この記事で分かること
- 契約ドラフトの下読みでAIに任せてよい作業・人が確定する作業・弁護士にしか委ねられない作業を3段階に分ける線引き
- NDA・LOI/MOU・SPAの契約種別×確認論点の一覧(法的評価ではなく、確認すべき論点の所在を示すもの)
- 改訂版を受領したときに最も効果が出る差分レビューの工程と、AIが契約文書で誤りやすい6つの型
- 弁護士へ渡す論点整理の様式(論点/該当条項/相手方の記載/こちらの懸念/重要度/確認事項)の作り方
本記事の位置づけ(先にお読みください)
本記事は法的助言ではありません。契約条項の有効性、法的効果、個別案件でのリスクの程度について判断を示すものではなく、実際の契約の検討・締結にあたっては必ず弁護士の確認を受けてください。また本記事には、契約書の条文例やひな形は掲載しません。扱うのは「どの論点を確認するか」というチェックリストの水準までです。AIの役割も、条項の審査を代替するものではなく、読み落としを減らす下読みと、論点の整理に限って扱います。
結論:AIの守備範囲は「文字列の処理」まで。意味の評価と交渉判断は弁護士に残す
「相手方から届いたSPAドラフトをAIに読ませて、論点を洗い出してもらえないか」という相談は、M&Aの実務でよく出ます。この問いに「使える/使えない」で答えると、必ず失敗します。契約書の下読みという作業は複数の性質の異なる作業の束であり、そのうちAIが安定して役に立つ部分と、AIに任せてはいけない部分がはっきり分かれているからです。
結論を先に述べます。本記事の整理では、次の3点になります。
- AIに任せてよいのは、意味の評価を伴わない機械的な処理だけです。 条項の所在の特定、定義語の一覧化、参照関係の追跡、前バージョンとの差分抽出、自社チェックリストとの突合。いずれも「どこに何が書いてあるか」を漏れなく拾う作業であり、人が最も読み落とす部分でもあります。
- 論点の要約と質問リストの作成は、AIの下書きを人が確定させます。 AIが作った文章をそのまま社内に回すと、原文にない条番号や条項が混じります。必ず原文に戻して確認したうえで、人の文章として確定させます。
- 条項の解釈、交渉方針、リスクを受け入れるかどうかの判断、最終ドラフトの確定は、弁護士の領域です。 ここをAIで代替しようとした瞬間に、下読みの道具が「誤った法的判断の生成器」に変わります。
この線引きを守ったとき、AIの効果は「弁護士に相談しなくてよくなること」ではありません。弁護士の時間を、条項の所在を探す作業ではなく、解釈と交渉の判断に使ってもらえるようになることです。後半で示す「弁護士へ渡す論点整理の様式」は、そのための道具として設計しています。
なお、M&A全体の工程における契約交渉の位置づけはM&Aプロセス完全ガイド、DD資料の整理におけるAIの使い方はM&A・デューデリジェンスでの生成AI活用で扱っています。本記事は契約ドラフトの下読みという一工程に絞ります。
AIの守備範囲:3段階の線引き
まず全体像です。契約書の下読みに含まれる作業を、誰が最終的に確定させるかで3段階に分けます。段階を分ける基準は「難しいかどうか」ではなく、その作業が文字列の処理で終わるか、意味の評価を必要とするかです。
レベル1:AIに任せてよい(意味の評価を伴わない処理)
ここに入るのは、次のような作業です。
- 条項の所在の特定と、定義語の一覧化。 相手方のドラフトは自社のひな形と条の並びが違うため、目次だけでは追えません。定義条項の語と、本文中でかっこ書きで定義されている語をすべて拾い上げます。定義語の取り違えは、契約書の読み違いの主要な原因です。
- 参照関係の追跡。 「別紙3に定める算定方法」といった参照が実際にどこを指しているかを対応づけます。参照先が存在しない、改訂で番号がずれている、といった不整合はここで見つかります。
- 前バージョンとの差分抽出。 後述するとおり、これが最も効果の大きい使い方です。
- 自社チェックリストとの突合。 「確認項目38個のうち、記載が見当たらないものはどれか」を機械的に返させます。
これらに共通するのは、「どこに何が書いてあるか」を答える作業であって、「それがどういう意味を持つか」を答える作業ではない点です。この境界を越えなければ、AIの出力を人が原文で検証することも容易です。
レベル2:AIの下書きを人が確定させる
論点の要約、弁護士への質問リストの下書き、論点整理表への転記。ここからAIは日本語の文章を生成しますが、生成された文章は常に下書きであり、成果物ではありません。AIの要約に「原文にない条項」や「原文にない条番号」が混じる事故は珍しくないため、レベル2の出力は必ず原文の条番号に戻して確認します。契約文書に固有の検証項目は後述します。
レベル3:弁護士の領域
条項の解釈、法的効果の評価、交渉方針、リスクを受け入れるかどうかの判断、最終ドラフトの確定です。ここを人が担うのは、AIの精度の問題だけが理由ではありません。契約は、締結した当事者が結果を引き受けるものであり、その判断の責任をツールに移すことはできないからです。
参考:日本には、AI契約審査サービスと弁護士法第72条に関する行政の考え方が公表されています
参考になる一次資料があります。法務省大臣官房司法法制部は令和5年8月に「AI等を用いた契約書等関連業務支援サービスの提供と弁護士法第72条との関係について」を公表しています。ただし読み方に注意が必要です。同文書はサービスを提供する事業者側を対象とした整理であり、事業会社の担当者が自社の契約について汎用のAIを使うことの是非を直接定めたものではありません。また同文書自身が「飽くまで一般論とならざるを得ない」とし、同条の解釈・適用は最終的には裁判所の判断に委ねられると明記しています。以下は規範ではなく機能の区別の参考として読んでください。
同文書は、契約書等の審査業務を支援するサービスについて、次の機能・表示があれば「鑑定…その他の法律事務」に該当し得るとしています。
- 審査対象の記載内容について、個別の事案に応じた法的リスクの有無やその程度が表示される場合
- 記載内容について、個別の事案における契約に至る経緯や背景事情等を法的に処理して、当該処理に応じた具体的な修正案が表示される場合
一方、あらかじめ登録されたひな形やチェックリストの文言との相違部分が、その字句の意味内容と無関係に表示されるにとどまる場合や、法的効果の類似性と無関係に、言語的な意味内容の類似性のみに着目して類似部分が表示されるにとどまる場合などは、通常は該当せず同条に違反しないと考えられる、とされています。法務省が公表した別の事案(新事業活動に関する確認の求めへの回答。確認の求め令和6年6月25日、回答令和6年7月22日)でも、チェックリストの文言との言語的な意味内容の類似性のみを判定し一般的・抽象的な情報を表示するにとどまるサービスについて、通常「鑑定」には該当しないと考えられる、との判断が示されています。
この区別は、本記事のレベル1とレベル3の境界とほぼ重なります。字句の一致・不一致・差分を示すことと個別の事案に応じた法的リスクの程度や修正案を示すことの間に線が引かれている、という理解です。繰り返しますが、これは皆さんの案件でどこまでAIを使ってよいかを決めるものではありません。自社での利用範囲は、社内規程と顧問弁護士の助言に従って決めてください。
契約種別×確認論点の一覧
再度の注意:以下に示すのは「確認すべき論点がどこにあるか」の一覧であって、各条項の有効性・法的効果・妥当性の評価ではありません。ある条項が置かれることが一般的である、という記述は、その条項が有利・不利であることを意味しません。その意味と交渉余地は、案件の事情と準拠法によって異なります。個別の判断は必ず弁護士にご確認ください。
NDA(秘密保持契約)
中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)」(令和6年8月)では、秘密保持契約について「秘密保持を確約する趣旨で締結する契約」とされ、譲り受け側がノンネーム・シートを参照して関心を抱いた場合により詳細な情報を入手するために締結するケースや、当事者と仲介者・FAとの間で締結するケースがあると説明されています。案件全体の情報の流れを規定する契約です。下読みで確認する論点は次のとおりです。
- 目的外使用の範囲。 「本取引の検討」といった目的が定められることが一般的ですが、文言の広さは案件によって異なります。改訂の過程で目的の記述が広がっていないかを差分で確認します。
- 開示できる相手の範囲。 役職員、アドバイザー、資金提供者など、開示先の類型がどこまで含まれるか。グループ会社の扱いも論点になります。
- 有効期間と、終了後も残る義務。 契約の有効期間と、秘密保持義務が存続する期間は別に定められることが一般的です。両者の関係を追います。
- 返還・破棄の方法と証跡。 電磁的記録やバックアップの扱い、証明書の差入れが求められるか。
- AIツールへの入力が「開示」に当たるかどうかの確認が必要だという論点。 外部のAIサービスに契約ドラフトや受領資料を入力する行為が、NDA上の開示先の範囲に収まるのかは、契約の文言と利用するサービスの条件の双方によって変わります。自己判断せず、法務・コンプライアンス部門と弁護士に確認してください。
LOI/MOU(意向表明書・基本合意書)
同ガイドラインでは、意向表明書について「譲り渡し側が譲り受けの際の希望条件等を表明するために提出する書面をいう。基本的には法的拘束力を持たないことが多い」と説明され、DDに進む意向を示す第一次意向表明書と、DDの結果を踏まえた第二次意向表明書(最終意向表明書)が区別されています。下読みで確認する論点は次のとおりです。
- 法的拘束力の有無を、どの条でどう切り分けているか。 書面全体を非拘束としたうえで、一部の条項のみを拘束力のあるものとして列挙する形が置かれることが一般的で、その列挙に何が入っているかが実務上の焦点になります。AIには「拘束力に言及している条をすべて列挙せよ」と機械的に指示し、一覧を人が読みます。
- 独占交渉期間。 始期・終期・延長条件。日付と期間の抽出はAIが得意な処理です。
- 費用負担と、秘密保持・公表の扱い。 DD費用やアドバイザー費用、破談時の取扱い。先に締結したNDAとの優先関係が定められているか。
SPA(株式譲渡契約)
SPAは条項数が多く、参照関係も複雑です。差分レビューの効果が最も大きいのもこの契約です。確認論点を4つのかたまりに分けます。
- 価格と価格調整の仕組み。 基準日、算定方法、算定を行う主体、相手方が異議を述べる場合の手続、決着しない場合の扱い。仕組みの違いはSPAの価格調整で、将来業績に連動する対価の論点はアーンアウト入門で扱っています。この部分は別紙に算式が置かれることが多く、本文と別紙の整合の確認が必要です。
- 表明保証の範囲。 表明保証条項について、同ガイドラインは「契約の一方当事者が、他方当事者に対し一定の時点(一般的には最終契約締結時・クロージング時の両時点)において、当該契約に関する事項について、当該事項が真実かつ正確であることを表明し、かつその内容を保証する条項」と説明しています。下読みでは、対象事項の一覧、どの時点の表明とされているか、開示された事項が除外される仕組みがあるかを拾います。
- 補償の上限・下限・期間。 補償の上限(キャップ)と下限(バスケット)にあたる考え方が置かれることが一般的です。金額、算定の基礎、請求できる期間、事項ごとに異なる扱いがあるか。金額と期間の一覧化は、AIが最も確実に処理できる部分です。
- 前提条件・誓約事項・紛争解決。 クロージングの前提条件を誰が充足させる義務を負うのか、充足しない場合にどうなるのか。誓約事項の対象期間と範囲。準拠法、紛争解決の方法と場所。条項間の参照が多く、AIの参照追跡が効く領域です。
差分レビューが最も効果が高い理由
契約交渉は、ドラフトの往復です。実務上の負荷が最も高いのは改訂版を受領した瞬間で、全68条を最初から読み直す時間はなく、しかし「どこが変わったか」を見落とせば後から取り返せません。ここでAIを使う価値がはっきりします。理由は3つです。
- 作業の性質が、意味の評価を必要としない。 「変わったかどうか」は文字列の比較で決まります。図1のレベル1に完全に収まるため、AIの出力を人が原文で検証するのも容易です。
- 人が最も苦手な作業である。 語順の入れ替え、「かつ」と「又は」の入替え、条の移動に伴う番号のずれ。人は意味の通る文章を読むと、細部の変更を無意識に補完してしまいます。
- 人の時間を、意味の検討に回せる。 変更箇所が特定されていれば、担当者と弁護士は「なぜこの変更が入ったのか」「受け入れてよいのか」の判断だけに集中できます。これが差分レビューの本当の効果です。
なお、ワープロソフトの変更履歴機能が使える場合は、まずそれを使ってください。AIによる差分抽出が必要になるのは、相手方がPDFで送ってきた場合、変更履歴が受け入れ済みで送られてきた場合、条の移動が多く機械的な差分が読みにくい場合など、変更履歴だけでは足りない場面です。
作業手順と、下読みチェックリスト
ここからは具体的な手順です。前提として、社内で承認されたAI環境を使うこと、そして契約ドラフトを投入してよいことについて事前に確認が取れていることを条件とします(後述の機密の節を参照)。
必要な入力資料
- 比較の基準となる第1版と、確認対象の第2版。本文と別紙をすべて含む完全な状態で用意します。別紙が欠けていると参照追跡が成立しません。
- 自社の確認論点チェックリスト。図2のような一覧を、自社の契約類型に合わせて項目番号つきで用意します。
- 条項の理解に必要な最小限の案件情報。必要のない機密情報は入れません。
作業手順
- 投入可否を確認する。 NDAの開示先の範囲、社内のAI利用規程、使用するサービスの条件。確認が取れるまでドラフトは投入しません。
- 構造の把握をAIに指示する。 章立て、条・定義語・別紙の一覧を出させます。この段階では意味を聞きません。
- 差分抽出をAIに指示する。 後述のプロンプト例を使い、出力は表形式に固定して原文の引用を必ず付けさせます。
- 原文の条番号に戻って照合する(人)。 条番号が第2版に実在するか、引用文言が原文と一致するかを1件ずつ確認します。この工程を省略すると、以降のすべてが崩れます。
- チェックリストとの突合をAIに指示する。 対応する記載が見当たらない項目を列挙させ、「見当たらない」ことも人が確認します。
- 重要度を人が確定する。 形式的な修正と実質的な変更に分け、実質的な変更を高・中・低に区分します。法的な重大性ではなく、自社の事業判断としての重要度です。
- 論点整理表を作る。 AIに下書きさせ、人が原文と突き合わせて確定させます(様式は後述)。
- 弁護士に渡し、記録を残す。 重要度の高い論点を確認事項の形にして渡し、版番号・抽出日・使用ツール・確認者・除外した候補とその理由を記録します。
プロンプト例(差分抽出)
以下は、レベル1の範囲に収まるように評価を書かせないことを明示した完成形の例です。禁止事項の記述が、この用途では最も重要な部分になります。
# 役割
あなたは契約書の「下読み」を補助するアシスタントです。法的な評価・助言は行いません。
# 目的
添付した2つの契約ドラフト(第1版=基準、第2版=相手方から受領した改訂版)について、
変更箇所を機械的に洗い出し、確認すべき論点の候補一覧を作成する。
# 入力
- 資料A:SPAドラフト第1版(本文68条・別紙7点)
- 資料B:SPAドラフト第2版(本文68条・別紙7点)
- 資料C:自社の確認論点チェックリスト(38項目、項目番号つき)
# 数え方・単位
- 変更箇所の単位は「項」とし、項番号のない条はその条を1単位として数える。
- 1つの項の中に複数の変更がある場合も1件と数える。件数はすべて整数で示す。
- 金額は百万円単位、期間は月単位で、原文どおりに転記する。
# 出力形式
次の列を持つ表(Markdown)のみを出力する。
No / 資料Bの条番号・項番号 / 変更の種類(追加・削除・修正・移動) /
資料Aの該当文言(原文のまま引用) / 資料Bの該当文言(原文のまま引用) /
関連する資料Cの項目番号(該当がなければ「該当なし」)
表の後に、合計件数と、種類別の内訳件数を記載する。
# 禁止事項
- 変更が有利/不利であるという評価を書かないこと。
- 条項の法的な効果、有効性、リスクの有無や程度を書かないこと。
- 修正案・代替文言・ひな形を提案しないこと。
- 原文にない文言を、要約や言い換えの形で作らないこと。引用は原文どおりとする。
# 不明情報の処理
- 参照先(別紙・定義条項)が特定できない場合は「参照先不明」と記載し、推測で補わない。
- 資料Bに存在しない条番号については行を作らず、末尾に「特定できなかった箇所」として列挙する。
# 出典表示
- すべての行に、資料名(AまたはB)と条番号・項番号(可能であればページ番号)を必ず付す。
# 検算
- 出力の最後に、種類別の内訳件数の合計と合計件数を並べて示し、一致するかを明記する。
- 一致しない場合は「不一致」と書き、原因の推測は書かない。
# レビュー項目(人が確認するために、本表とは別に出力する)
- 定義語が変更された箇所の一覧
- 「〜を除く」「〜の場合を除き」を含む項の一覧
- 否定表現が2つ以上含まれる項の一覧
- 別紙を参照している項の一覧
- 条の移動により番号がずれた箇所の一覧(旧番号と新番号の対応)外部から受領した文書をAIに読ませること自体にも固有のリスクがあります。相手方から届いたドラフトも「自分が書いていない文字列」であるという観点は、プロンプトインジェクションと情報漏えいで扱っています。
AIが契約文書で誤りやすい6つの型
契約書は、一般の日本語の文章とは構造が違います。AIの出力が崩れやすい箇所には、はっきりした型があります。以下は本記事の整理です。
| 誤りやすい型 | 何が起きるか | 人が戻って確認する対象 |
|---|---|---|
| 定義語の取り違え | 定義された語と、一般的な意味の同じ語を混同する。「対象会社」「本件株式」などが定義と違う意味で使われる | 定義条項と、その語が使われている全箇所 |
| 二重否定 | 「〜でない場合を除き」のような構造で、肯定と否定が反転して要約される | 否定表現が2つ以上ある項の原文 |
| 「〜を除く」の係り受け | 除外がどの語句に係るかを誤り、除外の範囲が広くも狭くもなる | 除外規定を含む項の原文 |
| 別紙参照の断絶 | 本文だけを読んで結論を書き、別紙に置かれた算式や一覧を見落とす | 参照先の別紙そのもの |
| 条番号のずれ | 条の追加・削除で番号が動き、旧版の番号で説明してしまう | 新旧の条番号の対応表 |
| 存在しない条項の混入 | 一般的な契約に置かれがちな条項を、原文にないのに要約に含める | 要約に登場する条番号が原文に実在するか |
6つ目の「存在しない条項の混入」は、契約の下読みでは特に危険です。一般的に置かれることの多い条項ほど、AIは「あるはずのもの」として書いてしまう傾向があります。そして読む側も、それがあることに違和感を持ちません。対策は単純で、要約に登場するすべての条番号を、原文に戻って1件ずつ確認することです。この工程だけは自動化しないでください。
弁護士へ渡す論点整理の様式
下読みの成果物は「AIが出した要約」ではありません。弁護士の時間を何に使ってもらうかを決めた、論点整理表です。以下が本記事の提案する様式です。
弁護士に「このドラフトを見てください」と丸ごと渡すと、弁護士はまず条項の所在を探すところから始めます。その作業は図1のレベル1に属し、社内で先に済ませられます。先に済ませたうえで、判断が必要な論点だけを、判断できる形で渡す。これが弁護士の時間の使い方を変える方法です。なお、これは弁護士の確認を減らす道具ではなく、確認を受けることを前提に、その中身を濃くするための道具です。
| 論点 | 該当条項 | 相手方ドラフトの記載(要旨) | こちらの懸念 | 重要度 | 確認事項 |
|---|---|---|---|---|---|
| 補償の上限 | 第52条第2項 | 上限を取引価額の10%とする記載に変更(第1版は20%) | DDで検出した税務論点の想定影響額が、この上限を上回る可能性がある | 高 | この上限を前提とした場合、当該論点を別枠で扱う交渉の余地があるか |
| 表明保証の基準時点 | 第49条第1項 | クロージング時点の表明に関する記述が削除され、締結時点のみになっている | 締結からクロージングまでの約3か月の変動を捕捉できない | 高 | この変更を受け入れる場合、代替として何を確認・手当てすべきか |
| 価格調整の算定主体 | 第18条第3項・別紙4 | 本文は「売主が作成」、別紙4の注記は「買主が作成」となっており不一致 | 条文間の不整合。意図的な変更か誤記かが判別できない | 高 | 相手方に照会すべき事項か、こちらの案を提示すべき事項か |
各列の役割は次のとおりです。
- 論点:弁護士との会話でそのまま使える単位で、一言の名前を付けます。
- 該当条項:必ず条番号(と項番号)まで書きます。 ここが「〜のあたり」になっていると、弁護士は結局探すところから始めることになります。
- 相手方ドラフトの記載(要旨):何がどう書かれているかを、評価を交えずに記述します。第1版から変わった点があれば併記します。
- こちらの懸念:法的な評価ではなく、事業側として何を心配しているかを書きます。「不利だと思う」ではなく「DDで検出したこの事象が捕捉できないのではないか」と、具体的な事実に紐づけます。
- ビジネス上の重要度:高・中・低の3段階。法的な重大性ではなく、自社の事業判断としての重要度です。この列があることで、弁護士は時間の配分を判断できます。
- 確認事項:弁護士に答えてほしいことを疑問文の形で書きます。「見てください」ではなく「この変更を受け入れる場合、代替として何を確認すべきか」と書けば、返ってくる回答の質が変わります。
この表のうち、AIに下書きさせてよいのは「該当条項」と「相手方ドラフトの記載(要旨)」の2列です。「こちらの懸念」「重要度」「確認事項」は、人が書きます。 ここは自社の事業判断そのものであり、AIには材料がありません。
設例:架空のSPAドラフトで差分レビューを1回まわす
以下はすべて架空の設例です。買い手を株式会社ホクト計装、対象会社を株式会社セイカ物流(いずれも架空)とする株式譲渡案件を想定します。
設定
- SPAドラフト第1版:本文68条(9章構成)、別紙7点。
- 相手方(売主側)から第2版を受領。条数は同じく本文68条、別紙7点。ただし条の移動が含まれる。
- 自社の確認論点チェックリスト:38項目。
工程と件数
- AIによる差分抽出(工程①)。 変更候補として52か所が出力されました。
- 原文照合(工程②)。 52か所すべてについて第2版の該当条項を開いて確認したところ、6か所は実際には変更がなく、別紙の再採番で行の位置がずれたものをAIが変更として拾ったものでした。確定した変更箇所は 52 − 6 = 46か所です。
また、AIの要約に「第41条(競業避止)の期間が3年から5年に延長された」という記述が含まれていましたが、第2版の第41条にその記載はなく、期間が定められているのは第43条でした。条番号のずれと存在しない記述の混入が同時に起きた例で、原文に戻ったことで発見できました。 - 重要度の確定(工程③)。 46か所を、形式的な修正(用語の統一、誤記の訂正、番号の振り直し)と実質的な変更に分け、形式 21件 / 実質 25件となりました(21 + 25 = 46)。実質25件をビジネス上の重要度で区分すると、高 8件 / 中 11件 / 低 6件(8 + 11 + 6 = 25)です。
- 論点整理表の作成と引き渡し(工程④)。 高8件は全件、中11件のうち5件を弁護士確認に回し、合計13件としました。残る12件(中6件+低6件)は事業側と社内法務の判断で処理しました(13 + 12 = 25)。
- 記録(工程⑤)。 版番号、抽出日、使用ツール、確認者、除外した6か所とその理由を案件フォルダに残しました。
検算:候補52 − 誤検出6 = 確定46。確定46 = 形式21 + 実質25。実質25 = 高8 + 中11 + 低6。弁護士確認13(高8+中5)+ 社内処理12(中6+低6)= 25。いずれも一致しています。この検算は毎回行ってください。内訳の合計が合わないときは、同じ変更を二重に数えているか、原文照合の段階で除外した件数が反映されていません。
読み取っていただきたいのは、52か所のうち6か所が誤検出だった点と、最終的に弁護士に渡したのは13件だった点です。52か所をそのまま弁護士に送っていれば、弁護士の時間の相当部分が誤検出と形式的な修正の確認に費やされていました。絞り込みは、AIの仕事ではなく依頼する側の仕事です。
下読みの検証方法(契約文書に固有の項目)
AI出力の検証について一般的な型は生成AI出力の検証手順で扱っています。ここでは契約文書の下読みに固有の検証項目だけを挙げます。すべて、原文に戻って人が行う工程です。
- 条番号の実在確認。 出力に登場するすべての条番号・項番号・別紙番号が、対象のドラフトに実在するかを1件ずつ確認します。実在しないものが1件でもあれば、その出力全体を疑ってください。
- 引用文言の一致確認。 「原文のまま引用」と指示していても、送り仮名や句読点が変わっていることがあります。文字列として一致するかを確認します。
- 件数の内訳の検算。 合計件数と、種類別・重要度別の内訳の合計が一致するか。
- 定義語の波及確認。 定義条項に変更があった場合、その定義語が使われている本文の全箇所を確認します。定義の1語の変更が、本文の複数箇所の意味を動かします。
- 除外規定と否定表現の再読。 「〜を除く」「〜でない限り」を含む項は、AIの要約を読まずに原文だけを読み直します。
- 別紙の突合。 本文が別紙を参照している箇所について、参照先の別紙を実際に開いて内容を確認します。
- 抜けの確認。 自社チェックリストの38項目のうちAIが「該当なし」とした項目について、本当に記載がないのかを人が確認します。AIが見つけられなかっただけの可能性があります。
機密情報・個人情報の注意
契約ドラフトは、案件のなかでも機密性が最も高い文書の一つです。とくに、NDAの定めによっては、外部のAIサービスへの入力が制限される場合があります。入力する行為が開示に当たるのか、開示先の範囲に収まるのかは契約の文言によって変わるため、自己判断せず、法務・コンプライアンス部門と弁護士に確認してください。実務上の原則は単純で、社内で承認された環境以外に契約ドラフトを投入しないことです。個人情報が含まれる場合は、個人情報保護委員会が生成AIサービスの利用に関する注意喚起等を公表していますので、そちらもあわせて確認してください。入力可否の判定フローと社内規程の作り方は生成AIに入れてよい情報・いけない情報で扱っています。
よくある失敗
- AIに「この条項は不利ですか」と聞いてしまう。 最も多い失敗です。AIは必ず何らかの答えを返しますが、それは個別の事案の背景を踏まえた判断ではありません。しかも文章はもっともらしいため、そのまま社内の説明資料に流れていきます。AIには「どこに何が書いてあるか」だけを聞いてください。
- 要約だけを読んで、原文に戻らない。 要約で済ませると、かえって読み落としが増えます。AIの要約は原文のどこを読むかを決めるための索引であって、原文の代わりではありません。
- 別紙を渡さずに本文だけを投入する。 価格調整の算式、表明保証の対象一覧など、実質的な内容が別紙に置かれていることは珍しくありません。本文だけの分析は必ずどこかで破綻します。
- 弁護士に「AIの出力」をそのまま転送する。 誤検出と形式的な修正が混ざった一覧を渡すと、弁護士の時間が確認作業に消えます。設例のように絞り込んでから渡してください。
- 投入可否の確認を後回しにする。 「まず試してから考える」は、契約ドラフトについては通用しません。確認が取れるまでは、条文を含まない一般的な質問にとどめてください。
実務チェックリスト
- 社内で承認されたAI環境か。契約ドラフトの投入について事前の確認が取れているか
- NDA上、当該サービスへの入力が開示先の範囲に収まるかを法務・弁護士に確認したか
- 本文と別紙をすべて含む、完全な状態のドラフトを用意したか
- ワープロソフトの変更履歴が使えないことを確認したうえでAIを使っているか
- プロンプトに、評価・修正案・ひな形の提示を禁止する指示を入れたか
- 出力を表形式に固定し、条番号と原文引用を必須にしたか
- 出力に登場するすべての条番号が原文に実在することを1件ずつ確認したか
- 引用された文言が原文と文字列として一致することを確認したか
- 定義語に変更があった場合、その語が使われている本文の全箇所を確認したか
- 「〜を除く」「〜でない限り」を含む項について、原文を直接読み直したか
- 別紙を参照している項について、参照先の別紙を開いて確認したか
- 件数の内訳の合計が、合計件数と一致することを検算したか
- 論点整理表の「懸念」「重要度」「確認事項」の3列を、AIではなく人が書いたか
- 版番号・抽出日・使用ツール・確認者・除外理由を記録に残したか
日本の実務での留意点
ツール選定:どの水準の機能を提供しているかを確認します
前述の法務省の整理はサービスを提供する事業者側の話ですが、導入を検討しているツールがどの水準の機能を提供しているのかを見る目安になります。差分と字句の一致・不一致を示すにとどまるツールと、個別の事案に応じたリスクの程度や修正案を表示するツールとでは位置づけが異なります。この点を提供事業者に確認し、社内の法務部門と共有してください。
中小M&Aでは、当事者側に法務機能がないことを前提に設計します
中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)」では、仲介者・FAが、最終契約締結後・クロージング後に当事者間の争いに発展する可能性のあるリスクについて依頼者に説明を行うことが求められる旨が示されています。当事者側に法務部門がない案件では、下読みの成果物がそのまま当事者への説明資料になります。論点整理表の「こちらの懸念」の欄は専門用語を避けて事業上の言葉で書き、説明資料であって法的助言ではないこと、弁護士の確認が必要であることを資料自体に明記してください。
よくある質問(FAQ)
Q. 条項間で記載が食い違っている箇所を見つけた場合、どう扱いますか
A. 食い違いの意味を、こちらでAIに判断させないでください。気づいた事実(どの条のどの記述が、他の条や別紙とどう整合しないか)を記録し、弁護士に確認するのが手順です。条項間の不整合は、意図的な変更である場合と誤記である場合があり、どちらかによって対応がまったく変わります。設例の「価格調整の算定主体」の行がその例です。
Q. 過去に締結した契約を大量にAIに読み込ませて、自社の標準的な条件を把握することはできますか
A. 「どの条件がどの案件で採用されたか」という事実の一覧化であれば、図1のレベル1に収まります。補償の上限の金額、請求期間、独占交渉期間の長さといった項目を案件横断で表にする使い方です。ただし2点の注意があります。第一に、締結済み契約にも各案件のNDAが及んでいる場合があり、横断的にAIに投入してよいかは案件ごとに確認が必要です。第二に、「この条件が自社の標準である」という結論と「したがって今回もこの条件を主張すべきである」という判断は別物で、後者は交渉方針の決定にあたります。
Q. 社内に弁護士がいる場合、AIの使い方は変わりますか
A. 下読みの範囲という点では変わりません。図1の3段階は社内弁護士がいる場合も同じで、変わるのはレベル3の判断を誰に相談するかという経路と、その速さです。なお、法務省の前掲文書4項は、当該提供先の役職員等となっている弁護士が、サービスの利用結果も踏まえて対象となる契約書等を自ら精査し必要に応じて自ら修正を行う方法で利用するときには通常違反しないと考えられる、という趣旨の整理を示しています。弁護士自身が原文を精査するという前提は変わりません。
まとめ
- 契約ドラフトの下読みは、意味の評価を伴わない処理(レベル1)、AIの下書きを人が確定させる作業(レベル2)、弁護士の領域(レベル3)の3段階に分けて設計します。
- AIに任せてよいのは、条項の所在の特定、定義語の一覧化、参照関係の追跡、前バージョンとの差分抽出、チェックリストとの突合です。最も効果が出るのは差分レビューで、設例では候補52か所のうち6か所が誤検出、確定46か所(形式21・実質25)から弁護士確認に回したのは13件でした。
- AIは、定義語の取り違え、二重否定、「〜を除く」の係り受け、別紙参照、条番号のずれ、存在しない条項の混入で誤ります。対処は原文の条番号に戻ることの一点です。
- 成果物は要約ではなく、論点/該当条項/相手方の記載/こちらの懸念/ビジネス上の重要度/確認事項からなる論点整理表です。弁護士の時間を、探す作業ではなく判断に使ってもらうための道具として設計します。
- 本記事は法的助言ではありません。条項の意味と交渉余地は案件と準拠法によって異なります。実際の判断は必ず弁護士にご確認ください。
自社の契約類型で、論点整理表を1枚作ってみる
まずは直近の案件のNDAかSPAを1本選び、図2の論点を自社の言葉に置き換えたチェックリスト(項目番号つき)と、論点/該当条項/相手方の記載/懸念/重要度/確認事項の6列の様式を作ってください。次にドラフトが往復したとき、そのまま差分レビューの受け皿になります。
出典・参考(2026-08-16確認)
- 法務省大臣官房司法法制部「AI等を用いた契約書等関連業務支援サービスの提供と弁護士法第72条との関係について」(令和5年8月。同条の解釈・適用が最終的に裁判所の判断に委ねられる旨、審査業務支援サービスが「鑑定…その他の法律事務」に該当し得る場合/該当しないと考えられる場合、および4項の記載を確認) moj.go.jp
- 法務省「弁護士法(その他)」(上記文書および概要版の掲載ページ) moj.go.jp
- 法務省「新事業活動に関する確認の求めに対する回答の内容の公表」(確認の求め:令和6年6月25日/回答:令和6年7月22日。チェックリストの文言との言語的な意味内容の類似性のみを判定する場合に通常「鑑定」に該当しないと考えられる旨、および前掲ガイドラインの公表日が令和5年8月1日である旨を確認) moj.go.jp
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)-第三者への円滑な事業引継ぎに向けて-」(令和6年8月。秘密保持契約・意向表明書・表明保証条項の定義、および仲介者・FAに求められるリスク説明に関する記載を確認) https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/download/m_and_a_guideline.pdf
- 個人情報保護委員会「生成AIサービスの利用に関する注意喚起等について」(令和5年6月2日公表。公表の事実と表題を確認。個別の記載内容は同ページの添付資料をご確認ください) ppc.go.jp
- 総務省・経済産業省「AI事業者ガイドライン(第1.2版)」(令和8年3月31日) meti.go.jp
- 本記事の設例(株式会社ホクト計装による株式会社セイカ物流の株式取得、SPA本文68条・別紙7点、候補52か所・確定46か所ほか)はすべて架空企業による仮設例で、件数は説明のために置いた数値です(実測値ではありません)。図1〜図3、「AIが契約文書で誤りやすい6つの型」「弁護士へ渡す論点整理の様式」は本記事の提案する整理です。
※本記事は教育目的の一般的な解説であり、法務・税務・会計・投資に関する助言ではありません。実際の判断は専門家にご確認ください。設例は理解のための仮設例です。AI製品の仕様・料金は変更されることがあるため、利用前に各社の公式情報をご確認ください。