ERPはヒストリカル法とインプライド法のどちらを使うべきですか。
どちらも実務で使われており、絶対的な正解はありません。ヒストリカル法は長期の実現データに基づく安定性がある一方、過去の平均が将来も続くとは限らないという批判があります。インプライド法は現在の市場水準を反映しますが、株価指数の将来キャッシュフロー予想という別の前提に依存します。評価書では、どちらの方法で、いつ時点のERPを使ったかを必ず明記してください。
上場企業でもβを業種別ベータ法で推定することはありますか。
あります。上場していても株式の流動性が低く、自社の株価データだけでは統計的に信頼できるβが得られない場合や、直近で事業構成が大きく変わった場合には、類似する上場企業群のβを使う業種別ベータ法のほうが実態に近い推定になることがあります。
CAPMで求めた株主資本コストは、そのまま投資判断の基準に使ってよいですか。
CAPMは株主資本コストを推定するための一つのモデルであり、前提の置き方次第で結果が変わります。本記事の内容は評価手法の一般的な解説であり、個別の投資判断や特定銘柄の売買を推奨するものではありません。実際の評価では、複数の前提での感応度を確認したうえで、他の評価アプローチとも突き合わせる必要があります。
FAS(財務アドバイザリー)やIBの選考では、CAPMのどこが聞かれますか。
式そのものよりも、リスクフリーレートの満期選択の理由、ERPのデータソースの根拠、βのレバード・アンレバードの使い分けといった
まとめ
CAPMはRe = Rf + β × ERPというシンプルな式ですが、実務での再現性は、リスクフリーレートの満期選択・ERPのデータソース・βの推定期間と頻度という3つの前提をどう置くかで決まります。リスクフリーレートは財務省の一次情報から基準日を明記して取得し、ERPはDamodaran教授の公開データなど出所を明示できるソースを使い、βは自社データが使えない場合は業種別ベータ法でレバード・アンレバードを組み替えて求めるのが標準的な流れです。設例で確認した通り、資本構成の前提だけで株主資本コストは数%ポイント動くため、単一の数値だけでなく感応度を示すことが、レビューに耐えるバリュエーションの基本です。CAPM自体にも限界があり、非上場企業や集中保有のオーナー企業にはトータルベータのような代替的な考え方も存在することを踏まえたうえで、前提を明示的に置く姿勢が実務では最も重要になります。
出典・参考(2026年8月確認)
- 財務省
「国 債金利情報」 mof.go.jp(2026年8月28日時点の年限別利回りデータを本文で使用) - Prof. Aswath Damodaran(NYU Stern)「Country Default Spreads and Risk Premiums」 pages.stern.nyu.edu(2026年1月更新版のデータを本文で使用)
- 公益社団法人日本証券アナリスト協会(証券アナリスト資格制度における企業価値評価・割引率関連カリキュラム、名称のみ参照)
- Sharpe, W.F. (1964) “Capital Asset Prices: A Theory of Market Equilibrium under Conditions of Risk”(CAPMの理論的な出所として名称のみ参照)
- Fama, E.F. and French, K.R.(多因子モデルに関する研究、名称のみ参照)
※本記事は教育目的の一般的な解説であり、法務・税務・投資助言ではありません。設例は理解のための仮設例です。