このチュートリアルのゴール
はじめに:なぜ銀行だけ「配当」から株式価値を計算するのか
一般の事業会社を評価するとき、実務ではDCF法でフリーキャッシュフロー(FCF)を割り引くのが標準的なやり方です。ところが銀行や保険会社などの金融機関では、この方法がほとんど使われません。理由は、銀行の「キャッシュフロー」という概念そのものが事業会社と根本的に異なるからです。銀行の主な資産は貸出金や有価証券であり、負債は預金です。設備投資や運転資本のような概念で現金の出入りを整理することができず、EBITDAという指標も銀行の実態を表しません。そこで実務では、株主に直接還元される「配当」を予測し、株主の要求収益率で割り引く配当割引モデル(DDM)が使われます。この考え方の詳しい背景や、EV/EBITDAが銀行に使えない理由の整理はDDMと金融機関の評価入門に譲り、本チュートリアルではDDMのシートを実際に組む手順に集中します。
銀行のDDMでもう1つ独特なのが、「配当を出せる金額」が自己資本比率規制によって制約される点です。銀行はリスクアセット(RWA)に対して一定以上の自己資本を維持する義務があり、貸出が増えてRWAが膨らめば、その分だけ自己資本を積み増さなければなりません。つまり稼いだ利益をすべて配当に回せるわけではなく、「純利益−資本増強に必要な額」が配当の上限になります。本チュートリアルでは、この関係を数式に落とし込み、DDMで求めた株式価値と、銀行株の評価でよく使われるP/B=(ROE−g)/(COE−g)という理論式が、同じ答えにたどり着くことを実際に検算します。
| 用語 | ひとことで言うと |
|---|---|
| RWA(リスクアセット) | 貸出金などをリスクの大きさで重み付けした資産量。自己資本比率の分母 |
| 必要資本 | RWA×目標自己資本比率。銀行が維持すべき自己資本の額 |
| 配当可能額 | 純利益から、必要資本の増加分を引いた残り |
| ROE | 自己資本利益率。自己資本1に対して1年で稼ぐ利益の比率 |
| COE(株主資本コスト) | 株主が銀行株に求める年率のリターン。割引率として使う |
| P/B | 株価純資産倍率。株式価値÷自己資本 |
完成形の全体像
モデルは7つのブロックでできています。上から下へ、①前提→②タイムライン→③資本ブロック→④損益・配当ブロック→⑤割引ブロック→⑥ターミナル・仕上げ→⑦検算ブロック、の順に組みます。
| B | C | D〜H | |
|---|---|---|---|
| 2-5 | ① 前提ブロック | ROE・COE・g・RWA0の4値 | |
| 9-11 | ② タイムライン | FY0 | 年数・RWA成長率・目標自己資本比率を年度別に展開 |
| 13-15 | ③ 資本ブロック | RWA→必要資本→自己資本(BV) | |
| 17-20 | ④ 損益・配当ブロック | 純利益→必要資本の増加→配当可能額→配当性向 | |
| 22-23 | ⑤ 割引ブロック | 現価係数→配当の現在価値 | |
| 25-29 | ⑥ ターミナル・仕上げ | 予測期間PV合計ほか | FY6配当→TV→TVのPV→株式価値 |
| 31-33 | ⑦ 検算ブロック | P/B理論式によるTVの照合 |
設例の銀行:期初のリスクアセット30,000億円、ROE5.0%・株主資本コスト7.0%という地方銀行(架空)を想定します。数字はすべて理解のための設例で、特定の金融機関の実績を示すものではありません。それでは、Excelの新規ブックを開き、シート名を「Bank_DDM」にしてください。
1前提ブロック:ROE・COE・成長率を1か所に集める(目安5分)
目的:DDMを動かす4つの数字を独立させます。ここを触るだけでモデル全体が動く「操作盤」です。
| B | C | |
|---|---|---|
| 2 | ROE(自己資本利益率) | 5.0% |
| 3 | COE(株主資本コスト) | 7.0% |
| 4 | 長期成長率 g(FY6以降) | 2.0% |
| 5 | 期初リスクアセット RWA0(億円) | 30,000 |
2タイムラインとリスクアセット(RWA)の展開(目安10分)
目的:5年分の年数・RWA成長率・目標自己資本比率を横に並べ、それを使ってRWAを右へ伸ばします。成長率と目標比率を年度ごとに変えられる作りにしておくと、あとで規制強化などの前提変更を試しやすくなります。
| B | C (FY0) | D (FY1) | E (FY2) | F (FY3) | G (FY4) | H (FY5) | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 9 | 年数 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
| 10 | RWA成長率 | 4.0% | 3.0% | 2.5% | 2.0% | 2.0% | |
| 11 | 目標自己資本比率 | 10.0% | 10.0% | 10.0% | 10.0% | 10.0% | 10.0% |
| 13 | RWA(億円) | =$C$5 | =C13*(1+D10) | 32,136 | 32,939 | 33,598 | 34,270 |
3必要資本と自己資本(BV):規制が決める「残高」(目安10分)
目的:RWAに目標自己資本比率を掛けて、銀行が維持すべき自己資本の額(必要資本)を出します。本モデルでは自己資本の残高は必要資本と常に一致すると仮定します。つまり銀行は、余分な資本を溜め込むことも規制未達になることもなく、ちょうど必要な分だけを配当で調整する、という設定です。実際の目標比率は各行の資本政策やストレステストの結果で決まりますが(銀行のストレステストと資本計画)、本チュートリアルの10.0%はあくまで設例値です。規制上の自己資本比率の算出方法自体はバーゼル規制入門で扱っています。また本モデルでは、規制上の自己資本と会計上の自己資本(純資産)を同一視する単純化を置いています。
| B | C (FY0) | D (FY1) | E (FY2) | F (FY3) | G (FY4) | H (FY5) | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 13 | RWA(億円) | 30,000 | 31,200 | 32,136 | 32,939 | 33,598 | 34,270 |
| 14 | 必要資本 | =C13*C11 | =D13*D11 | 3,214 | 3,294 | 3,360 | 3,427 |
| 15 | 自己資本(BV) | =C14 | =D14 | 3,214 | 3,294 | 3,360 | 3,427 |
4純利益と配当可能額:稼いだ利益から「配れる分」を出す(目安15分)
目的:純利益をROEから逆算し、そこから必要資本の増加分を引いて、実際に配当に回せる金額を求めます。配当可能額=純利益−必要資本の増加という式が、本チュートリアルの核となる関係です。
| B | C (FY0) | D (FY1) | E (FY2) | F (FY3) | G (FY4) | H (FY5) | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 15 | 自己資本(期末・参考) | 3,000 | 3,120 | 3,214 | 3,294 | 3,360 | 3,427 |
| 17 | 純利益(NI) | =C15*$C$2 | =D15*$C$2 | 160.7 | 164.7 | 168.0 | |
| 18 | 必要資本の増加 | =D14-C14 | =E14-D14 | 80.3 | 65.9 | 67.2 | |
| 19 | 配当可能額 | =D17-D18 | =E17-E18 | 80.3 | 98.8 | 100.8 | |
| 20 | 配当性向 | =D19/D17 | 40% | 50% | 60% | 60% |
5割引:配当を今日の価値に換算する(目安10分)
目的:DCFと同じ考え方で、将来の配当を株主資本コストCOEで割り引きます。COEは「株主が銀行株に求める年率のリターン」です。ROEがCOEを下回る銀行は、株主の要求を満たす利益を自己資本から生み出せていないため、理論上は株式価値が自己資本(簿価)を下回る(P/Bが1倍未満になる)という基準線になります。
| B | C (FY0) | D (FY1) | E (FY2) | F (FY3) | G (FY4) | H (FY5) | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 19 | 配当可能額 | 30.0 | 62.4 | 80.3 | 98.8 | 100.8 | |
| 22 | 現価係数 | =1/(1+$C$3)^D9 | =1/(1+$C$3)^E9 | 0.8163 | 0.7629 | 0.7130 | |
| 23 | 配当の現在価値 | =D19*D22 | =E19*E22 | 65.6 | 75.4 | 71.9 | |
| 25 | 予測期間PV合計 | =SUM(D23:H23) | |||||
6ターミナルバリューとP/B理論式による検算(目安15分)
目的:FY6以降はROE・COE・RWA成長率のすべてが一定の「定常状態」に入ると仮定し、その先ずっと続く配当をゴードン成長式で1つの値(ターミナルバリュー)に畳みます。そのうえで、この値が銀行株の評価でよく使われるP/B=(ROE−g)/(COE−g)という理論式から求めた値と一致することを検算します。
| B | C | D | |
|---|---|---|---|
| 26 | FY6配当 | =H19*(1+$C$4) | |
| 27 | ターミナルバリュー(TV) | =C26/($C$3-$C$4) | |
| 28 | TVの現在価値 | =C27*H22 | |
| 29 | 株式価値 | =C25+C28 |
| B | C | D | |
|---|---|---|---|
| 31 | 理論P/B倍率 | =($C$2-$C$4)/($C$3-$C$4) | |
| 32 | 理論ターミナルバリュー | =H15*C31 | |
| 33 | 差異チェック | =C27-C32 |
遊んでみる:前提を動かす実験
完成したモデルの前提(青字のセル)だけを変えて、株式価値がどう動くか確認してください。
- 実験①:自己資本規制が強化されたら? D11:H11(目標自己資本比率。C11のFY0は10.0%のまま変えません)を10.0%→12.0%に変えます。FY1の配当可能額(D19)は30.0億円から−594.0億円へ転落します。マイナスの配当が実際にあるわけではなく、「内部留保だけでは資本増強が追いつかず、増資が必要になる」ことを式が教えてくれています(本モデルは増資を組み込んでいないため、数式上は負の値としてそのまま表れます。DDM上は、この−594.0を株主による追加出資=キャッシュアウトとして割り引いている、と読み替えられます)。その後の年は資本の積み増しが一巡し配当は回復しますが、株式価値(C29)は1,761.4億円から1,524.9億円へ低下します。規制強化が株主価値にとって痛手になる理由が数字で体感できます。
- 実験②:ROEが1ポイント改善したら? C2を5.0%→6.0%に変えます。理論P/B倍率(C31)は0.60倍→0.80倍に跳ね上がり、株式価値は1,761.4億円から2,380.7億円へ35%以上増えます。分子(ROE−g)のわずか1ポイントの改善が、分母(COE−g)を固定したまま倍率を大きく押し上げる、銀行株のROE感応度の高さが分かります。
- 実験③:株主資本コストが上がったら? C3を7.0%→7.5%に変えます(市場のリスクプレミアムやβの上昇を想定)。株式価値は1,761.4億円から1,592.8億円へ約1割下がります。COEの引き上げは分母(COE−g)を直接押し上げるため、「割引率の議論=価値の議論」であることは、事業会社のWACCと同じです。
よくあるミス
- 配当可能額を純利益と混同する:D19を「=D17」だけにしてしまうと、必要資本の増加分まで社外に配当してしまう計算になり、株式価値を過大評価します。銀行のDDMでこの調整を忘れると、一般のFCFモデルと同じ「使えない現金を配ってしまう」誤りに陥ります。
- 目標自己資本比率を「10」と入力する:セルの表示形式を%にせず「10」と打つと、行14の計算が本来の100倍の値になります。必ず「10.0%」と記号ごと入力してください。
- COEとgの大小関係を確認しない:C3(COE)がC4(g)以下になると、C27の分母がゼロ以下になり#DIV/0!か不自然な巨大値・負値が出ます。
- BIS規制ベースの自己資本比率と、単純な自己資本比率を混同する:本記事の自己資本比率はRWAを分母にするBIS規制ベースの比率ですが、自己資本÷総資産で計算する一般的な自己資本比率とは分母が異なります。同じ「自己資本比率」でも指している比率が違う場合があります。
- 長期成長率gを、直近の高い成長率のまま使う:FY1・FY2の4.0%・3.0%をそのままC4に置くと、ターミナルバリューを過大評価します。C4は「FY6以降ずっと続く」前提の成長率であることを忘れないでください。
よくある質問(FAQ)
Q. なぜ自己資本の残高が「必要資本と常に一致する」と仮定するのですか。現実の銀行は違うのではないですか。
A. おっしゃる通り、現実の銀行は目標比率に対して余剰資本を持ったり、逆に不足したりします。本チュートリアルは、DDMの骨格を理解するための最も単純なケース(余剰も不足も生じさせない)から出発しています。余剰資本がある場合の具体的な組み方は、FAQ後半(FY0で自己資本が必要資本と一致しない銀行の扱い)で説明します。
Q. P/B=(ROE−g)/(COE−g)という式はどこから来るのですか。
A. STEP6で示した通り、定常状態では配当が「自己資本×(ROE−g)」に一致し、それをゴードン成長式で割り引くと自己資本×(ROE−g)/(COE−g)になります。株式価値を自己資本で割ればP/Bになる、という関係です。この式の実務的な使い方は、STEP6で紹介した銀行株の理論PBR(ROE−COEモデル)の用語解説を参照してください。
Q. 目標自己資本比率10.0%という数字に、規制上の根拠はありますか。
A. 本チュートリアルの10.0%は説明用の設例値であり、特定の規制上の最低比率を示すものではありません。実際の自己資本比率規制(バーゼル規制、国内基準行・国際基準行の区分など)の枠組みは、STEP3で紹介したバーゼル規制の解説記事を参照してください。
Q. このモデルはメガバンクにもそのまま使えますか。
A. 骨格は使えますが、メガバンクは市場部門や海外子会社など収益構造が複層的で、ROEやRWA成長率を1本の前提でまとめるのには無理があります。事業セグメント別に分けたモデリングが必要になり、その考え方は銀行モデリング入門で扱っています。
Q. FY0時点で自己資本が必要資本と一致していない銀行はどう扱えばいいですか。
A. FY0の自己資本(BV0)を必要資本とは別の実績値としてC15に入力し、行18の式も「当期の必要資本−前期末の自己資本」(D18に=D14-C15、H列まで右コピー)に変えてください。余剰(不足)の分だけFY1の配当可能額が増減し、FY1末以降の自己資本は必要資本に一致します。E列以降は前期末の自己資本=必要資本なので結果は同じです。
まとめ
- 銀行の株式価値は、EV/EBITDAではなく配当割引モデル(DDM)で直接評価する。配当可能額は「純利益−必要資本の増加」であり、リスクアセットの伸びが配当を圧迫するという銀行特有の制約を式に組み込む必要がある。
- 定常状態を仮定したターミナルバリューは、ゴードン成長式で計算しても、P/B=(ROE−g)/(COE−g)という理論式から自己資本に掛けて計算しても同じ値になる。この一致を検算することが、DDMモデルの妥当性を確かめる最短ルートになる。
- 目標自己資本比率・ROE・COEを動かして株式価値の感応度を体験すれば、銀行の資本政策の議論がそのまま株主価値の議論であることが数字で理解できる。
出典・参考(2026年9月確認)
本記事の設例(ROE・COE・RWA成長率・目標自己資本比率を含むすべての前提と数値)は、DDMの計算方法を理解するための仮設例であり、特定の金融機関の実績ではありません。自己資本比率規制(バーゼル規制、国内基準行・国際基準行の区分など)の一般的な枠組みは金融庁・BIS(国際決済銀行)が一次情報を公表していますが、本記事の執筆時点で具体的な最低所要比率の数値をこれらの一次情報から直接確認できなかったため、本文では数値を掲載せず、目標自己資本比率10.0%は設例値として扱っています。制度の詳細は下記および関連記事(バーゼル規制入門)を参照してください。
- 金融庁「バーゼルIII(国際的な自己資本比率規制の枠組み)」関連ページ:https://www.fsa.go.jp/policy/basel_ii/index.html(2026年9月確認。告示・監督指針等へのリンク集で、具体的な比率の数値はこのページ自体には記載されていません)
- Bank for International Settlements「Basel III」概要ページ:https://www.bis.org/bcbs/basel3.htm(2026年9月確認。フレームワークの概要ページで、具体的な比率の数値はこのページ自体には記載されていません)
※本記事は教育目的の一般的な解説であり、法務・税務・投資助言ではありません。設例は理解のための仮設例です。