この記事で分かること
- 1957年にARDがDECへ7万ドルを出資した経緯と、持分・貸付・評価額の資料による食い違い
- 出資額と持分からプレマネー・ポストマネーを逆算する方法と、VCメソッド・段階投資の考え方(設例)
- ARDの成績がDEC 1社に依存した構造と、上場投資会社のARDが有限責任組合(LP)型のVCに押された理由
想定読者:スタートアップ投資や資金調達を学ぶ方、VC・CVCで投資やファンド運営に関わる方
前提知識:株式の持分と企業価値の基本(用語は本文で説明します)
1957年5月27日、MITリンカーン研究所の技術者だったケン・オルセンとハーラン・アンダーソンは、ボストンの投資会社ARD(American Research and Development Corporation)に9頁の提案書を出し、新会社の最初の段階に必要な現金を91,200ドルと見積もった1。ARDは7万ドルを出資し、同じ年の8月、のちのDEC(Digital Equipment Corporation)が事業を始める2。
ARDは1946年に設立され、ハーバード・ビジネス・スクールで教えていたジョルジュ・ドリオが率いた。HsuとKenney(2005)は、このDEC投資が1971年に3.55億ドルの利益(gain)になったと、Liles(1977)を引いて記す3。「約5,000倍」という言い換えは、3.55億ドルを7万ドルで割っただけで、投資倍率として定義された数字ではない。
7万ドルで何%を得たのか。3.55億ドルは何の数字か。史料を確かめると、シードの価格付け、段階投資、偏るリターン、ファンドの器(組織形態)という、現代のベンチャーキャピタル(VC)の基本問題が順に現れる。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1946年 | ARD設立。ジョルジュ・ドリオが社長に就く。1947年2月10日までに3,581,750ドルを調達(目標5,000,000ドル) |
| 1957年1月・5月 | ケン・オルセンとハーラン・アンダーソンが4頁、次いで9頁の提案書をARDに出す |
| 1957年 | ARDが7万ドルを出資(持分は資料により68〜77%) |
| 1957年8月23日 | DECが事業を始める(DEC社史) |
| 1958年 | 連邦法で中小企業投資会社(SBIC)の制度ができる |
| 1959年 | 一つの家族の資金だけに頼らない最初のVCの有限責任組合、Draper, Gaither & Anderson(4つの富裕な家族が出資)がパロアルトで設立される |
| 1960〜61年 | ARDがニューヨーク証券取引所に上場(時期は資料により異なる) |
| 1965年 | ARDの幹部だったWilliam Elfersらが、有限責任組合のGreylockを設立 |
| 1968年末 | ARDの株価が資産価値に対して29.9%のディスカウント |
| 1971年 | ARDが残りのDEC株を株主に分配。DECの1971会計年度の売上高は146,849,000ドル |
| 1972〜73年 | ARDがTextronに売却される(1972年とする資料と1973年とする資料がある) |
提案書が求めたのは91,200ドル——出資の条件は資料で割れる
コンピュータ歴史博物館(CHM)所蔵のこの提案書は、事業を二段階に分けていた。Phase Iは試験装置の事業で、91,200ドルの現金で始められるとする。Phase IIは汎用コンピュータの開発で、初期モデルの価格を約40万ドルと見込み、そこへ進む時点で約25万ドルの追加資金が要るとした4。
ところが、提案書にはARDの持分も貸付の条件も書かれていない5。7万ドルという出資額は、ハーバード・ビジネス・スクールのベーカー図書館(HBS)の展示、CHM、DECの社史、HsuとKenney(以下HK)、Gompers(1994)、元ARD投資担当Waiteの回想で一致するが、持分と貸付は表2のとおり資料で割れる6。最終契約書は確認できず、本稿は一つに決めない。
| 項目 | 記述 | 資料 |
|---|---|---|
| 出資額 | 7万ドル | HBS、CHM、DEC社史、Hsu & Kenney、Gompers、Waite |
| 持分 | 70% | HBS(ARDが提示した条件)、CHM、DEC社史 |
| 持分 | 68%(その後の資金調達の前) | Waite(2000年刊の回想) |
| 持分 | 77% | Gompers(1994。根拠の注記なし) |
| 貸付 | 30,000ドル(出資に加えて提示) | HBS |
| 貸付 | 150,000ドル(のちに。持分の追加なし) | Waite |
| DEC投資の成果 | 1971年に3.55億ドルの利益(gain) | Hsu & Kenney(Liles 1977を引用) |
| DEC投資の成果 | 14年で3.55億ドルの価値(value) | Gompers |
| DEC投資の成果 | 売却・分配時に4億〜5億ドル | Waite |
| DEC投資の成果 | 1972年の清算時に4億ドル超 | MIT Technology Reviewの書評 |
| Textronとの取引 | 1972年(合併提案を受諾) | HBS |
| Textronとの取引 | 1972年(買収) | Gompers |
| Textronとの取引 | 1973年(売却) | Hsu & Kenney |
DECはマサチューセッツ州メイナードの古い毛織物工場の一角で事業を始めた7。社史によれば、売上高は1962会計年度から1971会計年度に約22倍になった8。株式公開の時期と条件は一次資料で確認できなかった9。1971年、ARDは残りのDEC株を株主に分配し、その後、複合企業のTextronに売却された10。
3.55億ドルは、いつの、何の数字か
3.55億ドルは、HKが「1971年(残りのDEC株を分配した年)の利益」、Gompersが「14年後の価値」と書く数字である。どちらもLilesの集計に由来するとみられ、独立した二つの確認にはならない。Waiteの回想とMIT Technology Reviewの書評は、売却・分配時や清算時の価値を4億ドル以上とする11。
現代の言葉でいえば、投資実績を「時点」「定義」「分母」で読む問題である。1971年か清算時か、売却益か分配した株式の時価か、7万ドルの株式だけか貸付や途中の回収を含むのか。冒頭の割り算は、この三つがそろわない。投資額に対する総価値の倍率(TVPI)を、分配済み(DPI)と未実現(RVPI)の倍率に分けて示すのも、同じ理由による(TVPI・DPI・RVPI)。
7万ドルで70%なら、会社はいくらと評価されたのか
VCでは、出資後の会社全体の価値をポストマネー、出資前の価値をプレマネーと呼ぶ(プレマネー・ポストマネー)。1957年当時の用語や評価の手法を確かめたものではないが、現代の言葉に換算すると図1のようになる。
持分70%なら、ポストマネーは100,000ドル、プレマネーは30,000ドルである。貸付は出資額に足さず、技術や労働の価値も個別に評価していない。逆算した額は、株式の条件が意味する評価額である12。68%と77%の差は9ポイントだが、ポストマネーは約1.13倍、プレマネーは約1.58倍違う。ポストマネー=出資額÷持分、プレマネー=ポストマネー−出資額なので、プレマネーは出資額×(1−持分)÷持分になる。投資家の持分が大きいほど、持分のわずかな差が大きく効く。
当時の相場も資料で違う。1952年のFortune誌はARDの通常の取得持分を20〜35%と書き、1960年にARDに入ったWaiteは、25万〜30万ドルを求める創業者が約65%を手放すのが普通だったという13。ARDがDECの価格をどう考えたかを示す記録は見つからなかった。提案書は費用を積み上げた資金計画で、出口の価値や目標収益率は書かれていない14。
VCメソッド——出口の価値から、今取るべき持分を逆算する
現代のVCが持分を考える代表的な方法がVCメソッドである(ベンチャーキャピタル法)。Damodaran(2009)の整理では、数年後の利益や売上高×類似企業の倍率で出口時点の価値を求め、目標収益率で現在に割り引いてプレマネーとし、出資額を足してポストマネーとする15。割り引いた価値をプレマネーとみるかポストマネーとみるかは資料で扱いが違うので、使う資料の定義を確かめる。本稿の設例(表3)は、目標収益率から必要な回収倍率を求め、出口時に必要な持分を出し、残存率で割って今取るべき持分を出す。ポストマネー=出資額÷今の持分、プレマネー=ポストマネー−出資額である。創業期の目標収益率は年50〜70%と高いが、事業が生き残れない可能性を織り込んだ割引率で、VCが平均して得るリターンの見込みではない16。
数値例の前提(単純化した設例)
- 架空のスタートアップに1億円を出資する。出口(売却や株式公開)は7年後
- 成功した場合の、出口時点の株式価値は150億円
- 目標収益率は年50%と年70%の二通り(Damodaranの創業期の幅の両端)
- 出口までの追加の資金調達で薄まった後に、今回の持分の6割が残る(この残る割合を残存率と呼ぶ)
| 項目 | 目標50% | 目標70% | 計算 |
|---|---|---|---|
| 出口で必要な倍率 | 17.09倍 | 41.03倍 | (1+目標収益率)の7乗 |
| 出口で必要な金額 | 17.09億円 | 41.03億円 | 1億円×倍率 |
| 出口時に必要な持分 | 11.4% | 27.4% | 必要な金額÷150億円 |
| 今取るべき持分 | 19.0% | 45.6% | 出口時の持分÷残存率60% |
| ポストマネー | 5.27億円 | 2.19億円 | 1億円÷今取るべき持分 |
| プレマネー | 4.27億円 | 1.19億円 | ポストマネー−1億円 |
目標収益率を50%から70%に上げるだけで、今取るべき持分は19.0%から45.6%に上がり、プレマネーは4.27億円から1.19億円に下がる。出口価値や年数を動かしても結果は大きく変わる。Damodaranも、予測値が交渉の材料になりやすい点などを批判している17。VCメソッドが示すのは一つの正解ではなく、交渉の幅である。
段階投資と希薄化——次の調達は「進 捗の後」に
DECの提案書は、Phase Iの成果を見てからPhase IIの資金を集める計画だった。ドリオも日付のない内部メモで、次の調達が会社にとって安くなるよう資金調達は進捗や成功の後に行うべきだと書き、経験の浅い経営者には最初の資金を限るのがよい訓練になるとも述べた18。考え方の点で、現代の段階投資(マイルストーン投資)に通じる。ただし、評価額の段階的な引き上げまで当時行われていたかは確かめていない。
数値例の前提(単純化した設例)
- 架空の会社が、事業化までに合計6億円を必要とする
- 一括調達:今、プレマネー3億円で6億円を調達する
- 段階調達:今、プレマネー3億円で1億円を調達し(シード)、マイルストーンの達成後にプレマネー15億円で5億円を調達する(シリーズA)
一括調達では創業者の持分は33.3%に下がるが、段階調達なら56.25%が残る。シード投資家の持分は25%から18.75%に薄まるが、その評価額は1億円から3.75億円に増える(未実現)。評価額が上がった後の調達なら、希薄化は損失を意味せず、創業者の希薄化も抑えられる。追加出資の義務がなければ、投資家はマイルストーン未達なら継続を見送れる。評価額が下がる調達(ダウンラウンド)や次の調達ができない場合は当てはまらない。
DECを除くと株価指数を下回る集計——リターンは少数の案件に偏る
HKはLilesを引いて、1946〜71年のARDの年率リターンを、DECを含めると14.7%、除くと7.4%、同じ期間のダウ工業株30種平均(DJIA)を12.8%と記す(図3)。ただし、年率の定義(純資産価値〈NAV〉基準か、配当や費用の扱いなど)は示されていない。HKは、1963年以降のDECの評価額の急上昇がポートフォリオ全体を圧倒し始めたとも述べる19。年率の差(7.3ポイント)は、DECが利益の何割を生んだかを示さない。
厳しく選んでも結果は偏る。ARDは1946〜73年に6,884件の事業計画を評価して120件(約1.7%)に出資したが、株式公開に至ったのは8社だった20。初期の成功例High Voltage Engineeringでさえ、20万ドルの出資が株式公開時に180万ドル(約9倍)だったとGompersは書く21。DECは桁が違った。
偏りはARDに限らない。Kerr、Nanda、Rhodes-Kropf(2014)によれば、1985〜2009年に初めてアーリーステージの資金を受けた米国のスタートアップの約55%は損失に終わり、投資額の5倍超を返したのは6%だけだったが、その6%が、投資先企業ごとの回収額の合計(手数料を引く前で、ファンドの純リターンではない)の約50%を占めた22。実務では「べき乗則(パワーロー)」と呼ばれがちだが、論文が示すのは大きく「偏った(skewed)」分布で、べき乗則を厳密に検証したものではない23。
上場クローズドエンド型の制約——ファンドの器は人と行動を左右する
ARDは、1940年投資会社法の規制を受ける、ニューヨーク証券取引所上場のクローズドエンド型(投資家が解約して資金を引き出せない形)の投資会社だった。HKによれば、投資先の議決権株式を3%を超えて持つにも同法の適用除外が要った24。
HKは、この器が三つの問題を生んだと論じる。第一に、株主が配当を求めるため、ARDは少なくとも一部の投資先から利息や配当、手数料を得る必要があった。成長に資金を使う初期の企業からそれを取れば、成長が遅れ、失敗の危険が高まる25。第二に、HKによれば、ARDの担当者への株式・オプションによる報酬は規制で制約され、給与と賞与に限られた。ドリオは1968年のメモで、これでは優秀な若手を引き留めにくいと嘆いた26。Waiteは、自分が株式公開まで導いた投資先の創業社長が1,000万ドルの資産を得た一方、自分の受取は2,000ドルだったと回想する27。第三に、1968年末のARDの株価は保有資産の価値に対して29.9%のディスカウントで、割安な上場投資会社は乗っ取りの標的にもなりうる28。
1958年に連邦法で中小企業投資会社(SBIC)の制度ができ、1959年には、一つの家族の資金だけに頼らない最初のVCの有限責任組合(LP)が生まれた。HKが整理する当時のLP型では、運用者(GP)が管理報酬に加えてキャピタルゲインの分け前を受け取り、管理報酬は出資金から払うので、報酬の財源として投資先の配当を必要としない(表4)29。ARDの幹部だったWilliam Elfersらは、1965年にLP型のGreylockを設立した30。
| 項目 | ARD(上場クローズドエンド型) | HKが整理する当時のLP型 |
|---|---|---|
| 資金の出し手 | 機関投資家と個人。上場後は株式市場で売買される | 当初は富裕な家族や個人、のちに大学基金・年金などの機関投資家 |
| 運用者の報酬 | 給与と賞与。HKによれば、株式・オプションによる報酬は規制(1940年法)で制約された | 管理報酬+キャピタルゲインの分け前(2008年時点の米国の典型は、出資約束額の年2%程度の管理報酬と利益の20〜30%) |
| 運営費の出どころ | 投資先からの利息・配当・手数料にも頼る | 出資金から管理報酬として払う |
| 投資先への要求 | 配当や利息を求めることがある | 報酬の財源として投資先の配当を必要としない |
| 期間 | 期限なし | 通常10年前後。延長や再投資は契約による |
| 利益の配分 | 会社形態 | 組合の段階で課税されずに投資家へ配分できる |
| 出資者の関与 | 上場会社の株主 | LPは経営に関与しない |
| 市場での評価 | 株価が資産価値を下回ることがある(1968年末は29.9%) | 上場しておらず、市場の株価はない |
HKは、資金調達の形がARDの機能を制約し、衰退に寄与したと結論づける。ただし、競争の激化や、ドリオが組織そのものを体現していたことによる後継の問題も挙げており、器だけを原因とはしていない31。
現代の実務への応用——持分の決め方からファンドの設計、出口まで
ARDとDECの史料から、VC投資と資金調達で使える確認の手順を五つ取り出す。
1. シードの持分は「必 要な持分」と「残 すべき持分」の両方から決める
シードの条件は、まずVCメソッドで目標収益率に必要な持分を出し、次に予定どおり調達を重ねたとき出口で創業者と経営陣に何%残るかをキャップテーブル(株主ごとの持分の一覧表)で確かめる(キャップテーブルと希薄化)。表3の目標70%なら、投資家が最初に45.6%を取り、既存株主が創業者だけなら残りは54.4%で、その後のラウンドやストックオプションのプールでさらに薄まる。経営陣の持分が小さすぎれば、事業を伸ばす誘因が弱まり、後の投資家もためらう。
持分の大きさは、支配の強さでもある。HKは、ARDが支配権を持つ投資先では、ドリオが社長の交代も辞さなかったと記す32。DECの条件は、どの資料に従ってもARD以外に23〜32%しか残らない設計だった。編集部の整理では、支配に必要な権利は取締役の選任や重要事項の拒否権といった契約で確保し、持分は創業者の誘因が残る水準にとどめる分け方ができる。両者が両立しないなら、価格で押し切るより、調達額を次のマイルストーンまでの資金に絞るほうがよい(評価手法の比較はスタートアップのバリュエーション)。
2. 段階投資は「何 が確かめられたら次に進むか」を先に決める
段階投資の価値は、次の調達までに不確実性がどれだけ減るかで決まる。その間に確かめること(試作品の性能、最初の顧客、1件当たりの採算など)を一つか二つに絞り、それに要る期間と資金から調達額を逆算する。試験装置で事業を立ち上げてから汎用コンピュータに進むというDECの提案書は、この順序に沿っていた。投資家は、次のラウンドで持分比率を保つための追加投資(プロラタ)に備えてリザーブを確保し、マイルストーンに届かなければ追加投資をしないことも選択肢に入れておく。
3. ポートフォリオは少数の大成功を前提に組み、成績は上位1件を除いても見る
リターンが偏るなら、ファンドの成否は少数の大成功で決まる。投資時には、成功時の出口価値×出口時の持分をファンドの規模と比べ、その1件がファンドの何割を返せるかを確かめる(必要なExit Valueの逆算)。投資社数とリザーブの配分も、ファンドの規模から逆算する(VCのポートフォリオ構築)。ファンドを選ぶ出資者(LP)は、過去の成績を上位1件を除いても計算する。大成功が再現できる選別と支援の力によるものかは、除いた後の成績や見送った案件の記録で確かめ、成功例だけの実績表の生存者バイアスにも注意する。
4. ファンドの器は、報酬と期間を通じて人材と行動を決める
日本のVCファンドで使われる投資事業有限責任組合(LPS)も、出資者(LP)と運用者(GP)を分ける組合型の器である。その契約では、管理報酬の算定基礎と水準、成功報酬(キャリー。運用者が受け取る利益の分け前)の配分、存続期間と延長の条件、運用の中心人物が抜けたときの扱いを確かめる。ARDが優秀な担当者を失った背景には、成果の分け前が届かない報酬の設計があった。運用担当者の報酬が給与と賞与に限られるCVCなどでは、大成功の際に成果と報酬の開きが人材の流出につながりうる(器の基本はファンドの構造)。
5. 出口は、ファンドの期限と保有の集中度から判断する
LP型のファンドは通常10年前後で清算するため、有望な投資先でも、期限内に売却などで回収するか、株式を現物で出資者に分配してファンドの保有を解消する必要がある。期限のない上場型のARDは、HBSの展示が引くオルセンの回想によれば、XeroxやHewlett-PackardなどがDECの買収に動いても応じなかった33。持ち続けたぶん、純資産はDEC 1社の値動きに大きく左右された。1社が純資産の大半を占めたら、①その会社に残る成長の余地とファンドの期限、②一部売却やセカンダリー取引で利益を実現する選択肢(VCのExit)、③分配を待つ出資者の資金需要を並べて判断する。現物分配は、売る時期の判断を出資者に委ねる方法でもある。
限界と異説——確かめられなかったこと
出資の最終契約書、ARDの1957年の年次報告書、DECの株式公開の目論見書、年率リターンの原典(Liles 1977)は確認できていない。HKの結論に反論する研究は見つからなかった34。ARDの時代の年率は、現代のファンドのIRRやTVPIと同列に比べられない。
よくある質問
ARDは世界で最初のベンチャーキャピタルですか。
断定はできません。HsuとKenney
DECへの7万ドルの投資は、結局何倍になったのですか。
一つの倍率では答えられません。研究者が引く3.55億ドルは1971年時点の利益
まとめ——数字は時点と定義で読み、ファンドの器は誘因で選ぶ
9頁の提案書と7万ドルから始まったDEC投資は、ARDの成績を左右するまでに育った。数字には資料による幅があるが、現代のVCの言葉で読み直すと、持分の釣り合い、次の調達までに減らす不確実性、少数の大成功への依存、運用者の報酬と期限の設計という、今日も確かめるべき論点がそろっている。
脚注
- 提案書(R1)のp.2とp.5(Phase Iの表)。白黒反転の複写を画像で確認しました。提案書の上の社名はDigital Computer Corporationです。HBSの展示(R2)によれば、二人は同じ年の1月にも4頁の提案書を出しています(1月版は本稿では未確認)。二人がMITリンカーン研究所を離れて創業したことは、CHMの解説(R3)とHBSの展示によります。↩
- 7万ドルの額は、HBSの展示・CHMの解説(R2・R3)、DECの社史(R4)、Hsu and Kenney(R5)、Gompers(R6)、Waite(R7)で一致します。社史(p.2)は、1957年8月23日にケン・オルセン、弟のスタン・オルセン、ハーランド・アンダーソン(社史の綴り)の3人が資本金7万ドルで事業を始めたと書き、創業者を2人とするHBS・CHMとは数え方が異なります。社史は1978年に刊行された会社自身の説明です。社名を変えたのは「コンピュータ」の会社では資金を集めにくいと助言されたためとCHMは記しますが、助言した人物は一次資料で特定できませんでした。↩
- ドリオが1946年にARDの社長になったことはHBSの展示(R8)、ハーバード・ビジネス・スクールで講義を持っていたことはHK(R5、著者版p.22〜23)とWaiteの回想(R7)によります。3.55億ドルはHK著者版p.21〜22で、原典のLiles(1977)p.83は本稿では確認できていません。HKの表現は「1971年(残りのDEC株を分配した時点)に3.55億ドルのgain」で、売却益・評価益・分配時の時価のどれかは明記されていません。↩
- 提案書(R1)のp.4(初期モデルの価格は約40万ドル)、p.5(Phase Iの表。初期費用1,700ドル、設備7,600ドル、部品13,000ドル、3か月の運転費18,900ドルの計41,200ドルに、予備50,000ドル)、p.7(Phase IIの追加資金約25万ドルと、その調達手段としてのARDによる追加の株式購入・試験装置事業の利益・その他)。いずれも創業者側の計画の数字です。Phase II初年度の計画貸借対照表(p.8)の普通株341,200ドルは、91,200ドルと250,000ドルの合計と一致します(編集部の照合)。提案書は、ARDが追加出資を約束したとは書いていません。↩
- 提案書(R1)のpp.2〜9を確認した範囲です。冒頭(p.2)はARDに新会社の設立資金を求める提案だと述べるだけで、持分・価格・貸付の条件は書かれていません。条件は提出後の交渉で決まったと考えられますが、交渉の記録は確認できていません。↩
- 70%:HBSの展示(R2)はARDが「提示した」条件として、CHM(R3)とDECの社史(R4)は取得した持分として記します。この3資料は同じ社史や口承に由来する可能性があり、互いに独立とは限りません。68%:Waite(R7)は「その後の資金調達の前」の持分と限定しています(2000年刊の回想)。77%:Gompers(R6)p.6は根拠の注記を付けていません。貸付3万ドル:HBSは一次の根拠を示していません。15万ドル:Waiteは「持分を追加しない貸付で、リスク資本ではなかった」と述べています。HBSの記す株式7万ドルと貸付3万ドルの合計100,000ドルは、提案書のPhase Iの必要現金91,200ドルを上回ります(編集部の照合。貸付の額は資料で割れます)。↩
- CHMの解説(R3、19世紀の工場の約8,680平方フィートを借りた)とHBSの展示(R2、以前はAmerican Woolen Companyが使っていた工場)。↩
- DECの社史(R4)p.4・p.22の「FINANCIAL SUMMARY」(画像で確認)。会計年度の期末月は該当頁に書かれていません。1971会計年度の純利益は10,600,000ドル、株主資本は125,854,000ドルです。約22倍(146,849,000÷6,535,502)は編集部の計算です。↩
- DECの初期の営業責任者テッド・ジョンソンは「創業10年目に株式を公開した」と回想しています(R9)。公開の日付・価格・主幹事や、公開時のARDの持分と評価額を記す二次資料はありますが、一次資料で確認できなかったため使っていません。↩
- HK(R5、著者版p.22・p.33)は1971年に「残りの」DEC株を分配したと書いており、それ以前に一部が売却・分配された可能性があります。Textronとの取引は、HBSの展示(R10)が1972年に合併提案を受諾、Gompers(R6)が1972年に買収とし、HKは1973年に売却とします。合意と完了の時期の違いかもしれませんが、確認できていません。↩
- HK(R5、著者版p.21〜22。Liles 1977 p.83を引用)とGompers(R6、p.6。出典の注記なし)。Gompersの「14年」は1957年から1971年までです。4億〜5億ドルはWaite(R7)が「Textronへの売却でDEC株が株主に分配された時点」の価値として、4億ドル超はMIT Technology Reviewの書評(R11)がAnte(2008)を要約して記すもので、いずれも評価の日付や定義は分かりません。3.55億ドルとの差が評価時点の違いによるかどうかも確認できていません。↩
- 編集部の計算:ポストマネー=70,000ドル÷持分、プレマネー=ポストマネー−70,000ドル。68%と77%の比は、ポストマネーが102,941÷90,909=約1.13倍、プレマネーが32,941÷20,909=約1.58倍です。転換の条件やワラントの有無、最終契約の内容は確認できていません。↩
- Fortune(1952)の記述はHK(R5、著者版p.28)の引用によります(原記事は未確認)。Fortuneは、資金の一部を手形や社債で出し、残りを議決権株式に投じるのが通例だと書いています。ARDは1961年の年次報告書で、資金提供に決まった公式はないとも述べています(同)。Waite(R7)の回想は「Venture Capital, a Small ’60’s Community」の節で、金額と約65%は記憶による概数です。↩
- 提案書(R1)のpp.2〜9に、出口の価値、目標とする収益率、株式の価格の記述はありません。ARDの内部でどう価格が検討されたかは確認できていません。ARDがVCメソッドのような逆算をしたという記録も見つかっていません。↩
- Damodaran(R12)の「venture capital approach」の節(Step 1〜4)。出口の価値を株式価値で求める場合(利益×PER)と、企業価値で求める場合(売上高×EV/売上高倍率)を区別しています。↩
- Damodaran(R12)のTable 2(2009年の論文が示す米国の目安。初期段階40〜60%、第2段階35〜50%、ブリッジ・IPO段階25〜35%)。同じ論文はTable 3で、VCが実際に得たリターンがこれらの目標を大きく下回ることを示し、高い目標収益率には事業が生き残れない可能性が織り込まれていると説明しています。↩
- Damodaran(R12)の同じ節。予測値が交渉の材料になること、短い予測期間と倍率で長期の不確実性を避けていること、生き残れない確率を割引率に入れると時間がたっても率が変わらないことなどを問題に挙げています。表3は、割り引いた価値をポストマネーとして扱い、残存率による希薄化の調整を加えた編集部の設例で、Damodaranの4ステップとは手順が異なります。↩
- HK(R5、著者版p.32)が引くドリオの日付のない内部メモ。原本(HBS所蔵)は本稿では確認できておらず、当事者の説明です。このメモの考え方がDECに実際に適用されたかどうかも確認できていません。提案書の二段階の構成は創業者側の設計です。↩
- HK(R5)著者版p.21(Liles 1977 p.83を引用。原典は未確認)。年率の算出方法と、DECを「除く」計算の方法は示されていません。株価(市場価格)で測った成績は、これとは別の値になりえます。HKの「圧倒」は著者版p.19で、ドリオが1960年代に投資を分散しようとした理由の一つかもしれない、という文脈で述べられています。Gompers(R6)p.6は、ARDが26年間に稼いだ金額のほぼ半分がDECから生じたと書きますが、「稼いだ金額」の定義と出典は示されていません。年率の差は、複利の年率が足し算で分解できないため、DECの寄与の割合を表しません。↩
- HK(R5)著者版p.15のTable 2(ARDの記録をHKが集計)。約1.7%(120÷6,884)は編集部の計算です。株式公開8社の記述は著者版p.23の注15で、HKはM&Aによる売却が目立ち、しばしば利益を生んだとも書いています。↩
- Gompers(R6)p.6(1955年の株式公開時の価値)。出典の注記はなく、評価の定義は確認できていません。約9倍は編集部の計算です。HK(R5、著者版p.25)も、High Voltageを初期の非常に利益の大きい投資と記しています。↩
- Kerr, Nanda and Rhodes-Kropf(R13)の序論と脚注3。データはThomson Venture Economicsで、出口時の粗リターン÷総投資額で投資先を分類しています。公表されていない買収などの欠損は仮定で補っています。ファンドの純リターンの分布ではありません。同論文はSahlman(2010)を引いて、11のアーリーステージVCの投資の64%が損失で終わり、5倍超の8%が粗リターンの約60%を生んだという集計も紹介しています(Sahlmanの原資料は未確認)。↩
- Kerrほか(R13)は「skewed」と表現し、こうした事業のリターンは中央値が低く分散が非常に大きいと述べています。Scherer and Harhoff(R14)は、発明・イノベーションの8つのデータセットで上位10%が総リターンの48〜93%を占めたと要旨で報告しています(VCに限ったデータではなく、本稿では要旨のみ確認)。Hall and Woodward(R15)は、VCの支援を受けた企業の約73%で起業家が出口時に何も受け取らなかったと推計しています(起業家の受取の分布で、ファンドのリターンではありません)。べき乗則そのものを厳密に検証した査読論文は、本稿の調査では確認できませんでした。↩
- 上場の時期は、HBSの展示(R10)が1961年まで、Waite(R7)が1960年の公募(1,800万〜2,000万ドル)と回想し、HK(R5)は年を明記していません。当初の資本は、1947年2月10日までに3,581,750ドル(目標5,000,000ドル、最低3,000,000ドル。個人が46%)でした(HK著者版p.12〜14。ARDの1947年の報告書からの再掲)。適用除外の条文や、それが認められた理由(創設者の地位や機関投資家の出資確約)はHKの記述・推測で、条文の原典は確認していません。↩
- HK(R5)著者版p.28〜29(第7節)。ARDの投資のうち株式だけの案件は34%、負債だけ(ワラント付きを除く)は15%で、残りは両方を組み合わせていました(1946〜73年。HKがARDの年次報告書から分類)。HKは、どの投資先がARDに手数料を払っていたかは特定できなかったと注記しています。↩
- HK(R5)著者版p.30〜31。禁止規定の条文はHKも示していません。Waite(R7)は、ドリオが一時DECの株式のオプションをARDの社員に与えたものの、SECがそれも認めなくなったと回想しており、規制の運用には幅があります。メモの原本は未確認です。↩
- HK(R5)著者版p.31がWaite(2000)を引いて記すOptical Scanningの例。MIT Technology Reviewの書評(R11)はAnte(2008)を引いて「2,000ドルの昇給」と書いており、賞与か昇給かは資料で異なります。当事者の回想で、金額は検証できません。↩
- HK(R5)著者版p.28(Liles 1977 p.80を引用)。分母は「現金・準現金とポートフォリオの97.6%」で、算式の細部は確認できていません。↩
- SBIC制度とDraper, Gaither & AndersonはHK(R5)著者版p.25〜27。HKによれば、SBICは政府の補助付きの資金を使え、Draper, Gaither & Andersonは4つの富裕な家族から資金を得て設立され(HKの表現は「non-single family」)、1967年に清算されて後継のファンドはありませんでした。HBSの展示(R10)は根拠法を1953年の法律と書いていますが、HKの1958年が妥当とみられます。LP型の特徴はHK著者版p.27。現代の水準は、Hall and Woodward(R15、ワーキングペーパー版§2)が、出資約束額(約定額)の年2%程度の管理報酬と利益の20〜30%のキャリーを典型とするものです(米国、2008年時点)。↩
- HK(R5)著者版p.22・p.27。Greylockの共同創業者は、HKがElfersとMorgan、Waite(R7)がElfers・Waite・Gregoryとしており、資料で異なります。HKはこのほか、ARDの出身者が1970年にFidelity Ventures、1971年にPalmer Partnersを設立したと記します(設立年が1年ずれる資料もあります)。↩
- HK(R5)の要旨、著者版p.25、p.31の注21。注21でHKは、成功を経験した担当者が自分のVCを率いたいと考えたこと、ドリオが組織そのものを体現していたことを、Elfersの回想として挙げています。HKは、現在のVC産業をARDに帰するのは誇張だが、ARDの出身者がボストンのVCの成長の中心にいたとも書いています。↩
- HK(R5)著者版p.32。ARDの1950年の年次報告書を引き、Circo Productsで資本の再構成により議決権の支配を取得し、新しい経営者を据えた例を挙げています。同じ箇所でHKは、ドリオが社長の交代を通常の方針とはせず、交代が遅いと批判されたことも記しています。DECでARDが支配権をどう使ったかは確認できていません。↩
- HBSの展示(R2)がAnte(2008)p.180を引いて記すオルセンの回想。買収の打診の時期・相手・条件は確認できていません。純資産がDECに大きく左右されたという記述は、HKの「圧倒」の記述(前出)に基づく編集部の整理です。↩
- 出資条件の根拠として他の資料が引くAnte(2008)や、ARDの株価で測った成績を論じるとされるNicholas(2019)の本文も、本稿では読めていません。ARDとドリオの文書(ARD Papers、Doriot Papers)はHBSのベーカー図書館が所蔵しています(R16)。↩
- HK(R5、著者版p.2・p.10〜11)。HKは同時期の家族系の投資組織としてRockefeller Brothers、J. H. Whitney、Payson & Traskを挙げ、ARDを家族の資金によらない唯一のVC会社とも書いています。HBSの展示(R8)は、ARDを「最初の公募資金によるVC会社であり、戦後に設立された最初期の近代的VC会社の一つ」と書きます。HKはまた、現在のVC産業をARDに帰するのは誇張だとしています。↩
参考文献(2 026年10月確認)
- R1 Digital Equipment Corporation, A Proposal to American Research and Development Corporation, 27 May 1957(提案書上の社名は Digital Computer Corporation。Computer History Museum 所蔵、受入番号 102664472、Harlan Anderson 寄贈) computerhistory.org (参照箇所:pp.2・4・5・7・8(白黒反転の複写を画像で確認)。脚注1・4・5・14の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R2 Baker Library Historical Collections, Harvard Business School, “DEC,” Georges F. Doriot: Educating Leaders, Building Companies(オンライン展示) library.hbs.edu (参照箇所:本文第1〜4段落と脚注43・45・46。脚注1・2・6・7・33の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R3 Computer History Museum, “Digital Equipment Corporation,” CHM Revolution(オンライン展示) computerhistory.org (参照箇所:DECの項の本文と図版の説明。脚注1・2・6・7の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R4 Digital Equipment Corporation (1978) Digital Equipment Corporation: Nineteen Fifty-Seven to the Present, Maynard, MA: Digital Equipment Corporation deramp.com (参照箇所:p.2(GENERAL 1957)、p.4・p.22(FINANCIAL SUMMARY)。画像で確認。脚注2・6・8の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R5 Hsu, D. H. and M. Kenney (2005) “Organizing venture capital: the rise and demise of American Research & Development Corporation, 1946–1973,” Industrial and Corporate Change 14(4): 579–616(著者版 Advance Access) kenney.faculty.ucdavis.edu (参照箇所:要旨、第6〜8節、Table 2(頁は著者版・全38頁のPDF頁)。脚注2・3・10・11・13・18・19・20・21・24・25・26・27・28・29・30・31・32・35の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R6 Gompers, P. A. (1994) “The Rise and Fall of Venture Capital,” Business and Economic History 23(2): 1–26 thebhc.org (参照箇所:p.6(画像で確認)。脚注2・6・10・11・19・21の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R7 Waite, C. “Done Deals – Waite,” Udayan Gupta ed. (2000) Done Deals: Venture Capitalists Tell Their Stories, Harvard Business School Press からの抜粋, HBS Working Knowledge, 2001年3月26日 hbswk.hbs.edu (参照箇所:冒頭、「Investing in Digital Equipment Corporation」「Venture Capital, a Small ’60’s Community」の節。原サイトは自動取得を受け付けないため、Internet Archive の保存版で閲覧:https://web.archive.org/web/20240223145713/https://hbswk.hbs.edu/archive/done-deals-waite。脚注2・3・6・11・13・24・26・30の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R8 Baker Library Historical Collections, Harvard Business School, “ARD,” Georges F. Doriot: Educating Leaders, Building Companies(オンライン展示) library.hbs.edu (参照箇所:本文第2段落。脚注3・35の根拠。閲覧日:2026年10月)
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- R10 Baker Library Historical Collections, Harvard Business School, “Financing New Ideas,” Georges F. Doriot: Educating Leaders, Building Companies(オンライン展示) library.hbs.edu (参照箇所:「In 1960, ARD invested…」「A possible solution…」の段落。脚注10・24・29の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R11 Pontin, M. W. (2008) “Founding Father,” MIT Technology Review, 2008年6月23日(Spencer E. Ante, Creative Capital の書評) technologyreview.com (参照箇所:本文第6〜8段落。脚注11・27の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R12 Damodaran, A. (2009) “Valuing Young, Start-up and Growth Companies: Estimation Issues and Valuation Challenges,” Working Paper, Stern School of Business, New York University pages.stern.nyu.edu (参照箇所:「venture capital approach」の節(Step 1〜4、Table 2・3)。脚注15・16・17の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R13 Kerr, W. R., R. Nanda and M. Rhodes-Kropf (2014) “Entrepreneurship as Experimentation,” Journal of Economic Perspectives 28(3): 25–48 doi.org (参照箇所:序論と脚注3。脚注22・23の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R14 Scherer, F. M. and D. Harhoff (2000) “Technology policy for a world of skew-distributed outcomes,” Research Policy 29(4–5): 559–566 doi.org (参照箇所:要旨のみ。脚注23の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R15 Hall, R. E. and S. E. Woodward (2010) “The Burden of the Nondiversifiable Risk of Entrepreneurship,” American Economic Review 100(3): 1163–1194(NBER Working Paper 14219, 2008) nber.org (参照箇所:ワーキングペーパー版§2・§3.1・§4、AER版の要旨。脚注23・29の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R16 Baker Library Historical Collections, Harvard Business School, “Archival Collections,” Georges F. Doriot: Educating Leaders, Building Companies(オンライン展示) library.hbs.edu (参照箇所:所蔵資料の案内。脚注34の根拠。閲覧日:2026年10月)
※本記事は教育目的の一般的な解説であり、投資助言ではありません。VCメソッドと段階投資の数値例は単純化した設例で、実在の企業・案件とは関係ありません。DEC投資の持分・貸付・評価額は資料によって異なり、出資の最終契約書は確認できていません。アイキャッチ画像は生成AIによるイメージで、実在の場所・製品・人物を再現したものではありません。