この記事で分かること
結論:AIが速くするのは「前提を並べる作業」であり、「前提の辻褄を合わせる作業」ではありません
シナリオ分析で時間を食うのは表の作成ではなく、「業績を左右する要因を抜けなく並べる」ことと、「並べた要因どうしが矛盾しない組み合わせに整える」ことです。生成AIは前者を大きく速くします。10分ほどで20個以上のドライバー候補と、それぞれの変動方向・関連指標を一覧にできます。
後者は、現時点のAIが最も苦手にする領域です。AIは「ダウンサイドだから全部悪くする」という表面的な操作はできますが、「需要が落ちる局面では値上げが通りにくい」「売上が落ちても減価償却は減らない」「売上が落ちると在庫は滞留するので運転資本は思ったほど減らない」といったドライバー間の従属関係を自力で設計することはできません。結果として、一見それらしいのに実務では使えない3ケースが出てきます。
ですから分担はこうなります。AIには候補出しと下書きをやらせ、人は従属関係の設計と数値の確定に時間を使う。あわせて、AIの草案を機械的に点検できる整合性チェックリストを手元に置く。この形にすると、作成時間は減り、品質は上がります。
なお、シナリオ設計の考え方そのもの(なぜ幅ではなく物語で作るのか、ドライバーを3〜5個に絞る理由、トリガーポイントの置き方、中計・予算への組み込み方)は親記事のシナリオプランニングの実務で解説しています。本記事はその続きとして、「AIを使う場合に何が変わるか」だけを扱います。
全体像:AIと人の役割分担
シナリオ分析を6工程に割ると、AIが担える部分と人が確定すべき部分ははっきり分かれます。
右列の動詞はすべて「絞る」「確定する」「判定する」「決定する」で、AI側は「列挙する」「提示する」「下書きする」しかありません。選択肢を増やすのはAI、選択肢を減らすのは人という切り方で覚えておくと、迷ったときの判断基準になります。
AIの3ケース草案が「それらしいのに使えない」4つの理由
AIが3ケースを作るとき、内部では「ベースの数値に、悪い方向/良い方向への一律の変換をかける」処理に近いことが起きます。ドライバーどうしの経済的な因果を保持しているわけではないため、草案は因果の設計が空欄のまま数値だけ埋まった状態で出てきます。空欄がどこにあるかを知っていれば、修正は5分で終わります。実務で頻出する4パターンを見ていきます。
失敗①:全項目を一律±10%で動かす
最も多いのがこれです。「ダウンサイドは全項目を10%悪く、アップサイドは全項目を10%良く」と機械的に置きます。ドライバーごとに現実的な変動幅が違うという情報がAI側にないために起きます。出荷数量が1年で10%動くのは十分ありうる一方、平均単価が10%動くのは長期契約のある部品ビジネスではまず起きませんし、固定費が10%減るには人員か拠点を減らす必要があります。
人が直す手順は、ドライバーごとに「過去5期の実績で最大どれだけ動いたか」を先に調べ、その実績レンジを変動幅の上限の目安にすることです。実績で±3%しか動いていない単価に±10%を置くなら、なぜ今期だけ動くのかを説明できなければなりません。
失敗②:数量と単価に内部矛盾がある
「ダウンサイド:出荷数量−15%、平均単価+3%(値上げでカバー)」という草案がよく出ます。需要が15%落ちる局面で同時に値上げが通るというのは、強い主張です。逆にアップサイドで「数量+10%かつ単価+10%」と置くのも、供給が逼迫しているという外部条件の説明が要ります。
これは、AIが「ダウンサイド=悪い」「アップサイド=良い」という一次元の軸で各項目を評価しており、数量と単価が価格弾力性を通じて逆方向に効き合う構造を持っていないために起きます。人が直す手順は単純で、数量と単価のセルを並べ「この組み合わせが起きる市場環境を1文で書けるか」を確認します。書けないなら、どちらかの符号を変えます。売上側の分解は売上予測とドライバー設計で整理しています。
失敗③:符号の整合が取れていない
ダウンサイドなのに単位変動費が下がっている、ダウンサイドなのに運転資本が改善してキャッシュが増えている、というパターンです。前者は「コスト削減努力」という良い話を全ケースに入れてしまうために、後者は「売上が減れば売上債権も棚卸資産も同じ比率で減る」という機械的な連動を置いてしまうために起きます。
実務では、需要が落ちる局面ではまず在庫が滞留し、次に回収サイトが延びます。つまり運転資本は売上ほど速くは減りません。人が直すには、運転資本を「売上×一定比率」ではなく「売上×ケース別の比率」で置き直します。限界利益の水準がケースごとに変わることも、この符号チェックで見えてきます。
失敗④:裏付けのない実現確率を書く
「ベース60%、アップサイド15%、ダウンサイド25%」といった確率が付いてくることがあります。AIは確率らしき数字を求められれば生成できますが、その裏に分布の推定はありません。対処はシンプルで、プロンプトの禁止事項に「確率を書かないこと」を明記するのが最も確実です。確率で語りたい場合は、入力の分布を明示的に設定して多数試行を回す手法に切り替えます(モンテカルロシミュレーション)。3ケースのシナリオ分析に確率を後付けしても、意思決定の質は上がりません。
ドライバー間の従属関係は人が描く
失敗①〜③に共通する原因は、従属関係が明示されていないことです。そこでAIに前提値を出させる前に、従属関係のツリーを人が1枚描いておきます。この1枚があると、草案を見た瞬間にどこが破れているかが分かります。
形式はドライバーツリーそのものですが、シナリオ分析で使う場合は掛け算・引き算の構造に加えて「制約の破線」を書き込む点が違います。破線は計算式ではなく、置いてよい組み合わせの制限です。なお本記事が前提にしているのはドライバーベース計画の枠組みで、勘定科目ごとに成長率を置く方式では以降の手順はそのまま使えません。費用側の固定費・変動費の分解はコスト構造とマージン予測で扱っています。
AIに渡す入力資料
草案の品質は、渡す資料の整形でほぼ決まります。最低限そろえるのは次の4点です。
- 直近3〜5期の実績を、ドライバー単位に分解した表。売上高だけ渡すと、AIは成長率での増減しか置けません。数量・単価・単位変動費・固定費に割った状態で渡します。
- 各ドライバーの過去の変動幅(最大・最小)。失敗①を防ぐ最大の材料です。
- 外部前提の現在値。為替、原材料指数、主要顧客の生産計画など。出典と基準日を必ず添えます。
- 制約条件。生産能力の上限、契約上の価格改定タイミング、人員計画の下限など。
数値は画像ではなくテキストの表(Markdown表またはCSV)で渡します。画像だと転記の検証が難しくなります。
3ケース前提表をAIに草案させるプロンプト
そのままコピーして使える草案作成プロンプトです。特定のAI製品に依存しない書き方にしてあります。
【役割】
あなたは日本の製造業の経営企画部門で、中期経営計画と年度予算の策定を支援するアナリストです。
【目的】
以下の実績データと前提メモをもとに、翌期(FY2027)の営業利益までのシナリオ3ケース
(ダウンサイド/ベース/アップサイド)について「前提の叩き台」を作成してください。
最終的な数値と採否は当方が確定します。あなたの出力は草案です。
【入力資料】
・FY2026実績: 出荷数量 11,600千個/平均単価 2,500円/個/単位変動費 1,540円/個/
固定費 8,900百万円
・過去5期のドライバー変動幅(最大〜最小): 出荷数量 −12%〜+9%/平均単価 −3%〜+2%/
単位変動費 −2%〜+6%/固定費 −1%〜+4%
・外部前提: (為替・原材料指数・主要顧客の生産計画を出典と基準日つきでここに貼付)
・制約条件: 生産能力の上限は年間13,500千個。価格改定は年1回、期初のみ。
【対象期間・単位】
・対象期間: FY2027(12か月)。すべてのケースで同一期間とすること。
・単位: 金額は百万円、数量は千個、単価と単位変動費は円/個。単位を混在させないこと。
【出力形式】
以下の3つを、この順で出力してください。
(1) ドライバー候補表: 列=ドライバー名/FY2026実績値/変動の向き/他ドライバーとの
従属関係/根拠となる入力資料の行。15行以上。
(2) 3ケース前提表: 行=出荷数量・平均単価・単位変動費・固定費、
列=ダウンサイド/ベース/アップサイド。各セルに「値」と「その値を置いた理由」を併記。
(3) 各ケースの物語: 各300字以内で、そのケースが起きる外部環境と社内の対応を記述。
【計算方法】
・売上高(百万円)=出荷数量(千個)×平均単価(円/個)÷1,000
・変動費(百万円)=出荷数量(千個)×単位変動費(円/個)÷1,000
・限界利益(百万円)=売上高−変動費
・営業利益(百万円)=限界利益−固定費
・金額はすべて整数(百万円)で表示すること。
【禁止事項】
・全ドライバーを一律の増減率(±10%など)で動かさないこと。各ドライバーの変動幅は、
上記の過去5期の変動幅を目安とすること。
・出荷数量と平均単価を、価格弾力性の説明なしに同じ方向へ動かさないこと。
・ダウンサイドで単位変動費を引き下げないこと(引き下げる場合は理由を明記)。
・ダウンサイドで固定費を大幅に削減しないこと。削減する場合は削減対象科目と
実行可能性、実行に要する期間を明記すること。
・実現確率(「確率30%」等)を書かないこと。確率は当方が別途検討します。
・入力資料にない数値を新たに作らないこと。
【不明情報の処理】
・不明な項目は「不明」と明記し、推測値を入れないこと。
・不明のまま前提が置けない場合は、末尾に「必要な追加情報」として箇条書きすること。
【出典の表示】
・各前提値について、入力資料のどの行に基づくかを明記すること。
・入力資料に根拠がない場合は「根拠なし(要確認)」と明記すること。
【検算】
・3ケースそれぞれについて、売上高−変動費=限界利益、限界利益−固定費=営業利益が
成立することを、計算過程を示したうえで検証すること。
・各ケースの限界利益率(限界利益÷売上高)も算出し、小数第1位まで表示すること。
【レビュー項目】
出力の最後に、「この草案について人間が確認すべき点」をあなた自身の視点で5つ挙げてください。
要点は3つあります。禁止事項に失敗①〜④を先回りして書いていること、過去の変動幅を入力として渡していること(これがない限りAIは一律の率に戻ります)、そして検算を出力の一部として要求していることです。AIの計算はしばしば合いませんが、計算過程を書かせておくと人の確認が速くなります。
出力例:AIの初稿と、人が確定した前提の差
架空の企業「湊テクノパーツ株式会社」(自動車・産業機械向け精密部品メーカー、単体・FY2026実績 売上高29,000百万円)で確認します。数値はすべて仮設例で、実在の企業とは関係ありません。
FY2026実績は、出荷数量11,600千個、平均単価2,500円/個なので売上高は 11,600×2,500÷1,000=29,000百万円。単位変動費1,540円/個なので変動費は17,864百万円、限界利益は 29,000−17,864=11,136百万円(限界利益率38.4%)。固定費8,900百万円を引いて営業利益は2,236百万円(営業利益率7.7%)です。
この実績に対し、上記プロンプトを使わずに「3ケース作って」とだけ指示すると、ベース(数量12,000千個、単価2,500円、単位変動費1,550円、固定費9,000百万円)に対して全項目を一律10%動かした初稿が返ってきます。
| 項目(単位) | AI初稿 ダウンサイド | 人が確定 ダウンサイド | AI初稿 アップサイド | 人が確定 アップサイド |
|---|---|---|---|---|
| 出荷数量(千個) | 10,800 | 10,200 | 13,200 | 13,200 |
| 平均単価(円/個) | 2,250 | 2,430 | 2,750 | 2,550 |
| 単位変動費(円/個) | 1,395 | 1,590 | 1,395 | 1,570 |
| 固定費(百万円) | 8,100 | 8,800 | 8,100 | 9,200 |
| 売上高(百万円) | 24,300 | 24,786 | 36,300 | 33,660 |
| 限界利益(百万円) | 9,234 | 8,568 | 17,886 | 12,936 |
| 営業利益(百万円) | 1,134 | −232 | 9,786 | 3,736 |
| 営業利益率 | 4.7% | −0.9% | 27.0% | 11.1% |
差は決定的です。AI初稿のダウンサイドは営業利益1,134百万円の黒字で着地し、「悪くなってもこの程度」という誤ったメッセージを経営会議に届けます。人が確定した前提では232百万円の赤字です。ダウンサイドが黒字で終わるシナリオは、対応策を議論する動機を生みません。
アップサイド側の歪みはさらに大きく、AI初稿は営業利益率27.0%、FY2026実績7.7%の3.5倍になっています。単価を+10%にしながら単位変動費を−10%にしたためで、実績レンジ(単価 −3%〜+2%、単位変動費 −2%〜+6%)を大きく逸脱しています。失敗①と失敗③が同時に起きた典型です。
3ケースの営業利益までの展開(検算つき)
人が確定した3ケースを営業利益まで通しで確認します。単位は百万円、数量は千個、単価と単位変動費は円/個です。
検算は次のとおりです。
- ダウンサイド:売上高=10,200×2,430÷1,000=24,786。変動費=10,200×1,590÷1,000=16,218。限界利益=24,786−16,218=8,568(限界利益率34.6%)。営業利益=8,568−8,800=−232。
- ベース:売上高=12,000×2,500÷1,000=30,000。変動費=12,000×1,550÷1,000=18,600。限界利益=30,000−18,600=11,400(限界利益率38.0%)。営業利益=11,400−9,000=2,400。
- アップサイド:売上高=13,200×2,550÷1,000=33,660。変動費=13,200×1,570÷1,000=20,724。限界利益=33,660−20,724=12,936(限界利益率38.4%)。営業利益=12,936−9,200=3,736。
ダウンサイドで利益が非線形に落ちる理由
ベースからダウンサイドへの変化を段階で見ると、減少率が増幅していきます。
- 売上高:30,000 → 24,786(−5,214百万円、−17.4%)
- 限界利益:11,400 → 8,568(−2,832百万円、−24.8%)。単価が下がり単位変動費が上がるため限界利益率が38.0%→34.6%へ低下し、売上の減少率より大きく減ります。
- 固定費:9,000 → 8,800(−200百万円、−2.2%)。残業費と広告宣伝費で200百万円は落とせますが、人件費の本体と減価償却は当期中には減りません。
- 営業利益:2,400 → −232(−2,632百万円、−109.7%)
売上の17.4%減が営業利益の109.7%減へ増幅されるのは、固定費が下方硬直的だからです。この非線形性は1変数の感応度テーブルでは見えにくく、複数ドライバーを同時に動かすシナリオ分析でこそ確認できます。
損益分岐点も出しておきます。ダウンサイドの限界利益単価は 2,430−1,590=840円/個なので、固定費8,800百万円を賄うのに必要な数量は 8,800,000千円÷840円=約10,476千個。ダウンサイドの10,200千個に対して約276千個(2.7%)不足しています。裏を返せば、ダウンサイドの環境でも数量を10,476千個まで確保できれば損益はゼロで踏みとどまる、という具体的な目標値が得られます。この数値は後述するトリガーの閾値にそのまま使えます。
運転資本で符号の整合を確認する
失敗③で触れた運転資本を数値で見ます。AIは売上に一定比率で連動させがちですが、ダウンサイドでは在庫の滞留と回収サイトの長期化により比率自体が悪化します。
| 項目(百万円) | FY2026実績 | ダウンサイド (AIの機械的連動) | ダウンサイド (人が確定) | ベース | アップサイド |
|---|---|---|---|---|---|
| 売上高 | 29,000 | 24,786 | 24,786 | 30,000 | 33,660 |
| 運転資本残高 | 5,800 | 4,957 | 5,700 | 6,000 | 6,732 |
| 売上高比 | 20.0% | 20.0% | 23.0% | 20.0% | 20.0% |
| 前期比増減(+は資金流出) | — | −843 | −100 | +200 | +932 |
AIの機械的な連動では、ダウンサイドで843百万円のキャッシュが「入ってくる」ことになります。人が回転の悪化(売上高比20.0%→23.0%)を織り込むと、流入は100百万円にとどまります。差は743百万円で、営業赤字232百万円の3倍を超える金額です。ダウンサイドの資金繰り検討でこの差を見落とすと、必要な借入枠の見積りを誤ります。
シナリオ間整合性チェックリスト(12項目)
ここまでの論点を、AI草案を受け取った直後に上から順に当てられる形に整理します。判定は人が行い、「否」があってもAIに差し戻さず、人がその場で数値を直します。差し戻すと同じ誤りが再生産されることが多いためです。
| # | チェック項目 | 破れの典型例 |
|---|---|---|
| 1 | 全ドライバーの変動率を並べたとき、同一の数字が並んでいないか | 4項目すべてが±10% |
| 2 | 各ドライバーの変動幅が過去実績のレンジ内か。外側なら理由が書けるか | 実績±3%の単価に±10% |
| 3 | 数量と単価の組み合わせが起きる市場環境を1文で説明できるか | 数量−15%かつ単価+3% |
| 4 | 変動費が数量に比例して動いているか(金額連動か率一定かが明示されているか) | 数量減なのに変動費総額が横ばい |
| 5 | ダウンサイドで固定費を減らす場合、削減科目・実行可能性・実行期間が書けるか | 固定費−10%だが施策の記載なし |
| 6 | 運転資本が売上に単純比例していないか。ダウンサイドで回転が悪化する前提か | 売上減でキャッシュが大幅流入 |
| 7 | 資金調達の前提が損益と整合しているか(赤字・運転資金増→借入増→支払利息増) | 営業赤字なのに有利子負債が減少 |
| 8 | 為替・原材料などの外部前提が、収益側と費用側の両方に反映されているか | 円安を輸出売上にだけ反映 |
| 9 | アップサイドの数量が生産能力・人員の上限を超えていないか。超えるならCapexと整合するか | 能力13,500千個に対し数量14,000千個 |
| 10 | 3ケースが同一の期間・単位・連結範囲で作られているか | 1ケースだけ子会社を含む |
| 11 | 各ケースの初期値が直前期実績から連続しているか(説明のない断絶がないか) | 期初から単価が20%跳ぶ |
| 12 | 主要項目がダウンサイド<ベース<アップサイドの順に並んでいるか。逆転の理由が書けるか | ダウンサイドの限界利益率が最高 |
12項目のうちAIが自力で通せるのは10と11くらいで、残りは人の判断が要ります。逆に言えば、この12項目を先にプロンプトの禁止事項へ落とし込んでおけば手直し量は大きく減ります。ケース切替の実装方法そのものはシナリオ設計とスイッチで扱っています。
トリガー案:AIに候補を出させ、人が閾値と権限を決める
シナリオは「どうなったらどのケースに切り替えるか」を事前に決めて初めて機能します。この工程でもAIは候補出しに使えますが、閾値と決裁者は必ず人が決めます。
AIへの指示は「上記3ケースについて、ダウンサイドへの移行を早期に検知できる先行指標を10個挙げ、それぞれデータの入手元と観測頻度を書いてください。閾値は書かないでください」という形にします。閾値を書かせないのは、AIが置く閾値には根拠がなく、その数字が独り歩きするためです。
人が閾値を決める起点は、先ほどの損益分岐点です。ダウンサイドの損益分岐数量は約10,476千個、月平均では873千個。したがって「月次の出荷数量が873千個を3か月連続で下回ったら、ダウンサイド移行の判定を経営会議に上程する」という閾値が置けます。
| 監視指標 | データ入手元 | 閾値(人が決定) | 観測頻度 | 発動時のアクション/決裁者 |
|---|---|---|---|---|
| 月次出荷数量 | 販売管理システム | 873千個を3か月連続で下回る | 月次 | ダウンサイド移行判定を上程/CFO起案・社長決裁 |
| 主要顧客の内示数量 | 顧客からの内示・生産計画 | 翌3か月累計が前年同期比−10% | 月次 | 生産計画の見直し着手/生産本部長 |
| 主要原材料の市況指数 | 公表指数(基準日を明記) | 四半期平均が前提比+8%超 | 四半期 | 価格改定交渉の開始/営業本部長 |
| 受注残高 | 受注管理システム | 2か月分を下回る | 月次 | 固定費削減策の実行可否を検討/経営企画部長 |
| 運転資本の売上高比 | 月次試算表 | 22%を超える | 月次 | 在庫削減と回収強化の指示/経理部長 |
閾値の欄はすべて社内の数値から導いており、AI出力をそのまま採用した箇所はありません。
AI出力の検証方法(シナリオ分析に固有の項目)
出典の実在確認や数値転記の照合といった一般的な検証手順は生成AI出力の検証手順にまとめてあります。ここではシナリオ分析に固有の6項目だけを挙げます。
- 変動率の一覧化:全ドライバーのベース比変動率を1列に並べ、同じ数字が3つ以上並んでいないかを見ます。並んでいれば失敗①です。
- 算式の独立再現:AIが示した営業利益を、自分のExcelで前提値から独立に計算し直し、AIの検算欄と一致するかを確認します。丸め前の値も残します。
- 符号の単票確認:ドライバーごとに「ダウンサイドでの符号」「アップサイドでの符号」を並べた表を作り、意図した向きと一致するかを1行ずつ見ます。
- 単調性の確認:売上高・限界利益・営業利益がダウンサイド<ベース<アップサイドの順になっているか。逆転がある場合は意図的か誤りかを必ず判別します。
- 実績との連続性:各ケースの前提値を直前期実績と並べ、変化率が過去のレンジ内かを確認します。レンジ外なら理由を1文で書けるかを試し、書けなければ数値を戻します。
- 外部前提の原本照合:為替や原材料指数は必ず一次情報で確認し、基準日を記録します。AIが書いた「最新の為替は◯◯円」は検証対象です。
この6項目は実施しても10分程度です。時間をかけるべきは検証ではなく、見つかった破れを直すための議論のほうです。
機密情報・個人情報の注意
シナリオ分析の入力には、未公表の受注見通し、顧客別の単価、人員計画といった社外秘情報が含まれます。これらを生成AIへ入力してよいかは利用プランと契約条件で扱いが変わるため、判断の枠組みは生成AIに入れてよい情報・いけない情報を社内規程と突き合わせて確認してください。実務上の簡便法としては、顧客名を「顧客A」に置き換え、金額を実額ではなく指数(前期=100)に変換して渡す方法があります。ドライバーの構造と変動幅さえ伝われば草案の品質は十分で、実額に戻す作業は社内のExcelで行えます。
よくある失敗
失敗1:AIの初稿をそのまま3ケースとして配る。本記事の設例のように、営業利益が黒字と赤字で分かれるほど結論が変わります。草案は必ず人が確定した版に置き換えてから配布します。
失敗2:ダウンサイドが「少し悪いベース」になっている。ダウンサイドは対応策の議論を起動するために作ります。営業利益が微減で終わるダウンサイドは、作った側の安心のために存在しているだけです。
失敗3:AIに勧められるままケースを5つ以上作る。増やすほど各ケースの物語が薄まり、議論が拡散します。3ケースに絞り、必要なら1変数の追加検討で補います。
失敗4:確率をAIに書かせ、そのまま資料に載せる。根拠のない確率は、意思決定の責任の所在を曖昧にします。
失敗5:AIとの往復で前提の版管理が崩れる。確定版は必ずExcelの1ファイルに置き、AIとのやり取りは「そこから出して、そこへ戻す」形に固定します。
実務チェックリスト
- 親記事でシナリオ設計の考え方(物語+発動条件、ドライバーを3〜5個に絞る)を先に確認した
- 直近3〜5期の実績を、売上高ではなくドライバー単位に分解して用意した
- 各ドライバーの過去の変動幅(最大・最小)を入力資料に含めた
- 従属関係ツリーを人が1枚描き、制約の破線を書き込んだ
- プロンプトに単位・計算方法・禁止事項・不明情報の処理・検算・レビュー項目を明記した
- 禁止事項に「一律の増減率を使わない」「確率を書かない」を入れた
- 社外秘情報を指数化・匿名化してから入力した、または社内承認済み環境を使った
- AI草案に整合性チェック12項目を上から順に当て、判定を記録した
- 3ケースの営業利益を自分のExcelで独立に再計算し、AIの検算欄と一致することを確認した
- 限界利益率をケース別に算出し、ダウンサイドで低下していることを確認した
- 固定費の削減額について、削減科目と実行可能性を書き出した
- 運転資本を売上単純比例ではなくケース別の比率で置き直した
- 損益分岐点となる数量を算出し、トリガーの閾値の根拠にした
- トリガーの閾値と決裁者を人が決め、AI出力をそのまま採用していないことを確認した
- 確定版の前提をExcelの1ファイルに集約し、版管理のルールを決めた
日本企業・日本市場での留意点
海外の解説記事では、3ケースをそのまま投資家向けの説明に使う前提で書かれていることがあります。日本の上場企業の実務は異なる点があり、そのまま持ち込むと開示上の問題になりかねません。
第1に、対外的に開示するのは通常ベースケース1本です。決算短信の業績予想欄に記載するのは1組の数値(またはレンジ)で、アップサイド・ダウンサイドを併記する慣行は一般的ではありません。3ケースは社内の意思決定と資金計画のために作るものだと位置づけを明確にし、AIに開示文案を下書きさせる場合は、社内向けのダウンサイド前提が混入しないよう入力する資料自体を分けます(業績予想の開示)。
第2に、トリガーは業績予想の修正開示が必要になる水準と関連づけて設計すると実務で機能します。東京証券取引所の適時開示制度では、公表済みの業績予想値と新たに算出した予想値との間に一定以上の差異が生じた場合、修正の開示が求められます。本記事の設例ではダウンサイドの売上高はベース比−17.4%、営業利益は−109.7%であり、いずれも業績予想の修正を検討すべき水準です。だからこそトリガーは、その水準に到達してから気づくのではなく、月次の出荷数量や受注残高といった先行指標で置く必要があります。
第3に、中期経営計画とシナリオ分析は別物として管理します。中計は対外的なコミットメントの性格を持ち、シナリオは社内の備えです。AIに「中計の数値からシナリオを作って」と指示すると中計がベースケースとして固定され、中計自体が楽観的だった場合に3ケース全体が上振れます。ベースケースは中計ではなく、直近実績と足元の受注状況から組み直すのが実務的です。
面接での答え方(30秒回答例)
「シナリオ分析でAIをどう使いますか」と聞かれた場合の回答例です。
「AIには前提の候補出しと文章の下書きを任せ、ドライバー間の従属関係と数値の確定は自分で行います。AIは全項目を一律±10%で動かしたり、数量減なのに単価増を置いたりと、経済的な整合が取れない草案を出すことがあるためです。実際に部品メーカーの設例で試したところ、AIの初稿ではダウンサイドが営業黒字で着地しましたが、固定費が下方硬直的であることと単価下落を織り込むと営業赤字になり、結論が逆転しました。作業時間は短縮できますが、整合性の判定は人が行う前提で使っています。」
ツール名を挙げるより、AIの限界を具体的に説明し、数値で結論が変わった経験を語るほうが評価されます。
よくある質問(FAQ)
Q. AIに前提を出させても、結局自分で全部直すことになりませんか。
A. 数値は直すことになりますが、思いつかなかったドライバーに気づける効果が残ります。実務で最大のリスクは前提の抜け(物流費の高騰、顧客の在庫調整サイクルなど)です。20個の候補を出させて3〜5個に絞る工程は、ゼロベースで考えるより網羅性が上がります。数値を直す時間も、整合性チェック12項目を先にプロンプトの禁止事項へ入れておけば短縮できます。
Q. AIが出した3ケースを、そのまま感応度分析の代わりに使えますか。
A. 使えません。シナリオ分析は複数ドライバーを同時に動かす手法、感応度分析は1変数だけを動かす手法で目的が異なります。本記事の設例で営業利益が非線形に落ちる理由も、複数ドライバーの同時変動と固定費の硬直性の組み合わせにあり、1変数のテーブルでは再現できません。使い分けは感応度分析・シナリオ分析の作り方を参照してください。
Q. 社内の非公開データを入れずに、公開情報だけでシナリオを作れますか。
A. 精度は落ちますが可能です。有価証券報告書のセグメント情報や決算説明会資料から数量・単価に近い指標を取り、指数化して渡します。ただし単位変動費や固定費の内訳は外部からは精緻に分かりません。その場合は「不明」と明記させ、社内データで埋める前提で草案だけを作らせるのが現実的です。
まとめ
シナリオ分析における生成AIの価値は、前提候補の網羅性と下書きの速さにあります。一方で、ドライバー間の従属関係、符号の整合、固定費の下方硬直性、運転資本の非比例的な動きといった経済的な辻褄は、現時点では人が設計するしかありません。
本記事の設例では、AI初稿のダウンサイドが営業利益1,134百万円の黒字だったのに対し、人が前提を確定すると232百万円の赤字になりました。売上高の−17.4%が営業利益の−109.7%へ増幅されるのは、固定費が9,000百万円から8,800百万円へ2.2%しか減らないためです。この非線形性を数値で示せるかどうかが、シナリオ分析が意思決定に効くかどうかを分けます。
実務では、①従属関係ツリーを1枚描く、②禁止事項を書き込んだプロンプトで草案を取る、③整合性チェック12項目で判定する、④損益分岐点からトリガーの閾値を導く、という4手順を型にしてください。AIは選択肢を増やす道具であり、選択肢を減らすのは最後まで人の仕事です。
出典・参考(2026-08-03確認)
- Corporate Finance Institute「Scenario Analysis – Definition, Benefits & Step-by-Step Guide」 https://corporatefinanceinstitute.com/resources/financial-modeling/scenario-analysis/ (ベース・ベスト・ワーストの3ケース構成に関する一般的な論点を参照。日本の開示実務への当てはめは本記事独自の整理)
- Corporate Finance Institute「How AI Transforms Scenario Analysis in Corporate Finance」 https://corporatefinanceinstitute.com/resources/fpa/ai-scenario-analysis-corporate-finance/ (AIをシナリオ分析に用いる際の論点を参照)
- 日本取引所グループ「決算短信・四半期決算短信 作成要領等」 https://www.jpx.co.jp/equities/listed-co/format/summary/index.html (業績予想欄の記載に関する参考)
- 日本取引所グループ「規則・要綱等」(有価証券上場規程および同施行規則) https://www.jpx.co.jp/rules-participants/rules/regulations/index.html (業績予想の修正等に係る適時開示の基準の原典。適用される具体的な数値基準は最新の規程本文で確認してください)
- Anthropic「Use Claude for Excel」 https://support.claude.com/en/articles/12650343-use-claude-for-excel (最終成果物への人的レビューなしの利用、監査に関わる計算の未検証利用、財務判断の代替を非推奨とする公式の記載。2026-08-02確認)
※本記事は教育目的の一般的な解説であり、法務・税務・会計・投資に関する助言ではありません。実際の判断は専門家にご確認ください。設例は理解のための仮設例です。AI製品の仕様・料金は変更されることがあるため、利用前に各社の公式情報をご確認ください。