この記事で分かること
- 1720年の南海会社が、国債と株式の交換と4回の金銭募集(額面100ポンドの株を300〜1,000ポンドで販売)で株を増やした経緯。議会の調査報告と研究文献で確認できる範囲を、確認上の限界とともに示す
- 株数を固定価格で決めるか時価で決めるかで、旧株主と株を受け取る側の損得がどう変わるか(単純化した設例)
- 現代のDES・CB・MSCBとの違いと、発行条件・発行価格・株価支援策・裁定の限界を実務で確かめる手順
想定読者:増資・CB・DESなど資金調達や再建の条件を検討する方、バブルの歴史を金融の目で読みたい方
前提知識:株式と社債の基本(用語は本文で説明します)
1720年の春から夏にかけて、ロンドンの南海会社(South Sea Company)は二つの方法で自社の株を増やしていった。一つは、国債の保有者に、手元の国債を南海会社の株と交換するよう持ちかけること。もう一つは、現金と引き換えに新しい株を売り出すことである。現金での募集は4回行われ、額面100ポンドの株1口に付けた価格は300ポンド、400ポンド、1,000ポンド、1,000ポンドと上がっていった1。
株価は秋に急落した。翌1721年、庶民院の秘密委員会は、取締役たちが株の「想像上の価値」を高く引き上げて支えることを主眼にしていたように見える、と報告している2。
なぜ会社は株価を高く保とうとしたのか。研究者がよく挙げる説明の一つは、国債と株の交換比率が事前に固定されておらず、株価が高いほど同じ額の国債を少ない株数で取り込めた、というものだ。債務を株に置き換えるとき、何株を渡すかの決め方が、発行する側の行動を変える。この構図は、現代のDES(デット・エクイティ・スワップ)や転換社債(CB。株に転換できる社債で、新株予約権付社債)、転換価額修正条項付CB(MSCB)の条件を考える教材になる。ただし南海会社の交換は、現代のDESとは当事者も目的も違う。本稿は両者を分けて整理する。
| 年月 | 出来事 |
|---|---|
| 1711年 | 南海会社が設立される。公式の目的は対スペイン領アメリカ貿易だったが、貿易は限定的で、政府債務の取扱いが中心になる |
| 1719年 | 先行して、国債の一部を新規発行の株式と交換する |
| 1720年4月 | イングランド銀行との競争を経て、南海会社法が4月7日に成立。第1回(4月)・第2回(4月末)の金銭募集 |
| 1720年6月 | 第3回の金銭募集(申込時に価格の10分の1を払込み)。Bubble Act が成立(特許状などのない株式会社的な活動を禁じる) |
| 1720年6〜8月 | 6月22日から8月22日まで、南海株の名義書換の帳簿が閉じられる |
| 1720年8月 | 第4回の金銭募集。30日、取締役会が高率の配当を決議(9月8日の総会で承認) |
| 1720年9月 | 会社の金融部門的な存在だった Sword Blade 社が支払不能に |
| 1721年 | 1月21日、会社の出納官が姿を消す。庶民院の秘密委員会(13人)の報告が印刷される |
南海会社の計画——国債を株に換え、株価が高いほど少ない株数で済む
南海会社は1711年に設立された。公式の目的は対スペイン領アメリカとの貿易だったが、貿易は限られ、実態は政府債務の取扱いが中心だった。1719年には先行して、国債の一部を新規発行の株と交換している3。
1720年の計画は、残る国債のほとんどを南海会社の株に換えるもので、会社はその権利の対価を財務省に支払う構想だった。イングランド銀行も対抗案を出し、競り合いの結果、南海会社は政府への提示条件を大きく改善せざるを得なかった。計画は同年4月7日に法律の形を得る4。同じ年、フランスのミシシッピ会社も国債を株に換える仕組みを持ち、二つは並ぶバブルとして論じられる5。
国債の保有者から見れば、利息を受け取る国債(年金など)を手放して株を受け取る取引である。会社から見れば、株を発行して、政府に対する債権を手に入れることになる。何株を渡すかについて、TeminとVoth(2004)は、転換比率は固定されておらず、株価が上がるほど会社は国債を安く取得でき、それは株主にとって明らかな利点だったと説明する。Giustiらは、1719年の操作が事前に決めた価格で交換したのに対し、1720年は交換比率をあいまいにしたまま進めた、と整理している6。法文は本稿で確認できておらず、後の設例は仕組みを示すための単純化で、史実の比率ではない。
交換に応じた側には別の制約もあった。Hoppit(2002)によれば、交換に応じた公的債権者の株が売買できる形で交付されたのは1720年12月30日で、夏の高値で売り抜けることはできなかった7。
4回の金銭募集と株価の支え——額面100ポンドの株を1,000ポンドで売る
国債との交換と並行して、会社は現金で株を売り出した。4回で発行した株は額面で計1,000万ポンド、当初条件による約定払込総額は7,525万ポンドにのぼる(編集部の合算。実際に払い込まれた額ではない)8。
払込みは一度に全額ではなかった。第3回では価格の10分の1を申込時に払い込む方式がとられ、詩人のJohn Gayは1万ポンド分を引き受けて、まず1,000ポンドを払い、残りは約5年にわたる分割払いの予定だった9。1口1,000ポンドなら申込時の支払いは100ポンドで済む。残りの払込義務を守る前提で、金利などを無視すれば、1口の値段が10%動くと頭金と同じ額の評価損益が生じる(編集部の計算)。支払いの延期が、このレバレッジを生む。これとは別に、値下がりしたときに残りの払込みをやめる(不履行)選択の余地があれば、オプションに似た性質を持つと研究者は説明する。ただし、払込みの義務をどこまで強制できたかには議論がある10。
会社は株価を支える手も打った。秘密委員会によれば、会社は募集の受益証書を担保に貸付けを行い、その一般的な基準は受益証書100ポンド当たり300ポンドだった11。6月22日から8月22日までは名義書換の帳簿が閉じられ、その間に観測された最高値は先渡し取引に近いものだった12。8月30日には取締役会が、1720年のクリスマスに30%、その後12年以上にわたり毎年50%(額面に対して)の配当を宣言する決議をした。TeminとVothは、これを下がり始めた株価を支えるための約束とみて、額面の50%は市場価格に対して約6%にあたると記す13。
株価は資料によって数字に差があるが、1720年初めの約120〜130ポンドから6月ごろに1,000ポンド近くまで上がり、10月ごろには約200ポンドまで下がった14。9月には会社の金融部門的な存在だったSword Blade社が支払不能になり、取締役会は9月29日、最後の2回の金銭募集などの引受人の払込条件を引き下げる決議をした15。
秘密委員会の報告には、発行価格についての試算もある。委員会の指示で行った計算によれば、政府に約束した金額を調達し、旧株主に150万ポンド近い利益を残すだけなら、株を100ポンド当たり150ポンドを超える価格で売る必要はなかったという16。政治的な調査の中で示された試算なので、前提を確かめて読む必要がある。
株数の決め方で、誰が得をするのか——単純化した設例
「株価が高いほど少ない株数で済む」仕組みが誰の損得を動かすのか、現代の会社に置き換えて確かめる。
設例の前提(単純化した設例)
- A社の発行済株式は1億株、本源的価値(将来の現金を生む力に見合う価値)は100億円で、1株100円とする
- A社は価値200億円の債権を株と交換して資産として取り込み(自社の負債が減るDESとは違う)、交換後の価値は300億円になる
- 渡す株数を、(a) 1株100円の固定価格で決める場合と、(b) 交換時の株価で割って決める場合を比べる
- 税金・手数料、交換そのものが株価に与える影響は考えない。数値は仮の値で、南海会社の実際の条件ではない
(a) 固定価格なら、渡す株は2億株、交換後は3億株で、1株の価値は100円のままだ。固定価格の100円が交換前の本源的価値と一致するため、株価がいくらでも、旧株主と債権者の間で価値は動かない。
(b) 時価で割る場合、株価が本源的価値を上回る300円なら、渡す株は200億円÷300円=約0.67億株で済む。交換後の1株の価値は300億円÷約1.67億株=180円に上がり、旧株主の持分は100億円から180億円に増える。債権者が受け取った株の価値は約0.67億株×180円=120億円で、200億円の債権の対価としては80億円足りない。その分が旧株主に移った。逆に株価が50円まで下がれば、渡す株は4億株に増え、1株の価値は60円に下がる。
時価で株数を決める条件では、交換時の株価が高いほど旧株主が得をし、株を受け取る側が損をする。しかも株価が本源的価値を上回る限り、交換後の1株の価値は交換時の株価に届かない。Giustiらも、1720年の構造では旧株主の持分の価値は上がるが、直近の発行価格には追いつかないと整理している17。発行する側に、株価を高く保つ誘因が生まれるのはここである。
現金での募集も同じ構造を持つ。表2は、同じA社が0.5億株を現金で発行する場合の比較である。
| 発行価格 | 払込額 | 発行後の 1株の価値 (本源的価値) | 新株主の 持分 (本源的価値) | 価値の移転 |
|---|---|---|---|---|
| 300円 | 150億円 | 166.7円 | 83.3億円 | 66.7億円(新株主→旧株主) |
| 100円 | 50億円 | 100.0円 | 50.0億円 | 移転なし |
| 50円 | 25億円 | 83.3円 | 41.7億円 | 16.7億円(旧株主→新株主) |
1株300円で発行すれば、株数は50%増えるのに、旧株主の1株の価値は100円から166.7円に上がる。新株主は150億円を払って83.3億円分の持分を得るので、差の66.7億円が旧株主に移る。50円で発行すれば、向きが逆になる。委員会の150ポンドの試算は、編集部の整理では、新しい引受人からの移転がどこまで必要だったかを問うたものと読める。
ただし、会社がこの誘因に従って動いたという説明は通説で、確定した事実ではない。Kleer(2012)は、会社は転換から株価上昇による直接の利益を得る必要はなく、銀行業での優位を狙っていたと論じ、通説の前提を批判している18。
現代のDES・CB・MSCBと比べる——似ているのは「条 件が誘因を決める」点だけ
| 項目 | 南海会社(1720年) | 現代のDES(一般的な形) | 現代のCB・MSCB |
|---|---|---|---|
| 株を受け取る人 | 国債(年金など)の保有者 | その会社に貸している銀行などの債権者 | その会社の社債の保有者 |
| 株を出す会社と債務の関係 | 政府の債務を引き取り、政府に対する債権者になる(自社の借金ではない) | 自社の借金が株に変わり、負債が減る | 自社の社債が株に変わる |
| 主な目的 | 国債を取り込んで株式を増やす。会社の動機には通説と異説がある | 経営が苦しい会社の財務の立て直し | 資金調達 |
| 株数の決め方 | 交換比率は事前に固定されていなかったと研究者は説明する(法文は本稿で未確認) | 債権の評価額と株の価値をもとに個別に決める | 固定転換価額型の CB は発行時に転換価額を固定(調整条項あり)。転換価額修正条項付 CB(MSCB)は、修正の頻度と下限の範囲で転換価額が時価に合わせて修正される |
| 株価が動くと誰が得をするか(設例の整理) | 株価が高いほど、発行する会社の旧株主 | 条件しだい(債権を高く評価するほど、また株式の交換価格を低く設定するほど、債権者への交付株数が増える) | 固定転換価額型の CB は株価が上がると、転換する保有者。MSCB は下限までは株価が下がるほど交付株数が増え、既存株主の持分比率が下がる(保有者の損益は企業価値・ヘッジ・売却条件などで決まる) |
まず違いである。南海会社の交換で株を受け取ったのは国債の保有者で、会社は政府の債務を引き取って政府に対する債権者になった。会社自身の借金が株に変わったわけではない。現代のDESは、経営が苦しい会社に貸している銀行などが債権を株に換え、会社の負債を減らす再建の手法である(DES・DDSの実務比較)。債権者、目的、当事者がいずれも違い、南海会社の取引を「DESの先駆け」と呼ぶのは正確ではない19。
似ているのは、債務を株に置き換えるとき、株数の決め方が関係者の誘因を左右する点である。固定転換価額型のCBは発行時に転換価額を決め、株価が上がれば保有者が転換を選ぶ。転換価額が固定されているので、発行体が株価を動かしても交付する株数は変わらない。これに対して転換価額修正条項付CB(MSCB)は、下限に達するまでは株価の下落に合わせて転換価額が下がり、交付株数が増えて既存株主の持分比率が下がる。どこまで株数が増えうるかは、修正の頻度と下限で決まる。保有者の損益は、交付株数ではなく、企業価値・ヘッジ・売却条件などで決まる。
現代の実務への応用——条件・価格・株価支援策・裁定の限界
1. 転換の条件は「株 価が動いたとき、誰の持分が増えるか」から読む
CB・MSCB・新株予約権の発行や、再建でのDESの条件を検討する取締役会や投資家が、最初に確かめたい点である。手順は四つある。第一に、株数を決める価格が固定か、修正条項があるか、修正に下限があるかを契約書で確かめる。第二に、株価が半分・横ばい・2倍になったときの交付株数と、1株の価値を図2のような表にする。希薄化後の株数の数え方は転換社債の希薄化調整にまとめた。第三に、誰が株価から利益を得るかを確かめる。取得する債権と既存株式の本源的価値を一定とした設例では、時価連動の条件のもと、発行する側は株価が高いほど、株を受け取る側は低いほど得をする。株を受け取る側がヘッジのために株を空売りできる立場なら、その売りが株価を押し下げ、交付株数をさらに増やすおそれがある。第四に、受け取った株をいつ売れるかを確かめる。南海会社の公的債権者のように、交付が遅れれば値下がりの危険は受け取る側に残る。
判断の基準は、時価連動の条件が、株価に影響を与えうる当事者に誘因を与えていないかである。与えているなら、修正の下限、交付株数の上限、行使の制限で誘因を抑えているかを確認し、抑えがなければ条件の見直しを求める。
2. 希薄化は持分比率と1株の価値を分けて測る
第三者割当や公募の発行価格、DESで債権をいくらの株と換えるかを判断する場面では、株数の増え方だけを見ても損得は分からない。表2の例では、株数が50%増えると、旧株主の持分比率は発行価格にかかわらず100%から66.7%に下がる。一方、旧株主の1株の価値は、発行価格しだいで増えも減りもする。手順は、発行前の本源的価値をDCFなどで見積もり、発行後の1株の価値を計算し、「払込額-新株主の持分の価値」で移転の向きと大きさを出すことだ。本源的価値を下回る価格で発行すれば、旧株主から新株主への経済的な価値移転が生じる。法的な有利発行に当たるかは、公正な払込金額などの別の検討を要する。逆に、市場の株価が本源的価値より高いときに株価を基準に発行すれば、新株主から旧株主へ移る。市場価格を基準にした条件も、公平とは限らない。
3. 株価支援策をガバナンス上の危険信号として読む
南海会社では、株価を支える手(自社の受益証書を担保にした貸付け、高率の配当の宣言)に加えて、名義書換が止まり受渡しに制約があった期間の高値や、取締役らの名簿による割当てがあった20。表4は、これを現代の案件で確かめる項目に置き換えたものである。
| 信号 | 南海会社で見られたこと | 現代の案件で確かめること |
|---|---|---|
| 自社株を担保にした貸付け・保証 | 会社が募集の受益証書を担保に貸付け(基準は100ポンド当たり300ポンド) | 会社や関係者が株の購入資金を貸していないか。関連当事者取引、株式を担保にした借入れの開示 |
| 裏付けの乏しい配当の約束 | 8月30日、額面当たり年50%の配当を12年以上続けると決議 | 配当の原資になる利益と現金の見通し、分配可能額、宣言した時期と株価の動き |
| 名義書換・受渡しに制約がある期間の価格 | 名義書換の停止中に最高値。先渡しに近い取引だった | 浮動株の量、売買の停止・受渡しの制約、その間の価格を評価の根拠にしていないか |
| 限られた相手への割当て | 第1〜3回の募集は取締役や政府関係者の名簿で配分された | 誰に、どの価格と順番で割り当てたか。割当先と経営陣の関係 |
| 株価に連動する発行条件 | 交換比率が固定されていなかったとされる | 発行条件が株価で変わるか。変わるなら、誰が株価から利益を得るか |
配当の約束は、利益と現金で裏付けられるかで判断する。TeminとVothの説明では、同時代の議員Hutchesonは、株価1,000ポンドを正当化するには額面100ポンド当たり少なくとも年40ポンドの配当が必要で、それもリスクに見合う上乗せを無視した下限だと計算していた21。現代でいえば、株価に対して少なくとも4%の配当利回りを、将来にわたって払い続けられるかという問いである。ただし、支援策の効果は単純ではない。TeminとVothは、募集と貸付けは全体として株の供給をむしろ増やしたとみられるとも述べている。一つの信号だけでは不正の証拠にならないが、複数が重なり、しかも発行の条件が株価に連動しているなら、経営陣に株価を支える誘因があるとみて追加の開示を求めるか、投資を見送る判断材料にする。
4. 割高と分かっていても、価格はすぐには戻らない
1720年3月の時点で、Hutchesonは南海株の高値に実体的な根拠はないと書いていた22。それでも価格は上がり続けた。TeminとVoth(2004)が帳簿を調べた銀行Hoare’sは、1720年の2月から9月中旬までに南海株の売買で19,355ポンドの利益を上げ、9月1日には745〜773ポンドで売っている。二人は、この銀行が割高と知りつつ「バブルに乗った」と解釈し、空売りの制約や運用の委託に伴う問題ではなく、他の投資家がいつ売るか分からないこと(同期リスク)が売り向かいを妨げたと論じる。自分だけ先に売り向かっても、他の投資家が買い続ける間は価格が上がり、損失を抱えるおそれがある、という説明である。単一の銀行の事例であり、一般化には慎重であるべきだ23。
投資家にとっての教訓は、割高の指摘だけでは売りの判断にならないことだ。空売りや持ち高の削減を考えるなら、乖離が解消するきっかけ(決算、資金需要、発行の終了など)、それまで持ちこたえる資金と期間、損失の上限、他の投資家の動きを先に確かめる。価格の乖離を点検する指標はバブルの兆候を指標で点検するで扱っている。
限界と異説——南海泡沫事件の「定 説」をどこまで信じるか
株価上昇の主因については学説が対立する。Frehenら(2013)は、上昇は大西洋貿易と保険業の革新への期待で説明でき、国債を株に換える仕組みが重要な要因だった証拠は乏しいとする。国債交換をまねた会社がなかったオランダでもバブルが起きたことが根拠の一つだ。一方、Giustiらの実験室実験では、交換の仕組みが価格の急騰に最も大きく寄与し、分割払いがそれに次いだ。実験の結果は史実の証明ではない24。投資家が非合理だったかについても、Daleら(2005)とShea(2007)の論争は決着しておらず、Hoppitは合理的な投資と非合理な賭けの区別自体が堅固でないと論じる25。
Bubble Actは1720年6月の成立で、暴落の後に作られた法律ではない。ただし暴落との因果は定まっておらず、Hoppitは暴落の原因の一つとみる一方、TeminとVothは価格への影響は小さかったとする26。また、仕組みを「ポンジ・スキーム的」と評する研究者もいるが、比喩的な評価であり、法的な詐欺の認定ではない。会社は暴落後も19世紀半ばまで存続した27。
よくある質問
南海泡沫事件とは何ですか。
1720年、英国の南海会社が国債を自社株に換える計画を進めるなかで株価が急騰し、秋に急落した出来事です。翌年、庶民院の秘密委員会が経緯を調べて報告しました。
ニュートンは南海泡沫事件で全財産を失ったのですか。
Odlyzkoの推計では損失は約1万ポンドで、破産はしていません。
まとめ——株数を決める条件が、株価を支える誘因を生む
南海会社は額面100ポンドの株を最後は1,000ポンドで売った。交換比率が固定されていなかったことが株価を高く保つ誘因になったという説明が有力だが、異説もある。設例のとおり、時価で株数を決める条件では、株価が本源的価値から離れるほど、旧株主と株を受け取る側の間で価値が動く。現代のCB・MSCB・DES・増資でも、株価が動いたとき誰の持分が増えるか、発行価格は本源的価値と比べてどうか、株価を支える手が打たれていないかを確かめたい。
脚注
- R2 p.150 Table 1、R1 第1報告 pp.12–14、R4 p.6 Table 1。各回の価格は「約定払込総額÷額面×100」と一致することを確かめた(編集部の計算)。募集の日付は資料によって異なり(R2:4月14日・4月29日・6月17日・8月24日。R4:第3回を6月16日。R1 の取締役会の決議日:4月13日・4月28日・6月15日・8月12日)、決議日・開始日などの定義の違いとみられるため、本稿では月のみ記す。↩
- R1 第1報告 p.16(原文の語は「imaginary Value」)。委員会の評価であって事実の認定そのものではなく、取締役側の反論は含まない。R2 pp.154–155 は、議会の調査後に出された請願が政治的な動機を帯びていたと指摘する。R1 の頁は、デジタル化版の OCR 上の頁見出しからの推定。↩
- R3 pp.4–5(WP の頁。以下同じ)、R2 pp.141–142、R10 §2。1719年の操作の金額は一つの資料(R3 p.5)でしか確認できず、対象となった国債の呼び方も資料で異なる(R3 p.5、R4 p.5)ため記さない。↩
- R3 p.5、R4 p.5、R2 pp.143, 146、R6 要旨。会社が財務省に示した対価の額は資料で食い違い、どの時点の提示かも異なるため記さない。R3 Figure 1 の注記は、3月21日に法案の最初の通過、5月19日に転換条件の公表とする。法文(6 Geo. I c.4)は本稿では確認できていない。↩
- R5 p.1。Frehen らは、この共通点を価格上昇の主因とはみなしていない(脚注24)。↩
- R3 p.5、R4 pp.5–6。両資料は共著者(Voth)が重なり、独立した確認とはいえない。R4 は、債務と株の実際の交換は5月と8月に行われたとする(p.7)。↩
- R2 p.148。一つの資料による記述で、対象は交換に応じた公的債権者に限られる。↩
- R2 p.150 Table 1 の額面と約定払込総額を編集部が合算した。委員会は、取締役会が当初決議した募集額を後に増やしたと指摘している(R1 pp.13–14)。約定払込総額は約束された額で、分割払いの途中で条件が変わったため、全額が実際に払い込まれたとは限らない(脚注9・15)。↩
- R1 第1報告 p.13、R2 p.149。Hoppit は、秋の暴落後にこうした分割払いの義務は取り消されて新しい株が無償で付与され、Gay が実際に払ったのは引受額の10分の1だったと記す(一つの資料による記述で、時期と範囲は確認できていない)。編集部の計算:1,000ポンド×1/10=100ポンド、100÷1,000=10%。↩
- R4 p.6(注4で Shea 2007 を参照)、R8 要旨。払込みの義務の履行がどこまで強制できたかは、R7・R8・R9 の間で議論がある。↩
- R1 第1報告 p.16。Temin と Voth も、会社が自社株を担保に気前よく貸したと記す(R3 p.5)。貸付けの総額は OCR の数字が乱れているため記さない。↩
- R3 p.9、R10 §2。Odlyzko は、6月末の価格の不連続を、即時の決済から先物に近い取引への切り替えによるものとする。↩
- R1 第1報告 p.12、R3 p.6。決議は9月8日の総会で承認された。「50%」「12年」の部分は OCR の読み取りに乱れがあり、R3 の記述(額面の50%)と合わせて読んだ。委員会は、高率の配当を宣言した時点で直後の急変を予見していなかったのは不可解だと批判している(R1 pp.12–13)。↩
- R2 p.143(年初に130、6月に1,000近く)、R4 p.3(年初は120をやや上回る)、R3 Figure 1。最高値は名義書換の停止中に観測されている(脚注12)。ピークからの下落率は、資料によって定義と数字が一致しないため示さない。↩
- Sword Blade 社:R3 p.6、R2 p.157(R2 は「9月に閉店した」と記す)。9月29日の決議:R1 第1報告 p.12。対象の引受人にイングランド銀行と同じ条件を与えるという内容で、引下げ後の金額は OCR の読み取りが乱れているため記さない。↩
- R1 第1報告 p.12。委員会の指示で行われた計算で、OCR から読んだ値のため、原本での再確認が必要である。委員会は同じ箇所で募集後の株の価値も試算しているが、読み取りが不確かな数字を含むため本稿では使わない。↩
- R4 pp.8–9。同時代の新聞が示した内在価値の数字について、R4 は算出法が不明で正しくないとしており、本稿では使わない。↩
- R6(要旨のみ確認。本文は未読)。「高い株価が会社に有利だった」という説明(R3 p.5)に対する異説である。↩
- 編集部の整理。南海会社の当事者の関係は R3 p.5、R2 pp.142–143 による。「DES」は現代の用語で、当時の呼び方ではない。↩
- 貸付けと配当は脚注11・13、名義書換は脚注12を参照。割当て:R2 pp.150–151 によれば、第1〜第3回の募集は取締役や政府関係者が持つ名簿で配分され、最大の第3回は35人を経由した。委員会も、取締役や大臣・高官への割当ての名簿を列挙している(R1 第1報告 p.14)。Temin と Voth は、募集と貸付けは全体として株の供給をむしろ増やしたとみられるとも述べる(R3 pp.27–28)。↩
- R3 p.23。Hutcheson の原典は未読で、Temin と Voth の要約による。編集部の計算:40÷1,000=4%。↩
- R3 p.22、R2 pp.146–147。両者は同じ原典の同じ文言を引いている。↩
- R3 pp.2–4, 10, 26–28。Hoare’s の1720年の利益は年間で28,000ポンドを超えた(R3 p.2)。同期リスクの考え方は Abreu と Brunnermeier(2003)によるもので、R3 内の説明で確認した。↩
- R5 pp.3, 17(WP。公刊版の結論は要旨で確認)、R4 p.1(要旨)。R4 は公刊の有無を確認できていないワーキングペーパーで、実験室の結果である。↩
- R7・R8・R9(いずれも要旨のみ確認)、R2 p.148。Dale らは株と募集の受益証書の価格差から非合理な行動を主張し、Shea は募集の契約に不履行を選べる性質があり、当時の人々は仕組みを理解していたとして反論した。Dale らは同じ年に再反論している。↩
- R2 p.145 注7、R3 p.6 注6、R5 pp.17, 20。国王の裁可の日付は資料によって異なる(R5 は9日)。R5 は、既存の会社に対する令状(scire facias)が暴落の引き金だった可能性を挙げる。成立の経緯と動機は学説が分かれる。↩
- R4 p.9、R10 §2。↩
- R10 §1, §3, §6、R2 p.149 注24。Odlyzko の推計は、元になった査読論文(Notes and Records, 2019)によるもので、本稿は元論文を確認できていない。Hoppit も「2万ポンドを失った」という話の根拠は決定的でないとする。ニュートン自身は1724年の手紙で、南海会社で多くを失ったと書いている(R10 §6)。↩
参考文献(2 026年10月確認)
- R1 The Several Reports of the Committee of Secrecy to the Honourable House of Commons, relating to the late South-Sea Directors, &c. London: A. Moore, 1721(サウサンプトン大学図書館のデジタル化版。OCR テキストで参照) archive.org (参照箇所:第1報告 pp.11–16(頁は OCR 上の頁見出しからの推定)。脚注1・2・8・9・11・13・15・16・20の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R2 Hoppit, Julian. “The Myths of the South Sea Bubble.” Transactions of the Royal Historical Society, 6th ser., 12: 141–165, 2002(UCL Discovery の著者版) discovery.ucl.ac.uk (参照箇所:pp.141–157、Table 1、注7・24。脚注1・2・3・4・7・8・9・14・15・19・20・22・25・26・28の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R3 Temin, Peter and Hans-Joachim Voth. “Riding the South Sea Bubble.” American Economic Review 94(5): 1654–1668, 2004(Universitat Pompeu Fabra Economics Working Paper 861 で参照。頁は WP) repositori.upf.edu (参照箇所:pp.2–10, 22–23, 26–28、Figure 1、注6。脚注3・4・6・11・12・13・14・15・18・19・20・21・22・23・26の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R4 Giusti, Giovanni, Charles Noussair and Hans-Joachim Voth. “Recreating the South Sea Bubble: Lessons from an Experiment in Financial History.” Universitat Pompeu Fabra Working Paper(2013年ごろ) econ-papers.upf.edu (参照箇所:pp.1–9、Table 1。脚注1・3・4・6・10・14・17・24・27の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R5 Frehen, Rik G. P., William N. Goetzmann and K. Geert Rouwenhorst. “New evidence on the first financial bubble.” Journal of Financial Economics 108(3): 585–607, 2013(NBER Working Paper 15332 で参照) nber.org (参照箇所:WP pp.1, 3, 17, 20。脚注5・24・26の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R6 Kleer, Richard. “‘The folly of particulars’: the political economy of the South Sea Bubble.” Financial History Review 19(2): 175–197, 2012 doi.org (参照箇所:要旨。脚注4・18の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R7 Dale, Richard S., Johnnie E. V. Johnson and Leilei Tang. “Financial markets can go mad: evidence of irrational behaviour during the South Sea Bubble.” Economic History Review 58(2): 233–271, 2005 doi.org (参照箇所:要旨。脚注10・25の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R8 Shea, Gary S. “Financial market analysis can go mad (in the search for irrational behaviour during the South Sea Bubble).” Economic History Review 60(4): 742–765, 2007 doi.org (参照箇所:要旨。脚注10・25の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R9 Dale, Richard S., Johnnie E. V. Johnson and Leilei Tang. “Pitfalls in the quest for South Sea rationality.” Economic History Review 60(4): 766–772, 2007 doi.org (参照箇所:要旨。脚注10・25の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R10 Odlyzko, Andrew. “Isaac Newton and the perils of the financial South Sea.” 改訂プレプリント(2020年3月5日版) www-users.cse.umn.edu (参照箇所:§1–3, §6。脚注3・12・27・28の根拠。閲覧日:2026年10月)
※本記事は教育目的の一般的な解説であり、投資助言ではありません。図2・表2と本文中の設例は理解のための単純化した設例で、数値は仮の値です(南海会社の実際の交換条件ではありません)。1720年の数値は各史料・研究が伝えるもので、資料によって差があり、議会報告は印刷物のデジタル化版から読んだものです。アイキャッチ画像は生成AI(Gemini)で作成したイメージで、史実の場面を再現したものではありません。