想定読者:M&Aや買収ファイナンスを学ぶ方、金融機関や事業会社でM&Aに関わる方、近代史に関心のある方
前提知識:不要(ブリッジローンなどの用語は本文で説明します)

1875年11月18日、英国首相ベンジャミン・ディズレーリはヴィクトリア女王に宛てて、エジプト副王イスマーイールは「破産の前夜」にあり、スエズ運河会社の株を手放したがっている、今月30日までに300万〜400万ポンドがどうしても必要だという、と書き送った1。

運河はインドへの航路で、のちに蔵相ノースコートは議会で、英国船のトン数について73%という数字を挙げている2。だが、政府の支出に必要な議会の承認を得ようにも、議会は閉会中だった。蔵相は22日、議会の同意なしに資金を集める方法はなく、できるのは議会に承認を求めると約束し、副王には資本家から先に金を受け取ってもらうことくらいだ、と首相に書いている3。

契約で取引を固め、つなぎの資金で代金を払い、あとで恒久的な資金に置き換える。この一節には、現代の買収ファイナンスの骨格が含まれている。本稿は、売買協定の本文、英国議会の議事録、書簡を収めた公式伝記などの一次資料から、この取引を買収ファイナンスの言葉で読み直す。

年表:本稿に登場する主な出来事
年月日出来事
1869年副王、保有株の利札(配当を受け取る権利)25年分を運河会社に譲渡
1875年10月宗主国オスマン帝国が破綻(バックルの記述)
11月17日英国の閣議が株式取得の方針を原則決定。17〜18日ごろ、首相秘書コリーがロスチャイルド商会の協力の約束を得る
11月24日閣議が副王の売却の申し出(400万ポンド、利札が戻るまでエジプトが年5%を払う)を受諾。ディズレーリが女王に書簡
11月25日カイロで売買協定に署名(26日に株式を英国領事館に預託)
12月〜76年1月ロスチャイルド商会が代金を副王側に段階的に提供
1876年2月21日下院の委員会が4,080,000ポンドの支出を議決(23日に下院決議)
3月6日・10日下院が国庫債券(年3.5%)の法案を可決。10日、第1回150万ポンドをロスチャイルド商会に払うよう大蔵省が指示
4月・5月2日エジプトが自国の財務省証券の支払いを停止。債務を管理する国際機関(Caisse)を設立
8月15日スエズ運河(株式)法が成立
1893年蔵相、英国保有株の推定価値を17,750,000ポンドと答弁
1894年7月1日英国保有株が配当に参加
出典:協定本文​(スエズ運河(株式)​法1876年の​前文)、​英国下院議事録​(1876年2〜3月、1893年)、​Buckle​(1920)​第5巻12章、​ロスチャイルド​文書館、​Tunçer​(2016)を​もとに​編集部作成。​12月の​資金の​額と​日付は​資料に​よって​異なる。

破産の​前夜の​売り手と、​閉会中の​議会——協定までの​10日間

副王の背後には膨らんだ対外債務があった。経済史家のトゥンチェルによれば、エジプトは1875年には担保に出せる税収のほぼすべてを担保に入れ、新たな借入が難しくなっていた。宗主国オスマン帝国の債務不履行も、エジプトの海外での信用を直撃した。ディズレーリの公式伝記を書いたバックルは、その破綻は前月で、副王は12月1日に公債の利払いを控えていたと記す4。

バックルによれば、副王はフランス系の金融業者に全株を368万ポンドで売る選択権を与え、相手が資金集めに行き詰まると、株と会社の純益15%の権利を担保に340万ポンドを3か月・年18%で借りる契約に署名した。バックルはこれを「偽装された売却」と呼ぶ。ただし典拠のフランス側の文献は本稿では確かめられず、蔵相は議会で別に400万ポンドの申し出があったと説明していて、金額も合わない5。

英国の閣議は11月17日に取得を原則として決め、バックルによれば、首相秘書のコリーが17日か18日にロンドンのロスチャイルド商会(N M Rothschild & Sons)から協力の約束を得た6。副王は23日、全株を400万ポンドで売り、利札が戻るまで英国が受け取れない配当の代わりに、年5%の利息を払うと申し出た。閣議は24日に受け入れ、25日にカイロで協定が署名された。バックルは、取引の全体が10日で終わったと書く7。同じ24日、ディズレーリは女王に「It is just settled: you have it, Madam.」と書き送った。会話として語られることの多いこの言葉は、書簡の一文である8。

何を、​いくらで​買ったのか——176,602株と​「売り手が払う」年5%

英国側は副王の持株を177,642株と見込んでいたが、実際は1,040株少ない176,602株で、代金はその分を比例で差し引いた3,976,582ポンドになった。発行済みの400,000株に対する割合は、編集部の計算で約44.15%である9。

この株からは当分、配当が入らなかった。副王は1869年、運河会社への3,000万フランの債務を返すため、176,000株の利札(配当を受け取る権利)25年分を同社に譲り渡していたからだ10。そこで協定は、利札が戻るまで、エジプト政府が英国政府に購入代金の全額に対する年5%(編集部の計算で年約198,829ポンド)を半年ごとにロンドンで払うと定めた。英国の保有株が配当に加わるのは、1894年7月1日からだった11。

つなぎ資金から​国庫債券へ​——三段階の​資金調達

現代の買収では、代金の支払いまでに社債や増資が間に合わないとき、短期のブリッジローン(つなぎ融資)で払い、あとで恒久的な資金に借り換える。資金の出どころと使い道を一つの表にしたものがSources & Uses(調達と使途)である。この二つの道具で1875年の取引を整理する。

取得資金の三段階図1 取得資金の三段階(1875〜76年)① 契約で取引を固める(1875年11月25日)エジプト副王英国政府株式176,602株26日に英国領事館へ預託英国政府議会契約の承認を勧める約束(議会は閉会中)② つなぎ資金(1875年12月〜76年1月)ロスチャイルドエジプト副王代金3,976,582ポンドを段階的に提供英国政府ロスチャイルド手数料2.5%(99,414ポンド)③ 恒久資金への置き換え(1876年2〜3月)議会英国政府4,080,000ポンドの支出を議決(2月21日)国債償還委員会英国政府資金を出し国庫債券を保有(年3.5%、1912年までに償還)英国政府ロスチャイルド3回の返済計画第1回150万ポンドの支払予定(3月10日の授権)④ 取得後:売り手が買い手に払う(〜1894年)エジプト英国政府購入代金全額に年5%利札が戻るまで半年ごと矢印は資金・株式・約束の向き。金額の単位はポンド。12月の資金の額と日付、期間中の5%の扱いは本文を参照。
出典:協定本文​(スエズ運河(株式)​法1876年の​前文)、​英国下院議事録​(1876年2月21日、3月3日・6日)、​ロスチャイルド​文書館​(大蔵省の1876年3月9日付通知)を​もとに​編集部作成。​12月の​資金の​額と​日付は​資料に​よって​異なる。

第一段階は契約である。協定は英国政府を買い手とし、政府は議会に契約の承認を勧めると約束した。第二段階のつなぎ資金について、協定は、12月1日に100万ポンドをロスチャイルド商会の手元で副王側の処分に置き、残りを12月と1月に用意すると定めた12。前蔵相ロウの整理では、法的には政府が株を買い、代金を商会から借りた形である。野党指導者のグラッドストンは、株を担保にした一時的な前貸しにとどめていれば、担保の価値を確かめたうえで議会も縛られずに判断できたと主張した13。買うのか、担保に取って貸すのか。この選択は現代でも繰り返し現れる。

第三段階が恒久資金への置き換えだ。議会は1876年2月21日に4,080,000ポンドの支出を認め、3月には、年3.5%の国庫債券を市場に出さずに国債償還委員会(国債の償還資金を管理する政府の機関)に持たせ、1912年までに返していく法案を下院が可決した。大蔵省は、第1回の150万ポンドを3月10日にイングランド銀行から支払う手配をしたと、商会に通知している14。

表1 取得の使途・資金調達の段階・返済原資の整理
区分項目金額(ポンド)
使途株式の購入代金(176,602株)3,976,582
使途ロスチャイルド商会への手数料(代金の2.5%)99,414
使途諸経費・端数4,004
使途の合計下院が議決した支出の上限(1876年2月)4,080,000
調達①つなぎ(取得時)ロスチャイルド商会の前貸し(1875年12月〜76年1月)代金相当額
調達②恒久(置き換え)国庫債券(年3.5%、国債償還委員会が保有、1912年までに償還)発行上限4,080,000
返済の原資(1894年まで)エジプトの支払期間:購入代金の年5%年約198,829
返済の原資(その後)運河会社の配当業績などに依存
出典:協定本文、​英国下院議事録​(1876年2月14日・21日、​3月3日・​6日)を​もとに​編集部作成。​諸経費・​端数と​年額は​編集部の​計算。​つなぎ資金と​国庫債券は​時点の​異なる​調達で、​足し​合わせない。​国庫債券の​金額は​発行上限で、​蔵相は​3月6日、​債券の​発行を​400万​ポンドにと​どめ、​8万ポンドを​当年度の​剰余から​払う​考えを​示した​(最終的な発行額は未確認)。

表1のとおり、議会は代金に手数料と諸経費まで含めて枠を決めた15。返済の原資はエジプトの年5%で、蔵相は、副王が払い続けること、利札が戻った後も運河会社が5%を払い続けることを条件に、約36年で完済できると説明した16。編集部の試算では、400万ポンドを年3.5%・半年ごと72回の均等払いで返すには年約196,288ポンドが要り、エジプトの年額との比は約1.01倍にすぎない17。

手数料2.5%は​高かったのか——期間で​測るか、​約束の​対価と​みるか

手数料は代金の2.5%、99,414ポンドで、蔵相は「手間とリスク」の対価と説明したが、大蔵省の幹部もその大きさに驚いていた18。グラッドストンは、商会が受け取るのは副王が払う年5%と手数料で、資金の拘束を3か月とみれば手数料は年率10%、合わせて15%になる、それが英国の信用の値段か、と皮肉った。3か月は本人の仮定である19。年率は期間の仮定で大きく変わり、2か月なら15%、5か月なら6%になる(図2)。

手数料2.5%の年率換算(設例)図2 手数料2.5%を年率に直すと(設例)資金を拘束した期間ごとに、単利の年率に直した値(期間中の利息5%は含まない)1か月30%2か月15%3か月10%(グラッドストンの仮定)4か月7.5%5か月6%6か月5%グラッドストン:3か月なら10%、利息5%を足して年15%実際の拘束期間は史料で確定できない(送金は1875年12月〜76年1月、第1回の返済は76年3月10日)計算式:2.5%×12÷拘束月数(編集部の計算)
編集部作成。​単純化した​設例で、​実際の​拘束期間を​示す​ものではない。​グラッドストンの​発言は​英国下院議事録​(1876年2月21日)。

ディズレーリは、手数料は利息ではなく、署名直後の100万ポンドに続いて翌日に200万ポンドを金貨で求められうる、その約束への対価だと反論した20。商会の側も、議会が購入を認めないという「遠いが想定できる」リスクを挙げている21。期間中の5%の利息については、副王の5%を返済まで商会が受け取るという蔵相の説明と、政府に請求するという商会の書面が食い違ったまま残った22。

編集部の整理では、グラッドストンは使った期間に対する資金の値段を、ディズレーリは短い予告で巨額を出すという約束の値段を測っていた。後者は、迅速な資金提供を約束する対価という点で、現代の引受やコミットメントに関する手数料と比べられる。ただし、未使用の融資枠にかかるコミットメントフィーと同じ料金の仕組みではない。年率で測れる費用と、年率には現れない確実性の価値は、分けて評価すべきものだ。

発行済み​株式の​約44%、​議決権は​10票——少数持分の​価値と​限界

運河会社の定款は、1人の株主の議決権を最大10票に限っていた。政府が買う前にそれを知っていたかは議会で争われ、蔵相は承知していたと反論している23。蔵相は、票は「数えられるだけでなく、重みで測られる」とし、経営に英国の代表3名を加える交渉が進んでいると説明した。反対派の議員は、10票は票がないのと同じだと応じた。株式の多数はフランス側に残り、英国は支配株主ではなかった24。

コントロールプレミアム(支配権を得るために上乗せされる価格)は、議決権で経営を動かせることへの対価で、ダイクとジンガレスによれば国や取引で−4%から+65%まで大きく違う25。議決権が10票に限られた英国の持分に、この理論はそのまま当てはまらない。編集部の整理では、英国の持分の価値は、大量の株が誰の手に渡るか分からない事態を防いだこと26と、最大の利用者として経営陣と交渉する足場を得たことにあった。

資金繰りに​追われた​売り手——繰り​延べられた​配当と​年5%

副王が切迫して資産を手放したのは初めてではない。1869年に譲った利札について、蔵相は、その代わりに会社が発行した証券がのちに7,000万フランを超える値になったとし、副王は将来の価値を考えずに手放したと評した。買い手の側の評価である27。財務の制約を抱えた売り手が本来の価値より低く売らされることは、シュライファーとヴィシュニーの理論やプルヴィーノによる航空機取引の実証でも知られる28。ただし、代わりのきかないスエズ株には比べられる取引がなく、1875年の価格が割安だったかは検証できない。

構造で目を引くのは、配当が戻るまでの穴を売り手が利息で埋めた点だ。セラーノート(売り手が代金の一部を買い手に貸す形の支払い)に似ているが、お金の向きは逆である。野党のハーティントン卿は、取引を「配当が繰り延べられた株式(200万ポンド)」と「残り200万ポンドを年10%で貸した貸付」に分けてみせ、蔵相は、ナイフを刃と柄に分けて値付けするようなものだと退けた29。当時の政治の場での主張だが、現代でいえば、価値を要素に分けて考える発想に近い。

しかも、払い手の信用は脆かった。エジプトは協定の約5か月後の1876年4月に財務省証券の支払いを停止し、5月には債務を管理する国際機関が置かれた。議会でも、エジプトの5%は歳入への優先的な請求権ではないと指摘されていた30。

1893年の​推定価値は​取得費用の​約4.4倍——ただし​投資​リターンではない

取得費用と1893年の推定価値図3 取得費用と1893年の推定価値4,075,996ポンド1875年取得費用(代金+手数料)17,750,000ポンド1893年推定価値(蔵相の答弁)約4.4倍(編集部の計算)・評価の方法は答弁に示されていない・価値の変化だけの倍率で、エジプトの年5%や 国庫債券の利払いを含まない・英国保有株の配当参加は1894年7月1日から・政府は「政治的な取引」として取得を説明した
出典:英国下院議事録​(1876年2月14日、​1893年12月5日)を​もとに​編集部作成。​倍率は​編集部の​計算。

1893年、蔵相ハーコートは、英国保有株の推定価値を17,750,000ポンドと答弁した31。代金と手数料を合わせた取得費用の約4.4倍にあたる32。ただし評価の方法は示されておらず、倍率はエジプトの5%や国庫債券の利払いを含まない。ディズレーリ自身が、この購入を金融投資としては勧めない、政治的な取引として勧めると議会で述べ、政府は副王が続けて売りに出した純益15%の権利も買わなかった33。価値の上昇は目的でなく結果である。

現代の​実務への​応用——買収​ファイナンスで​確かめる​五つの​こと

表2に、1875年の取り決めと現代の買収ブリッジの似ている点と違う点をまとめた。そのうえで、判断の型を五つ挙げる。

表2 1875年のつなぎ資金と現代の買収ブリッジ:似ている点と違う点
観点1875年の取り決め(史料で確認できること)現代の買収ブリッジ(一般的な形)
目的議会の承認と恒久資金の手当てまでの時間を埋める社債・増資・資産売却などの恒久資金が整うまでの時間を埋める
当事者買い手は英国政府。ロスチャイルド商会が代金を副王側に提供し、政府が後で返済買い手(または買収のための会社)が銀行などから借り、恒久資金で返済
確実性の示し方首相の要請と商会の約束。条件は大蔵省議事録と商会の書面に残るが、両者に食い違いがあるコミットメントレターで融資を約束し、貸し手が資金を出さなくてよい場合を前提条件で限定する
対価手数料2.5%(99,414ポンド)。期間中の5%の扱いは資料で食い違う手数料(実行時・未使用枠・期間に応じたものなど)と利息
借り換えの不確実性議会が購入を認めるか(貸し手側は「遠いが想定できる」リスクと説明)市場環境、金利、借り手の業績や格付。借り換えられないリスクは主に借り手が負う
恒久資金年3.5%の国庫債券を国債償還委員会が保有(市場に出さない)。エジプトの年5%で元利を払う計画社債、長期の借入、増資、資産売却の代金など
編集部作成。​1875年の​欄は​協定本文、​英国下院議事録、​Buckle​(1920)に​よる。​現代の​欄は​一般的な​形を​示した​もので、​個々の​契約に​よって​異なる。

1. ブリッジローンは​時間と​確実性を​買う。​借り換えの​道筋と​費用を​同時に​決める

使う場面は、売り手が短い期限と資金の確実性を求め、恒久資金が間に合わないときだ。確かめるのは、コミットメントレターの前提条件(貸し手が資金を出さなくてよい場合)、サートファンズ​条項(融資の実行を確実にする契約条件。資金調達の確実性条項)への対応、満期と延長の条件、借り換え先である。費用は手数料と利息の総額を想定期間で年率に直し、期間が延びたときの増え方も見る。そのうえで、年率に現れない確実性の価値を、競合の有無や売り手の期限と照らして判断する。1875年は借り換えが議会の議決という一点にかかり、その承認リスクを貸し手も意識していた。現代のブリッジでは、市場環境や業績・格付しだいで借り換えられないときの金利上昇や満期の到来を、主に借り手が負う。国家の信用は徴税権に、企業の信用は事業のキャッシュフローに支えられ、二つの借り換えのリスクは性質が違う。資産売却・増資・延長といった代替まで、署名の前に決めておく。詳しくはアクイジションファイナンスとフィーの​実効コストの解説を参照。

2. Sources & Usesは​手数料と​端数まで​含め、​株数と​返済原資を​突き合わせる

1876年の枠は代金ちょうどではなく、手数料と諸経費を含めた額だった。調達は使途のすべてを覆う必要がある。英国側は株数を1,040株多く見込んでいたが、協定が比例で代金を直す定めを置いていたため、差は自動的に調整された。現代でも、署名の前に発行済株式数・新株予約権・自己株式を確かめ、違っていたときの価格の直し方を契約に書く。恒久資金では、返済の原資と元利払いを突き合わせる。1875年の計画では、エジプトからの年額は均等払いの設例の年間元利払いの約1.01倍で、上回る分は約1.3%にすぎない。原資は、配当に参加するまではエジプトの信用、その後は運河会社の配当能力に依存していた。払われないときの手当て(当時は一般の歳入)を最初から決めておく。

3. 少数持分は、​持株比率より​権利の​中身で​測る

マイノリティ​出資では、持株比率より先に、定款の議決権の上限や種類株式、株主間契約で得られる拒否権・取締役の指名権・情報を求める権利を読む。約44%が10票になったのは、定款の一つの規定による。「買う前に知っていたのか」が議会で争われたように、確かめた内容を記録に残すことも説明責任に関わる。そのうえで、取引関係や規制上の立場など持分以外の影響力を別に評価し、それが続くかを見る。権利の設計はMinority PE​投資の​ガバナンス​設計が詳しい。

4. 資金繰りに​追われた​売り手とは、​期限・​代替案の​実質​コスト・後​払いの​信用を​見て​交渉する

ディストレスト​M&Aで確かめることは三つある。第一に、売り手の資金の期限(1875年なら12月1日の利払い)と、交渉に残された時間。第二に、売り手の代替案の実質コストだ。バックルに従えば、フランス側の担保付き借入は3か月・年18%で、返せなければ株と純益15%の権利を失う条件だった。売り手が何を失い何を払うかで比べると、買い手が出せる条件の幅が見える。第三に、取引の後に売り手から受け取るものの信用である。英国の年5%は約19年にわたり、協定の約5か月後に財務省証券の支払いを止めたエジプトの信用に依存していた(支払いの実績は本稿では確認していない)。現代なら、価格調整や補償など売り手の後払いの義務は、エスクロー(第三者への預託)、代金の一部留保、相殺の権利で守る。

5. 戦略目的の​取得は、​目的・​上限価格・​下振れ時の​財務価値を​分けて​書く

ストラテジックバイヤーは、相乗効果や防衛上の理由で、財務投資家より高い価格を正当化できることがある。そのときは、①目的(英国なら航路の確保と他者への流出の阻止)、②目的のために払える上限、③目的が果たせない場合の財務的な価値を分けて書き、③は売り手の不払いや配当の減少も含む下振れのシナリオで評価しておく。英国の場合、エジプトの5%も1894年以降の配当も保証されていなかった。金融投資としては勧めないという首相の明言や、純益15%の権利を買わなかった判断は、目的の範囲を区切った例と読める。後の価値の上昇を、取得時の判断が正しかった証明に使わない。成功例だけから判断の型を作ると、結果論になる。

限界と​異説——史料の​食い​違いと​動機を​めぐる​見方

12月1日の資金の額は協定(100万ポンド)とバックル(200万ポンド)で食い違い、第2回・第3回の返済日は確認できていない34。代金も米国総領事の報告とは3,958ポンド違い35、議決権の上限は定款の条文ではなく議会の答弁で確かめた。

動機の見方も分かれる。バックルは主導したのはディズレーリ本人とし、グラッドストンは、売却は副王の発意ではなく政府の計画だったと述べた。研究にも、英国の運河への関与の連続性を強調する見方(チャーチ)と、金融家と政治エリートの利害の結びつきを重くみる見方(イアコルッチ)がある36。また、政府系ファンド(SWF)の研究が主に扱うのは財務投資家としての国家ファンドであり37、国の借入で直接買い、配当が約19年繰り延べられ、支配権もない1875年の取得を、SWFの先駆けと呼ぶのは無理がある。

まとめ——資金の​確実性、​権利の​中身、​売り手の​事情を​分けて​確かめる

1875年の英国政府は、契約で取引を固め、ロスチャイルド商会のつなぎ資金で代金を払い、議会の議決の後に年3.5%の国庫債券へ置き換えた。短い期間で年率に直すと、手数料2.5%は高い年率換算値になるが、約束の対価とみれば別の評価になる。手に入れたのは議決権10票の少数持分で、その価値は利用者としての立場から生まれた。

誰が、いつまでに、いくらを、どんな約束で出すのか。手に入る権利は何か。売り手はなぜ売るのか。買収ファイナンスで確かめる問いは、150年前の取引にもそのまま当てはまる。

脚注

  1. ディズレーリのヴィクトリア女王宛書簡(1875年11月18日付)。R6 p.443。原文は “The Khedive, on the eve of bankruptcy”。バックルが活字にした書簡で、原本は確認していない。ここでの「破産」は資金繰りの行き詰まりを指し、エジプトが支払いを正式に停止するのは1876年4月である。↩
  2. R2 c272(蔵相ノースコートの説明)。原文は “the proportion which British tonnage bears to foreign”。本稿は全体に占める割合と読んだが、分母は原統計で確認していない(外相ダービーも、運河を使う船の約5分の4が英国船だと述べている。R6 p.445)。蔵相が引いた数字で、統計の原資料は確認していない。↩
  3. ノースコートからディズレーリへの書簡(1875年11月22日付)。R6 p.446。原文は “there is no way by which we can raise the money without the consent of Parliament”。↩
  4. トゥンチェル:R10 §3.1 pp.6–7、表1(研究者の整理)。表1は1862〜76年の外債を9本(額面計6,900万ポンド、平均実効利回り8.5%)とするが、本文では10本と記すなど数え方に揺れがある。オスマン帝国の債務不履行がエジプトの海外での信用に与えた影響:R10 §3.1 p.7。オスマン帝国の破綻の時期と利払いの期限:R6 p.441(バックルの地の文)。↩
  5. R6 pp.441, 444–445。バックルは典拠として Lesage(1906)と The Times 紙の Wolf の記事(1905年12月26日)などを挙げるが、本稿は原典を確認していない(一部確認)。売却の選択権は、1894年まで年8%(のちに11%)の利息を副王が払う条件だったとされる。「偽装された売却(disguised sale)」はバックルの評価。蔵相の説明は R2 c280 で、申し出た相手と条件は示されていない。↩
  6. R6 p.447。バックルは「確実」とするが、根拠は本文に示していない。ロスチャイルド商会が英国政府のために首相に約400万ポンドを前貸ししたことは、同商会の文書館の解説(R7)でも確認できる。↩
  7. R6 pp.442–446(閣議の決定、副王の申し出、閣議の受諾、署名と預託)。副王は19日ごろ、英国に優先して売る機会を与えると約束していた(R6 pp.443–444)。協定の日付と署名者(英国の総領事スタントン少将と、副王の代理のエジプト蔵相イスマーイール・サーディク)は R1 で確認した。↩
  8. R6 pp.448–449(1875年11月24日付)。原本(王室文書館)は確認していない。同じ書簡は、ロスチャイルドが「low rate」で前貸ししたとも書くが、これは当事者の説明である。女王は25日付の返信で、巨額であることだけが難点だと書いた。↩
  9. R1(協定本文)、R2 c267。協定は冒頭で177,642株と書き、後段で176,602株と改めている。編集部の検算:4,000,000×176,602÷177,642=3,976,582ポンド。持株比率は編集部の計算(176,602÷400,000=44.15%)。分母は1株500フランの普通株400,000株(R3 c587、R8 p.994)で、議決権の比率ではない。当時、外相ダービーは「5分の2」、グラッドストンは「16分の7」と表現した(R2 c283、R3 c587)。↩
  10. R2 cc277–278、R8 p.994。運河会社への3,000万フランの債務を返すための措置だった(原文は “The Khedive found himself to be indebted to the Company in a sum of 30,000,000 francs. He had to raise that money”)。↩
  11. R1(協定本文)。原文は “The Egyptian Government undertakes to pay to Her Britannic Majesty’s Government interest at the rate of 5 per cent. per annum on the whole amount of the purchase money”。編集部の計算:3,976,582×5%=198,829ポンド(議会では概数で年20万ポンドとされた)。議事録(R2 c283)には「6%」と印刷された箇所があるが、協定の5%と年20万ポンドに合わないため採らない。配当への参加日は R5 c483。米国総領事の報告(R8 p.995)は譲渡期間を「1894年を含む」とし、半期の区切りの扱いに差がある可能性がある。↩
  12. R1(協定本文)。原文は “Her Britannic Majesty’s Government agrees to recommend to Parliament to sanction the contract.”。議会の承認を条件とする条項ではなく、承認を勧める約束である。資金の額と日付は資料によって異なる(「限界と異説」の節を参照)。↩
  13. 法的な整理は前蔵相ロウによる:R3 cc563–564。原文は “of our having purchased the shares and borrowed money from Messrs. Rothschild to pay for them”。グラッドストン:R3 cc595–596(野党指導者の主張)。協定上、即時の支払いは100万ポンドで残りは2〜3か月のうちに払う取り決めだった、とも指摘している。↩
  14. 議決は R3 c661(下院の決議は2月23日。R1 前文)。国庫債券の条件と下院の可決は R4(3月6日 cc1420–1422:年3.5%、国債償還委員会が保有、1876年9月から1912年3月まで償還)。3回の返済計画は R4(3月3日 c1403)、3月10日の支払いと法案の期限は R4(3月6日 c1421)、大蔵省の通知は R7(1876年3月9日付、RAL 000/573/10)。支払いが実行された記録そのものは確認していない。同文書館の解説は資金が「5か月以内に返済された」と書くが、起点と終点の日付は示していない。↩
  15. R3 c564(ロウによる内訳)、R2 c267。編集部の計算:4,080,000−3,976,582−99,414=4,004ポンド。蔵相は3月6日、債券の発行を400万ポンドにとどめ、8万ポンドは当年度の剰余から払う考えを示した(R4 cc1422–1423)。最終的な発行額は確認していない。↩
  16. R2 c283(約36年と二つの条件)、R4(3月3日 cc1402–1403、払われない年の扱い)。政府側の計画の説明で、実際の支払いの実績は確認していない。↩
  17. 編集部の計算。前提:元本400万ポンド、半年ごとに1.75%、1876年9月から1912年3月までの72回の均等払い(実際は満期の異なる債券の組み合わせ)。半年の支払額=4,000,000×0.0175÷(1−1.0175^−72)≈98,144ポンド、年196,288ポンド。比=198,829÷196,288≈1.01倍、上回る分は(198,829−196,288)÷196,288≈1.3%。利札が戻る1894年以降は、配当が返済の原資になる計画だった。↩
  18. R2 c267。原文は “in consideration of their trouble and risk”。99,414ポンドは議会で説明された額で、代金×2.5%の検算値は99,414.55ポンド(編集部の計算)。書簡は R6 p.447(1875年11月24日付)で、原文は “Smith and Welby a good deal startled by the largeness of Rothschild’s commission”。↩
  19. R3 c591。原文は “What they receive is first of all 5 per cent, which the Khedive stipulates to pay us; and, secondly 2½ per cent on the capital, which for three months is 10 per cent per annum … that added to the 5 per cent makes 15 per cent per annum as the price at which, in the year 1875, British credit is to be appreciated”。図2の年率換算は編集部の計算(2.5%×12÷拘束月数、単利)。↩
  20. R3 cc653–654(ディズレーリ)。当事者の説明。2.5%が当時の水準として妥当だったかを比べられる資料は、本稿では確認していない。↩
  21. R6 pp.447–448。バックルの地の文と、ロスチャイルドの説明を首相秘書コリーが記録した覚書(1876年2月19日付)。原文は “the conceivable, though remote, risk that Parliament would refuse to validate the purchase”。当事者の自己弁護を含む。↩
  22. R3 cc564–565(ロウ。大蔵省議事録とロスチャイルドの書簡の食い違い)、c616(蔵相)。ロウは期間中の利息を約3万7,000ポンドと見積もったが、仮定に基づく。↩
  23. R3 c612(蔵相)、R2 c281、R3 cc572–575(ロウ)。定款の条文そのものは本稿では確認していない。↩
  24. R2 c284(蔵相。英国代表3名の交渉を含む)、R3 c632(レブソン=ガワー議員)。外相ダービーは「株の5分の2を持つ者」が影響力を得ないと疑う人とは議論できないと述べていた(R2 c283 での引用)。英国の代表が実際に取締役に加わった時期は確認していない。株式の多数がフランス側に残った点は R7(“France still remained the majority shareholder”)。↩
  25. R13(要旨)。1990年代の39か国・412件の支配株の取引を分析し、平均は14%とする。本稿は要旨のみを確認した。↩
  26. R2 c281。原文は “so great a voting power suddenly thrown into the hands of we did not know whom”。↩
  27. R2 cc277–278。7,000万フランの根拠は示されていない。編集部の計算:120,000口×270フラン=32,400,000フラン。↩
  28. R11、R12(いずれも要旨を確認)。↩
  29. R2 c282(蔵相による紹介)。ハーティントンの元の発言は確認していない。株式の市場価値200万ポンドは彼の主張である。↩
  30. R10 §3.1 p.7、R9(1876年12月8日付の報告、pp.619–620)。負債の範囲の取り方によって、エジプトの負債総額は文献ごとに異なる。優先的な請求権でないとの指摘は R4(3月3日 cc1400–1401、ライランズ議員)。↩
  31. R5 cc481–483。同年6月19日の答弁を12月5日に読み上げたもの。評価の方法は示されていない。↩
  32. 編集部の計算:17,750,000÷4,075,996(代金3,976,582+手数料99,414)≈4.35倍。代金だけで割ると約4.46倍、額面の400万ポンドで割ると約4.44倍。年率には直していない。↩
  33. R3 cc660–661。原文は “I have never recommended, and I do not now recommend this purchase as a financial investment”。純益15%の権利は R3 c618(蔵相、“as a purely business transaction it is not justifiable”)。↩
  34. 協定(R1)は12月1日に100万ポンド、残りを12月と1月とする。バックル(R6 p.447)は「12月1日に200万ポンド、16日に100万ポンド、1月5日に最後の100万ポンド」と記す。実際の送金の記録は確認していない。↩
  35. R8 pp.994–995(在カイロ米国総領事ファーマン、1879年1月27日付)は3,972,624ポンドと記す。差の理由は分からない。本稿は英国議会の数字を使う。↩
  36. R6 p.442、R3 c594、R14、R15(R14・R15 は学位論文の要旨のみ確認)。バックルは、ロスチャイルドが政策を動かしたとは書いていない。↩
  37. R16、R17(いずれも要旨を確認)。↩

参考文献​(2026年10月確認)

※本記事は教育目的の一般的な解説であり、投資助言ではありません。手数料の年率換算と均等払いの試算は、理解のための単純化した設例です。19世紀の金額は当時のポンド建てで示し、現在の価値には換算していません。史料の数値には資料による食い違いがあり、脚注に記しています。アイキャッチ画像は生成AI(Gemini)で作成したイメージで、史実の場面を再現したものではありません。