この記事で分かること

  • 売上ゼロ・赤字の創薬バイオ企業を、通常のDCFやマルチプル(Comps)で評価できない理由
  • rNPV(risk-adjusted NPV=成功確率調整NPV)の考え方と、フェーズ別成功確率×CF×割引の計算手順
  • 単一パイプラインのrNPVを整数設例で完全検算(累積成功確率24%で価値が約5分の1に)
  • 臨床試験フェーズ別の成功確率の「目安」(公表研究ベース)と、複数パイプラインの合算・プラットフォーム価値の扱い

結論:創薬バイオの評価は「DCFの各キャッシュフローに成功確率を掛ける」

創薬バイオ企業の多くは、上市済み製品を持たず、売上がほぼゼロで、研究開発費だけがかさむ赤字企業です。将来生み出すかもしれない薬の価値がすべてで、しかもその薬が承認される保証はありません。このような企業を評価する標準的な手法が rNPV(risk-adjusted Net Present Value=リスク調整後正味現在価値、成功確率調整NPV) です。

rNPVの発想はシンプルで、通常のDCF(Discounted Cash Flow)で見積もった将来キャッシュフローに、その時点までに開発が成功している確率(累積成功確率、PoS:Probability of Success)を掛けてから割り引く、というものです。承認前の薬は「うまくいけば大きな価値、失敗すれば価値ゼロ」という賭けの束であり、その期待値を現在価値にするのがrNPVだと理解すれば十分です。以下では、なぜ通常の手法が使えないのかを押さえたうえで、整数の設例で最後まで計算します。

rNPVの全体像(フェーズ別成功確率のツリー)

まず全体像を図で示します。今まさに第2相(Phase 2)に入る単一パイプラインを想定し、各段階で開発費(マイナスのCF)が発生し、すべての関門を通過して上市(発売)できた場合にだけ大きな商業価値(プラスのCF)が生まれる、という構造です。各段階の成功確率を掛け合わせた「累積成功確率」で期待値を求め、割引率で現在価値に直します。

図:単一パイプラインのrNPV(成功確率調整NPV) 開発ステージ とCF 累積成功確率 (到達PoS) リスク調整後 PV(億円) Phase 2 開発費 −40 Phase 3 開発費 −120 申請・承認 費用 −20 上市(発売) 商業価値 +2,000 ×50% ×60% ×80% t=0 t=2 t=5 t=6 100% 50% 30% 24% −40.0 −49.6 −3.7 +271.0 rNPV = 各PVの合計 = −40.0 − 49.6 − 3.7 + 271.0 = 約 +178 億円 (割引率10%。リスク調整前NPV 約977億円の約5分の1。数値は丸め表示)
図:単一パイプラインのrNPV。各段階の成功確率を掛けた累積PoSで期待CFを求め、割引率10%で現在価値に直す。累積成功確率24%と時間の割引により、リスク調整前の約977億円が約178億円まで下がる。

なぜ通常のDCF・マルチプルが機能しないのか

上場企業の評価では、①類似会社のマルチプル(EV/EBITDA、PER、EV/Salesなど)で相対評価する方法(Comps)と、②将来キャッシュフローを割り引くDCFの2つが基本です。ところが臨床段階の創薬バイオでは、いずれもそのままでは使えません。

マルチプルが使えない理由。EBITDAも純利益も、多くの場合マイナスです。分母が赤字ではEV/EBITDAやPERは意味を持ちません。売上もゼロか僅少なのでEV/Salesも計算できないことが多い。要するに、掛けるべき業績指標そのものが存在しないのです。

通常のDCFが使えない理由。DCFは「将来キャッシュフローが実現する」ことを前提にしますが、創薬では大半のプロジェクトが途中で失敗します。承認まで到達する確率は数〜十数%というのが一般的です。成功シナリオの巨額キャッシュフローをそのまま割り引くと、価値を何倍も過大評価してしまいます。逆に「失敗するから価値ゼロ」とすれば過小評価です。この「実現するかどうかが確率的」という性質を、割引率だけで表現するのは無理があります。

そこで、キャッシュフローの時間価値は割引率で、失敗リスク(成功確率)は確率で、と2つを分けて扱うのがrNPVです。DCFの拡張版であり、特別な理論ではありません。

rNPVの計算:整数設例で最後まで検算する

図と同じ設例を表で検算します。単位はすべて億円、割引率 r は10%とします。いま第2相(Phase 2)に入る単一の候補品で、開発の各段階でコストが発生し、すべて通過して上市できた場合にのみ、上市時点(t=6)で評価した商業キャッシュフローの現在価値の合計=商業価値2,000億円が生まれる、と単純化します。

累積成功確率(到達PoS)は各段階の成功確率の積です。

  • Phase 2 到達:100%(いま入るところ)
  • Phase 3 到達:50%(=Phase 2成功50%)
  • 申請・承認 到達:30%(=50%×60%)
  • 上市 到達:24%(=50%×60%×80%)

割引係数は 1/(1+0.10)t です(t=0で1.0000、t=2で0.8264、t=5で0.6209、t=6で0.5645)。各行のリスク調整後PV=到達PoS × CF × 割引係数で求めます。

時点 t(年)フェーズ・イベントCF(億円)到達PoS割引係数リスク調整後PV
0Phase 2 試験費用−40100%1.0000−40.0
2Phase 3 試験費用−12050%0.8264−49.6
5申請・承認 費用−2030%0.6209−3.7
6上市(商業価値)+2,00024%0.5645+271.0
rNPV(合計)約 +178

各行を検算します。t=2は 0.50×(−120)×0.8264=−49.6。t=5は 0.30×(−20)×0.6209=−3.7。t=6は 0.24×2,000×0.5645=271.0。合計は −40.0 − 49.6 − 3.7 + 271.0 = 約 +177.7 億円(≒178億円)です。

ここで重要なのは比較です。仮に成功確率をすべて100%として計算する「リスク調整前NPV」は、−40.0 − 99.2 − 12.4 + 1,129.0 = 約977億円になります。同じ将来像でも、累積成功確率24%と時間の割引を反映すると、価値は約977億円から約178億円へ、およそ5分の1まで下がります。この差が、創薬評価で成功確率を明示的に扱うことの意味です。「有望なパイプラインだから1,000億円の価値がある」といった議論が、なぜ危ういのかがわかります。

フェーズ別成功確率の目安(公表研究ベース)

上の設例では計算を追いやすいよう成功確率を50%・60%・80%と丸めた仮の値にしましたが、実務では公表研究の数値を出発点にします。よく参照されるのが、BIO・Informa(Pharma Intelligence)・QLS Advisorsによる大規模調査「Clinical Development Success Rates」です。同種の研究が示す目安は概ね次のとおりです(全疾患平均。年次・対象で変動)。

段階(遷移)成功確率の目安
Phase 1 → Phase 2約50%台
Phase 2 → Phase 3約30%前後(最難関)
Phase 3 → 承認申請約60%前後
承認申請 → 承認約90%前後
Phase 1 → 承認(通算)おおむね1割前後(≒8〜14%)

ポイントは、Phase 2 → Phase 3 が最も脱落しやすい関門であり、実際の成功確率は3割前後と、設例で使った60%よりかなり低いという点です(設例は計算を平易にするための仮値です)。成功確率は疾患領域で大きく異なり、一般に腫瘍(がん)領域は低め、感染症などは相対的に高めとされます。評価では、対象パイプラインの疾患・モダリティに合った確率を選び、根拠を明示することが欠かせません。これらはあくまで過去実績に基づく平均的な目安であり、個別プロジェクトの将来を保証するものではありません。

パイプライン合算・プラットフォーム価値、そして日本の創薬バイオ

複数パイプラインの合算(sum-of-the-parts)。実際の創薬企業は複数の候補品を持ちます。基本は、各パイプラインのrNPVを個別に計算し、合算したうえで、全社共通の研究開発費・本社費(間接費)の現在価値を差し引き、手元のネットキャッシュ(現預金−有利子負債)を足す、という積み上げです。各資産の価値を分けて示せるのがrNPVの実務的な強みで、導出(ライセンスアウト)や資産売却の局面でも議論の土台になります。

プラットフォーム価値。核酸医薬や抗体、細胞療法などの「創薬基盤(プラットフォーム)」を持つ企業では、既存パイプラインのrNPV合算だけでは価値を捉えきれません。基盤から今後生まれる未知の候補品や提携・マイルストン収入の価値をどう見込むかが論点になり、ここは前提の置き方次第で幅が大きく出ます。過度に楽観的な「プラットフォーム・プレミアム」には注意が必要です。セクター全体の見取り図はヘルスケア投資銀行の解説もあわせて読むと立体的になります。

日本の創薬バイオ。日本では、グロース市場に上場する創薬ベンチャーの多くが、自社で最終製品まで販売せず、大手製薬への導出(ライセンスアウト)を出口に据えます。この場合の価値は、契約一時金・開発マイルストン・上市後ロイヤルティの3層で構成され、各マイルストンの受取確率(=当該フェーズ到達確率)で加重してrNPV化するのが自然です。また日本特有の要素として薬価制度があり、薬価改定や市場拡大再算定が上市後キャッシュフロー(商業価値)の前提を左右します。海外の売上前提をそのまま国内に当てはめない配慮が必要です。

面接での答え方(30秒回答例)

Q:売上ゼロで赤字の創薬バイオを、どう評価しますか?
「EBITDAも売上もほぼゼロなのでマルチプルは使えず、通常のDCFも成功前提になり過大評価します。標準はrNPV、成功確率調整NPVです。各開発フェーズの成功確率を掛け合わせた累積成功確率で将来キャッシュフローを期待値にし、割引率で現在価値にします。たとえば累積成功確率24%なら、上市時の商業価値2,000億円は期待値480億円になり、さらに時間で割り引きます。複数パイプラインは個別にrNPVを出して合算し、全社費用を引いてネットキャッシュを足す、という積み上げで見ます。」

よくある質問(FAQ)

Q. rNPVと期待NPV(eNPV)は違うものですか?
A. ほぼ同義で使われます。eNPV(expected NPV)は複数シナリオの期待値という広い意味、rNPVはとくに臨床の成功確率でリスク調整したNPVを指すことが多い、という程度の違いです。本質は「成功確率で加重した現在価値」で共通します。

Q. 割引率はDCFと同じでよいのですか?
A. 成功確率をキャッシュフロー側で別途調整するため、rNPVの割引率はその企業・資産の資本コスト(時間価値と分散不能なリスク)を反映させます。失敗リスクを割引率にも二重に上乗せしないのが原則です。実務では創薬の資本コストは高めに置かれることが多く、前提として明示すべき最重要パラメータの一つです。

まとめ

創薬バイオのバリュエーションは、「売上も利益もない企業をどう評価するか」という一見難題を、DCFの各キャッシュフローに成功確率を掛けるというrNPVの一手で扱えるようにします。鍵は3つ。①フェーズ別の成功確率を掛け合わせた累積成功確率で期待値にすること、②時間価値は割引率で別に扱い二重計上しないこと、③成功確率は疾患・モダリティで大きく異なるため、公表研究を目安に根拠を明示すること。設例では累積成功確率24%と割引により、リスク調整前約977億円が約178億円へと約5分の1になりました。この「成功確率を明示的に扱う規律」こそが、創薬評価の中核です。

出典・参考(2026-07-19確認)

  • BIO, Informa (Pharma Intelligence), QLS Advisors「Clinical Development Success Rates and Contributing Factors 2011–2020」(臨床開発フェーズ別成功確率の代表的調査。数値は目安)
  • Wong CH, Siah KW, Lo AW「Estimation of clinical trial success rates and related parameters」Biostatistics, 2019(通算成功確率の学術的推計)
  • rNPV/期待NPVの手法は一般的なバリュエーション・コーポレートファイナンスの標準的解説に基づく(本文の設例はすべて理解のための仮設例)

※本記事は教育目的の一般的な解説であり、法務・税務・投資助言ではありません。設例は理解のための仮設例で、特定の企業・銘柄の価値や将来を示すものではありません。成功確率は過去実績に基づく目安であり、個別プロジェクトの結果を保証しません。