この記事で分かること

  • 実在企業1社(ニトリホールディングス/証券コード9843)の有価証券報告書だけを使い、Reverse DCFを最初から最後まで再現する手順
  • 発行済株式数・基準株価・ネットデットFCFの起点・税率をそれぞれ有報のどこで拾うか(本記事の最大の価値)
  • ゴールシークで解いた「市場が織り込む成長率」を、会社予想・過去実績と突き合わせて読む方法
  • WACC・予測期間・ターミナルバリューの手法を変えると、示唆される成長率がどれだけ動くか(幅で語る)

結論:この記事でやることと、やらないこと

Reverse DCFの発想そのもの――現在の株価を所与として、それを正当化する成長率を逆算する――は、すでにReverse DCF入門|株価に織り込まれた期待を逆算するで扱いました。あの記事の設例は「実在の企業・案件とは関係ありません」と明記した完全な仮設例です。本記事はその続きとして、実在企業1社の有価証券報告書だけを一次情報として使い、逆算を最初から最後まで実際に再現します。逆算式の導出や「何に使う道具か」という理論は前掲記事に譲り、本記事は「どの書類のどこを見て、どの数値を拾うか」という実務の手順に集中します。

先に結論を述べます。今回対象としたニトリホールディングス(9843)について、2026年3月期末を基準日に集計した数値で逆算すると、割引率・予測期間・ターミナルバリューの前提をどう置くかによって、市場が織り込んでいると読める成長率はおよそ4%台から15%程度まで大きく動きました。逆算の結果は「1つの正解」ではなく、前提を1つ動かすごとに答えがどれだけ動くかという幅そのものが情報です。以下、実際に使った数値と出典をすべて示しながら、その幅がどこから生まれるかを再現します。なお本記事のいかなる記述も、個別銘柄の割高・割安の判断や投資の推奨を意図するものではありません。

対象企業の選定理由と基準日

Reverse DCFを実企業で再現する際、事業セグメントが複雑だったり、非支配株主持分や持分法投資の比重が大きい企業を選ぶと、逆算の前提整理そのものが本題を圧迫します。今回は、単体の開示が厚く、有利子負債の内訳が注記で明快に開示されている点を優先し、ニトリホールディングス(東証プライム、証券コード9843、EDINETコードE03144)を選びました。同社は持分法適用会社を1社(株式会社カチタス)持ち、政策保有株式も保有しているため「完全に単純」とは言えませんが、後述のとおりその規模は開示から正確に把握でき、無視せず調整に組み込める水準です。

基準日は2026年3月31日(第54期末、事業年度は自2025年4月1日至2026年3月31日)に統一します。使用する財務数値はすべてこの期末時点の連結ベース、株価も同じ第54期中の実績です。有価証券報告書の提出日は2026年6月24日で、直近の確定申告・開示ベースの数値として現時点(2026年9月)で入手できる最新の年次開示です。

データの拾い方:有報のどこを見るか

ここが本記事の中心です。同じ有価証券報告書でも、拾う場所を間違えると桁やベースがずれます。第54期有価証券報告書(EDINETに開示された原本と同一内容が発行会社のIRサイトにも掲載されています)から、以下の順に数値を拾いました。

① 発行済株式数・自己株式数

「第4 提出会社の状況 1 株式等の状況」の大株主の状況(2026年3月31日現在)および「2 自己株式の取得等の状況」から、次の数値を確認しました。

項目株式数出典箇所
発行済株式総数572,217,480株株式等の状況(大株主の状況)
自己株式数(期末保有)△5,223,437株自己株式の取得等の状況
発行済株式数(自己株式控除後)566,994,043株上記の差引

なお同社は2025年10月1日付で普通株式1株につき5株の株式分割を実施しており、有報の数値はすべて分割後ベースで統一されています。分割前後で数値が混在すると株価と株式数の対応がずれるため、この点は必ず確認してください。

② 基準株価

ここで一つ実務上の注意点があります。従来「株価の推移」として有価証券報告書に記載されてきた「最近6か月間の月別最高・最低株価」の表は、今回確認した第54期の有価証券報告書、および同社が2025年11月に提出した第54期の半期報告書のいずれにも記載がありませんでした。開示様式の簡素化に伴うものと考えられ、直近の年次・半期の開示では月次の株価表を省略する発行会社が実際に存在します。読者が自分で別の企業を調べる際も、この表が「必ずある」とは限らない点は覚えておいてください。

そこで本記事では、有報に必須記載事項として残っている「第5期間の事業年度別最高・最低株価」のうち、直近の第54期(自2025年4月1日至2026年3月31日)の年間高値・安値を用い、その中間値を基準株価とします。月次データの代わりに年間の高値・安値を使うため、月次表を使う場合より基準日のピンポイント性は落ちますが、実際に開示されている数値だけを使うという原則を優先しました。


基準株価=(第54期年間高値+第54期年間安値)÷2

項目数値
第54期 年間高値(株式分割後ベース)3,598円
第54期 年間安値(株式分割後ベース)2,415円
基準株価(中間値)3,006.5円

時価総額=基準株価×自己株式控除後の発行済株式数=3,006.5円×566,994,043株≒1,704,668百万円(約1兆7,047億円)です。

③ ネットデットと非事業資産

連結財政状態計算書(IFRS基準のため貸借対照表ではなく財政状態計算書と表記されます)の注記19「借入金」から、期末時点の有利子負債の内訳を確認しました。

項目2026年3月31日
短期借入金140,000百万円
1年内長期借入金10,000百万円
長期借入金(非流動)10,000百万円
借入金合計160,000百万円
現金及び現金同等物145,010百万円
ネットデット(借入金-現金同等物)14,990百万円

この会社は現金及び現金同等物だけで借入金の9割超を賄える水準にあり、ネットデットは時価総額の1%にも満たない金額です。これは後段「日本企業特有の論点」で扱う「多額の現金保有」の典型例でもあります。なお、同社はIFRS第16号に基づくリース負債を期末で流動・非流動合計211,078百万円および32,923百万円の合計約244,001百万円計上していますが、本記事のネットデットにはあえて含めていません。理由は次節のFCFの定義と密接に関わるため、そちらで説明します。

あわせて、EVから時価総額とネットデットだけで機械的に積み上げると見落としがちな非事業資産も確認しておきます。同社は持分法適用会社として株式会社カチタスへの投資を27,263百万円計上しているほか、「株式の保有状況」の開示に基づく政策保有株式(純投資目的以外の投資株式、提出会社ベース)が非上場株式360百万円・上場株式27,078百万円の合計27,438百万円あります。これらは本業のFCFを生む資産ではないため、企業価値(EV)から控除して「事業価値」を求めるのが本来の姿です。

④ FCFの起点

連結キャッシュ・フロー計算書から、本記事ではFCF=営業活動によるキャッシュ・フロー-有形固定資産及び投資不動産の取得による支出と定義します。これは厳密なアンレバードFCF(EBIT×(1-実効税率)+減価償却費-設備投資-運転資本増減)とは異なる簡便な近似値で、支払利息・受取利息・法人税の支払額がすでに営業CFの中に含まれている点に注意してください。有形固定資産の取得と投資不動産の取得が開示上1行に合算されているため、両者を厳密に分離することもしていません。

事業年度営業CF設備投資等の取得支出FCF
第52期(FY2024/3)181,164124,05657,108
第53期(FY2025/3)144,384121,43222,952
第54期(FY2026/3)148,91141,412107,499
3期平均62,520

(単位:百万円)設備投資の規模が年によって3倍近く振れており、直近1年だけを起点にすると、たまたま投資が細かった年を出発点にしてしまうリスクがあります。本記事では3期平均の62,520百万円を起点FCF(1年目の予測に成長率を掛ける前の基準値)として採用します。この選び方自体が結果に影響するため、直近1年の実績(107,499百万円)を使った場合との違いは後段の限界の節で触れます。

⑤ 税率

連結財務諸表注記「法人所得税費用」および「法定実効税率と平均実際負担税率との調整」から、法定実効税率は30.6%、実際の負担率(法人所得税費用38,083百万円÷税引前当期利益127,357百万円)は29.9%でした。WACCの税引後負債コスト計算にはこの29.9%を使います。

WACCの設定:確定値と推定値を分ける

WACCの構成式そのものはWACCの計算方法|CAPM・資本構成・βの取り扱いを設例で理解するで扱った通りです。本記事ではその式に、ここまでで確定した数値と、ここから先の推定値を分けて当てはめます。まず確定できる部分です。負債コスト(税引前)は、注記19「借入金」に開示されている期末残高に対する加重平均利率から算出できます。


加重平均利率=(140,000×1.066%+10,000×0.351%+10,000×0.351%)÷160,000=約0.98%

税引後の負債コストは0.98%×(1-29.9%)≒0.69%です。資本構成の時価ウエイトは、株主資本(E)=時価総額1,704,668百万円、負債(D)=借入金160,000百万円として、E:D=91.4%:8.6%になります。

ここから先は推定値です。リスクフリーレートは財務省「国債金利情報」が公表する2026年8月31日時点の10年国債利回り2.943%を採用しました。株式リスクプレミアム(ERP)とベータは、いずれも本記事が採用した前提であり、確定した一次情報ではありません。ERPは日本株式市場で実務上よく参照される目安として6.0%を、ベータは生活雑貨・ホームファニシング小売という業態のディフェンシブ性(景気変動に対して売上が相対的に安定しやすい)を踏まえ0.8を仮に置いています。実務では類似上場企業のベータをアンレバー・リレバーして使う手順が本来の姿で、その手順自体はWACCの計算方法で扱っています。本記事ではその手順を省略して仮の値を置いていることを明記し、次節でこの前提を動かした場合の感応度を必ず示します。

パラメータ採用値性質
リスクフリーレート(10年国債)2.943%確定値(財務省公表・2026年8月31日)
株式リスクプレミアム(ERP)6.0%本記事の前提(推定)
ベータ0.8本記事の前提(推定)
株主資本コスト(Ke=rf+β×ERP)7.74%上記からの計算値
負債コスト(税引前/税引後)0.98% / 0.69%確定値(有報注記・実効税率から算出)
資本構成(E:D、時価)91.4%:8.6%確定値(時価総額・借入金から算出)
WACC7.1%上記の加重平均

負債の比率が8.6%しかないため、WACCはほぼ株主資本コストで決まっています。仮に負債コストの見積もりが多少ずれても、WACC全体への影響は小さいという構造です。

逆算の実行:ゴールシークの手順と手計算での検算

ここからが本題の逆算です。モデルの型は、起点FCFが1年目から予測期間N年目まで一定の成長率gで伸び、N年目の翌年からは別途定めた終端成長率で永久に成長するという2段階モデルです。ターミナルバリューの計算で扱った永久成長法をそのまま使い、終端成長率は日本の長期的な名目成長率の目安として1.5%を前提に置きます(この前提も推定値であり、次節で動かします)。

解くべき式
EV = Σ[t=1→N] FCF₀×(1+g)ᵗ÷(1+WACC)ᵗ + {FCF₀×(1+g)ᴺ×(1+g_TV)÷(WACC-g_TV)}÷(1+WACC)
この式の中でEV・FCF₀・WACC・N・g_TVはすべて既知の値として固定し、gだけを未知数として解きます。

手作業でこの5次以上の式をgについて解析的に解くことはできないため、実務ではExcelのゴールシーク(データ→What-If分析→ゴールシーク)を使います。この操作自体の手順はWhat-If分析の3兄弟|データテーブル・ゴールシークの使い分けに譲りますが、要点だけ述べると、上式の右辺(計算されたEV)を1つのセルに数式で組み、そのセルの値を左辺の実際のEV(本記事では事業価値ベースで1,664,957百万円)に一致させるため、gの入っているセルを変化させる、という設定でゴールシークを実行します。

基本ケース(WACC7.1%、予測期間N=5年、終端成長率1.5%、EVは事業価値ベース)でゴールシークを実行すると、g≒10.45%という解が出ます。この解を実際に式へ代入し、年ごとに手計算で検算した結果が次の表です。

FCF(百万円)割引係数PV(百万円)
1年目69,0530.933764,475
2年目76,2680.871866,491
3年目84,2370.814068,570
4年目93,0390.760070,714
5年目102,7610.709772,926
予測期間PV合計343,177
ターミナルバリュー(5年目末時点)1,862,541
TVのPV1,321,778
EV(再構成、検算結果)1,664,955

目標値の1,664,957百万円に対し再構成後の値は1,664,955百万円で、差は端数処理による2百万円のみです。これでg≒10.45%という解が式全体と整合していることを手計算でも確認できました。なお、割引はすべて期末時点にキャッシュフローが発生する前提(年末着地)で行っています。期中に平準的にキャッシュが発生する前提を取る場合は割引係数が変わり、その考え方は期央主義(ミッドイヤー・コンベンション)とスタブ期間で扱っています。

EV(事業価値)1,664,957百万円の内訳 予測期間5年分のPV合計 ターミナルバリューのPV 343,177(20.6%) 1,321,778百万円(79.4%) EVの約8割はターミナルバリューが占めており、5年間の予測そのものよりも、5年目以降を永久に 1.5%で成長すると見なす前提の置き方が結果を大きく左右しています。TVの検証方法は val-004-terminal-value(本文リンク参照)に譲ります。
図:基本ケース(WACC7.1%・N=5年・終端成長率1.5%)におけるEVの内訳。数値は本文の検算結果と一致(設例ではなく本記事の計算結果)。

結果の読み方:会社予想・過去実績と並べる

逆算で得たg≒10.45%という数値は、それ単体では意味を持ちません。Reverse DCF入門で述べた通り、この数値は「他の情報と突き合わせて初めて意味を持つ」比較の基準点です。同社自身が有価証券報告書で開示している次期(第55期、2027年3月期)の業績見通しと、直近の実績推移を並べます。

比較対象成長率出所
逆算で示唆される予測期間中の成長率(基本ケース)約10.4%本記事の逆算結果
会社予想(第55期、売上収益)+4.9%有報「経営方針・経営戦略等」次期の連結業績見通し
会社予想(第55期、親会社所有者帰属当期利益)+1.9%同上
過去実績(連結売上収益、FY2024/3→FY2026/3の年平均)約0.9%有報「経営指標等」(896,667→912,248百万円)

この並びから読み取れるのは、単純なFCFの1年分の水準に対して逆算した成長率が、会社自身の次期見通し(売上で5%弱、利益で2%弱)や直近2年の実績(1%弱)よりもかなり高いという事実です。これは「株価が割高だ」という結論には直結しません。理由は複数あり得ます。市場が翌期だけでなくその先の複数年での回復を織り込んでいる可能性、起点にした3期平均FCFが直近のFCF創出力を過小評価している可能性(後述)、終端成長率の前提が保守的すぎる可能性、あるいは実際に市場の期待が会社計画より強気である可能性です。逆算の価値は「答えを出す」ことではなく、この種の乖離を発見し、どの前提を疑うべきかの当たりをつけられる点にあります。同じ「乖離を読む」という発想はDCFとマルチプルで評価額がズレる理由でも扱っているので、あわせて参照してください。なお、家具・ホームファニシング業界全体の市場成長率については、月次の商業動態統計以外に信頼できる年次の一次統計を本記事の作成時点で確認できなかったため、比較対象からは除外しています。

感応度:前提を動かすとどれだけ変わるか

「1つの数字ではなく、幅で語る」ことが本記事の主眼です。基本ケースの前提を1つずつ動かし、示唆される成長率gがどう動くかを確認します。

WACC×予測期間

WACC予測期間5年予測期間10年
6.1%(WACC-1pt)5.73%3.81%
7.1%(基本ケース)10.45%6.40%
8.1%(WACC+1pt)14.66%8.73%

WACCを±1ポイント動かすだけで、示唆される成長率は5%近く動きます。また同じWACCでも、予測期間を5年から10年に延ばすと、より長い期間にわたって成長を分散できるため、必要な年間成長率はほぼ半分近くまで下がります。これは「予測期間を何年に取るか」という一見テクニカルな選択が、結論に直結することを意味します。

ターミナルバリューの手法の違い

ここまでは終端成長率1.5%の永久成長法(Gordon Growth)でTVを計算してきました。TVをEV/EBITDA倍率法に切り替えるとどうなるかも確認します。基準日時点のEV/EBITDA倍率(事業価値1,664,957百万円÷EBITDA195,035百万円〈営業利益125,526百万円+減価償却費及び償却費69,509百万円〉=8.54倍)を5年後もそのまま据え置くという前提でTVを計算し直すと、示唆される成長率は次のように変わります。

TVの手法示唆される成長率
永久成長法(終端成長率1.5%)10.45%
EV/EBITDA倍率法(現在の8.54倍を据え置き)3.22%

同じEV・同じWACC・同じ予測期間でも、TVの求め方を変えるだけで示唆される成長率は10.45%から3.22%まで下がります。これは倍率法が「今の高い評価倍率がそのまま5年後も市場に是認され続ける」という強気な前提を暗黙に含んでいるためです。永久成長法で終端成長率を保守的(1.5%)に絞ると、その分を予測期間中の成長率で埋め合わせる必要が生じ、結果として高いgが出ます。TVの2つの手法をクロスチェックする重要性はターミナルバリューの計算|永久成長法とExitマルチプル法のクロスチェックで扱った通りで、逆算においても同じ注意が当てはまることが確認できます。

終端成長率の前提そのものを動かす

終端成長率の前提示唆される成長率
1.0%12.18%
1.5%(基本ケース)10.45%
2.0%8.58%
WACC×予測期間による示唆される成長率の変化 0% 4% 8% 12% 16% WACC 6.1% WACC 7.1%(基準) WACC 8.1% 5.7% 3.8% 10.5% 6.4% 14.7% 8.7% 予測期間5年 予測期間10年
図:終端成長率1.5%固定のもとで、WACCと予測期間を変えたときに示唆される成長率(本記事の計算結果)

非事業資産を調整するかどうか

最後に、非事業資産(持分法投資27,263百万円+政策保有株式27,438百万円=54,701百万円)を控除せず、時価総額とネットデットだけでEVを組んだ場合との差も確認します。基本ケース(WACC7.1%、N=5年、終端成長率1.5%)で比較すると、事業価値ベース(1,664,957百万円)ではg=10.45%、未調整のEV(1,719,658百万円)ではg=11.23%でした。差は0.8ポイント程度で、今回のケースでは非事業資産の規模がEVの3%程度にとどまるため影響は限定的ですが、持分法投資や政策保有株式の比重がもっと大きい企業では、この調整を省略すると結論が無視できないほど変わり得ます。

この分析でやってはいけないこと

ここまでの数値を踏まえたうえで、逆算の結果を扱う際に避けるべき姿勢を整理します。第一に、少数の前提から出た1つの成長率だけを根拠に、株価の割高・割安を断定することです。前節で見た通り、WACC・予測期間・TVの手法・終端成長率という4つの前提のどれか1つを動かすだけで、結論は数ポイント単位で動きます。第二に、非事業資産や持分法投資を無視してEVを組むことです。今回のケースでは影響が0.8ポイント程度にとどまりましたが、これは「無視してよい」ことの証明ではなく、「今回はたまたま小さかった」というだけの結果です。企業によっては持分法投資や政策保有株式がEVの1割以上を占めることもあり、その場合は無視すると結論そのものが歪みます。第三に、政策保有株式の存在自体を見落とすことです。今回のニトリホールディングスのように「保有目的が純投資目的である投資株式を保有していない」と明記していても、純投資目的以外の目的で保有する株式(いわゆる政策保有株式)は別途存在し、これも非事業資産としての性質を持ちます。政策保有株式のEVブリッジ調整という論点として、EVを組む際は必ず確認する項目です。

日本企業特有の論点

今回のケースを通じて、日本企業の開示・財務構造に特有の論点がいくつか具体的な形で確認できました。第一に政策保有株式です。上場企業同士が取引関係の維持を目的に互いの株式を持ち合う慣行は、欧米の同業他社には少なく、EVを組む際に見落とすと事業価値を過大評価する方向に働きます。第二に多額の現金保有です。今回のケースでは現金及び現金同等物(145,010百万円)が借入金(160,000百万円)の9割を超え、ネットデットは時価総額の1%未満というほぼ実質無借金に近い財務体質でした。手元流動性の厚さは日本企業に広く見られる傾向で、WACCの資本構成ウエイトにも直接反映されます。第三に持分法適用会社の扱いです。連結損益計算書に「持分法による投資損益」という形で利益は反映されますが、投資額そのものはFCFを生まない資産としてEVから独立して扱う必要があります。なお、親会社上場・子会社上場(いわゆる親子上場)の論点は、今回対象とした企業では該当しませんでした(同社の主要子会社は完全子会社化されています)が、対象企業を変えて同じ手順をなぞる場合は必ず確認してください。

よくある質問(FAQ)

Q. なぜ「最近6か月の月別最高・最低株価」ではなく年間の高値・安値を使ったのですか。
A. 実際に確認した第54期の有価証券報告書・半期報告書のいずれにも、月次の株価推移表が記載されていなかったためです。開示様式の簡素化に伴い、この表を省略する発行会社が実務上存在します。有報に必須記載として残っている年間の高値・安値を使い、その方法を明記することで、実在する開示だけを使うという原則を優先しました。

Q. リース負債をネットデットに含めなかったのはなぜですか。
A. IFRS第16号の導入で使用権資産とリース負債が財政状態計算書に計上されるようになりましたが、本記事のFCFは営業CFからそのまま算出しており、リース料に関するキャッシュフローの一部(元本返済相当分)が財務活動によるキャッシュ・フローに区分されています。FCFの定義とネットデットの定義を整合させずにリース負債だけを追加すると二重計上・二重控除のリスクがあるため、本記事では借入金ベースの伝統的な有利子負債に統一しました。リース負債を含めた場合の扱いは、対象企業やFCFの定義次第で変わるため、実務では両方の見方を併記するのが安全です。

Q. この記事は、ニトリホールディングスの株式が割高か割安かを示していますか。
A. 示していません。逆算で得られた成長率は、複数ある前提の置き方次第で数ポイント単位で変わる推定値であり、投資判断の材料として断定的に使えるものではありません。本記事は実在企業の開示資料を使って逆算の手順を再現することが目的で、特定銘柄の投資判断を示すものではない点をあらためて明記します。

Q. 起点のFCFを3期平均ではなく直近1年の実績にすると、結論はどう変わりますか。
A. 直近第54期のFCF実績(107,499百万円)は3期平均(62,520百万円)よりかなり大きいため、同じEVを正当化するのに必要な成長率は基本ケースより下がります。出発点のFCFをどう置くかという選択自体が、WACCや予測期間と同じくらい結論に影響する前提であることが分かります。本記事では設備投資の振れ幅を踏まえて3期平均を採用しましたが、この選択も含めて前提であることを明記しておく必要があります。

まとめ

実在企業の有価証券報告書だけを使ってReverse DCFを再現すると、確定できる数値(発行済株式数、ネットデット、FCFの実績、税率、負債コスト)と、推定するしかない数値(リスクフリーレート以外のWACC構成要素、終端成長率、予測期間)がはっきり分かれます。今回のケースでは、示唆される成長率はWACC・予測期間・TVの手法という3つの前提の組み合わせだけで4%台から15%程度まで動きました。この幅の広さこそが、逆算という手法の性質そのものです。会社自身の次期見通し(売上+4.9%)や直近の実績(年平均約0.9%)と比べると、基本ケースの逆算結果(約10.4%)はかなり強気な水準に見えますが、これは結論ではなく、どの前提を疑うべきかという次の問いの出発点です。

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出典・参考(2026年9月確認)

  • 株式会社ニトリホールディングス「有価証券報告書-第54期(自2025年4月1日至2026年3月31日)」提出日2026年6月24日、EDINETコードE03144。https://www.nitorihd.co.jp/ir/items/2026_NITORI_houkoku.pdf
  • 株式会社ニトリホールディングス「有価証券報告書-第53期(自2024年4月1日至2025年3月31日)」提出日2025年6月25日(第52期・第53期のキャッシュ・フロー実績の確認に使用)。https://www.nitorihd.co.jp/ir/items/2025_NITORI_houkoku.pdf
  • 株式会社ニトリホールディングス「半期報告書-第54期(自2025年4月1日至2025年9月30日)」提出日2025年11月13日(株価推移欄の記載有無の確認に使用)。https://www.nitorihd.co.jp/ir/items/202603_2Q_hannpou_Edinet.pdf
  • 財務省「国債金利情報」(2026年8月31日時点、10年国債利回り2.943%)。https://www.mof.go.jp/jgbs/reference/interest_rate/data/jgbcm_all.csv
  • EDINET(金融庁 電子開示システム)。https://disclosure2.edinet-fsa.go.jp/

※本記事は教育目的の一般的な解説であり、法務・税務・投資助言ではありません。本記事で示した株式リスクプレミアム・ベータ・終端成長率などのWACC・DCF関連パラメータは本記事が採用した推定値・前提であり、確定した事実ではありません。逆算により得られた成長率は特定銘柄の投資判断や株価の割高・割安を示すものではなく、実在企業・実在の数値を用いた分析手順の教育目的の再現である点にご留意ください。