想定読者:株式の運用・トレーディング、IR・株主対応、市場規制に関わる方、デリバティブを学ぶ方
前提知識:株式と先渡(将来の受渡しの約束)の基本があると読みやすい

1609年2月、アムステルダムでオランダ東インド会社(VOC)の株を「売る」ための組合が結成された。率いたのは、VOCの創業時の取締役で最大の株主でもあった元取締役、イサーク・ルメール(Isaac Le Maire)である。彼らは株を将来渡す約束で売り、株価が下がれば利益を得る立場に立った。研究はこれを売り崩し(bear raid。売りを集中させて価格の下落を狙う行動)と呼ぶが、この語は違法な相場操縦と同義ではない。通説はこれを詐欺的な相場操縦とみて、政府もそれに対応したと説明してきた1。

経済史家の Gelderblom・de Jong・Jonker(2026)は、163件の先渡契約と会社の帳簿、取締役会の記録からこの事件を組み立て直し、別の姿を示した2。売り方は秘密の組織ではなく、政府は当初介入を拒み、空売りを制限する命令が効力を持ったのは、売り方が買い方に追い詰められた後だった。

空売りは市場を壊すのか、規制は何を守るのか。本稿は先渡の決済構造と、売り方・買い方・会社・政府の動きに絞って史料と研究をたどり、現代の空売り規制の実証研究と並べる。VOCの資本調達と配当の設計は別稿で扱う。

年表:VOC株の売り崩しと踏み上げ(1605〜1610年)
年月出来事
1605年創業時からの取締役で最大株主のルメールが、横領の疑いをかけられて取締役を辞任
1607年1月アムステルダムの商人がVOC株の最初の先渡契約に署名。2月と6月、取締役が先渡の登録制限を求めるが拒まれる
1608年7月取締役会が全商館にルメールの取引の帳簿記録を禁じる
1608年8月〜1609年1月株価が約160から140未満に下落
1609年1月ルメールがオルデンバルネフェルトに書簡。特許の延長に反対し、独占範囲の縮小を求める
1609年2月ルメールら11人がVOC株を共同勘定で取引するシンジケートを結成
1609年3月取締役が、先渡で売った株を1か月以内に買い手名義へ移す義務づけを求めるが、退けられる
1609年11月取締役 Joncheyn が商人たちと買い方のグループを組む
1609年12月〜1610年1月ホラント州議会が要請を高等裁判所に諮問。ルメールは却下を求めて反論
1610年2月27日連邦議会が先渡売りを制限する命令(研究によれば施行は4月1日、既存契約には遡及せず)
1610年3月下旬アムステルダム商館が額面の75%のメース現物配当を発表。買い方が売り手に通知し、踏み上げとなる
1610年4〜5月先渡業者8人が破産(シンジケートのメンバー3人と帳簿係を含む)
1610年9月〜年末追加配当の決議。年末の株価は226%
出典:Gelderblom, de Jong & Jonker​(2026)を​もとに​編集部作成。​株価は​額面100に​対する値。​1610年2月27日の​命令は​同論文が​Van Dillen​(1930)の​翻刻に​依拠して​記す​もので、​本稿は​命令の​原文を​確認していない。

株を​持たずに​売れた​——VOC​株の​先渡契約

アムステルダムの商人が最初のVOC株の先渡契約に署名したのは1607年1月である。穀物やニシンの先渡には既に慣れていた3。先渡とは、今日決めた価格で将来に受け渡す約束で、取引所を通さない相対の契約をいう。

契約は、価格を額面に対する上乗せ率で表し(株価160は額面100に60の上乗せ。本稿の株価も同じ表示)、期間と支払方法を定め、双方が「人と財産」を担保に差し出す形をとった。売り手が将来渡す株の現在の名義人は、契約書に書かれなかった4。満期まで株は買い手の名義にならないため、契約の間の配当は売り手の側に残る。そこで満期には受け取り済みの配当を契約価格から差し引いて買い手に戻す扱いが標準となり、売り手はその配当の利回りも年7〜9%で買い手に補償した5。

鍵を握ったのは決済の方法である。先渡は会社の帳簿で名義を書き換えずに、差額を現金で精算できた。商人は公証人を使わない私的な契約に移り、1608〜09年に公証人が作成した先渡契約は3件しか残っていない6。差金で決済できる限り、売り手は株を持っていなくてもよい。取締役は1607年2月と6月に、先渡の登録を制限し、株式の取引は会社の帳簿への記録を有効の条件とするよう政府に求めたが、いずれも拒まれた7。

VOC株の先渡契約の仕組み図1 VOC株の先渡契約の仕組み1607年に始まった契約の標準的な形(Gelderblomらの整理)売り手株価の下落で得をする買い手株価の上昇で得をする① 契約時価格は額面に対する上乗せ率で決め、期間と支払方法を定める。双方が「人と財産」を担保に差し出す売り手が渡す株の今の名義人は契約書に書かない② 期中配当は売り手が受け取る。満期にその分を契約価格から差し引き、利回りを年7〜9%で買い手に補償③ 満期(a) 会社の帳簿で株の名義を書き換え、代金を払う(b) 名義を書き換えず、差額を現金で精算する(b) が使えたため、株を持たずに売ることができた。引渡しを求められたときに、売り手の弱さが表れる
出典:Gelderblom, de Jong & Jonker​(2026)​§III​(先渡契約163件、公証人記録・商人の帳簿)を​もとに​編集部作成。​1607年初めは​配当の​扱いが​契約ごとにばらつき、​本図の​形は​次第に​標準化した​もの。

売り方の​内側——同じ​組合で​損益の​向きが​逆だった

ルメールは1602〜09年の各年末にアムステルダム商館の最大株主(持分2.27〜2.43%)だったが、1605年に横領の疑いをかけられて取締役を辞任していた。疑いは事実として認定されたものではない8。1608年7月、取締役会は全商館に彼の取引を帳簿に記録しないよう命じ、彼は株を買い増すことも売ることもできなくなった9。株価は1608年8月末の約160(額面100に対する値)から1609年1月には140未満に下がっていた。シンジケートの結成前のことである10。

ルメールの狙いは会社の方針にもあった。1609年1月、彼は連邦議会の実力者オルデンバルネフェルトに書簡を送り、VOCの特許の延長に反対し、北方航路やマゼラン海峡経由の航路を独占の範囲から外すよう求めた。株主としては、債務が増えて配当が出ないこと、取締役会が議論を受け付けないこと、取締役の私益と決算公開の回避を批判している11。並行してフランス東インド会社の設立を働きかけ、1610年1月にはアンリ4世から出資の約束を得ている12。

シンジケートは11人のパートナーが1610年4月30日までVOC株を共同勘定で取引する契約で、持分はルメールの14/60、Hans Bouwer の10/60が大きかった。週2回、帳簿係と会合し、互いの取引を知らせ合う決まりだった13。

ただし、メンバーの間で損益の向きは揃っていなかった。ルメールは99,200ギルダー(額面)の株を持ち、これはシンジケート内の保有額の59.3%にあたる。同じ時点の組合の未決済の売りの額面残高を S とすると、彼に帰属する売りは S の14/60で、純額は 99,200 −(14/60)S になる。S が約425,143ギルダー(99,200 ÷ 14/60。編集部の計算)を下回る間は純額で買い持ち、等しければ中立、超えれば売り持ちである。これは損益がゼロになる点ではなく、純額で売り持ちに転じる境界(純エクスポージャーがゼロになる売り残高)である。組合の売りが同じ株価変化に反応すると単純化し、配当の調整、満期、商館間の差は捨象した14。著者らの推計では、ルメールに帰属する売りの持分は持株を下回っていた15。一方、持株の少ない、あるいは持たないメンバーは、売った時点から下落で得をする立場にあった。

下落で得をするのは誰だったか図2 下落で得をするのは誰だったか同じ時点の組合の未決済の売り残高がいくらを超えると、各メンバーが純額で売り持ちに転じるか(ギルダー)ルメール持株99,200・持分14/60425,143Gerritsen持株27,100・持分5/60325,200持株の無いメンバー最初から売り持ち0境界の売り残高 = 持株 ÷ 持分(編集部の計算)ルメール:99,200 ÷ (14/60) = 425,143売り残高がこれを下回る間、ルメールは純額で買い持ち
出典:Gelderblom, de Jong & Jonker​(2026)​§V・​Table 3 の​持株と​持分から​編集部が​計算。​売り残高は​同じ​時点の​未決済の​売りの​額面で、​組合の​売りが​同じ​株価変化に​反応すると​単純化した​(配当調整・満期・商館間の差は捨象)。​境界は​損益が​ゼロに​なる​点ではない。​同論文の​「約35万」は​累計の​取引額の​下限で​未決済残高ではないため、​本図では​比較しない。​持株は​額面ベースの​ギルダー。

この推計を根拠に、著者らは、パートナーの動機は値下がりによる利益であり、ルメール本人の動機は独占の解体という戦略的なものだったと論じている16。研究者の解釈であり、ルメールに利益の動機がなかったとまでは断定できない。また、シンジケートの外の投機家も、ほぼ同じ価格で先渡を取引していた17。

会社と​政府の​攻防——禁止の​要請、​却下、​買い方の​結成

取締役会の反応は早かった。結成から数週間後の1609年3月、取締役は政府に、先渡で売った株を1か月以内に会社の帳簿上で買い手の名義へ移すよう義務づけることを求めた。著者らはこれを「裸の空売り」の禁止の要請と呼ぶ。現代の用語を当てた著者の表現で、差金決済を前提とする当時の先渡とは前提が違う(後述)。取締役側は、安全な資産として株を買った寡婦や孤児が害されると訴えたと伝えられるが、実際の被害は確かめられていない18。

連邦議会はこの要請を直ちに退けた。匿名の請願が、自分たちは正直で愛国的な商人であり、先渡は商品の取引で昔から自由だった、登録の義務は取締役に不当な優位を与える、と訴えていた。ルメールらは先渡を自由に取引し続けた19。

1609年12月、ホラント州議会は禁止の要請を高等裁判所に諮った。1610年1月、ルメールは裁判官に却下を求め、株価の下落は投機のせいではなく、過大な軍事費、損失、債務、販売の不振のせいだと主張した。当事者の自己弁護を含む主張である20。彼はまた、取締役の一部が株と先渡を大量に買い、売り手が引き渡せなければ「市門から追い出す」と公言していると訴えた。著者らは帳簿から、アムステルダム商館の取締役 Joncheyn が1609年11月に商人たちと買い方のグループを組んでいたことを確かめている。同論文によれば、このグループは12月にルメールの仲間から少なくとも42,000ギルダーの先渡を買い、年末の買い持ちは少なくとも140,000ギルダーに達した21。

政府が動いたのは1610年2月27日である。研究によれば、連邦議会はこの日、裸の空売りを禁じる命令を出した。既存の先渡契約には遡及せず、新しい先渡は「時間勘定」(先渡を記録する会社の帳簿上の別勘定)に登録させ、取締役が売り手の株の保有を確かめられるようにした。施行は4月1日とされる22。本稿は命令の原文を確認しておらず、条文の範囲や罰則、その後の扱いには立ち入らない。

踏み​上げ——現物配当と​引渡しの​要求

著者らの位置づけでは、決着は規制の施行より前に、配当をきっかけについた。1610年3月、アムステルダム商館は額面の75%にあたるメース(ナツメグの外皮)の現物配当を発表した。株主はメースの代金をその場で払わず、代金は将来の配当と相殺される仕組みで、価格は市価より高く、商業的には不利な条件だった。ゼーラント商館は事前の相談がなかったと抗議している23。

3月下旬、買い方の商人たちは、ルメールと仲間7人を含む先渡の売り手20人に、メースの現物を受け取るか現金で支払うよう求める通知を送った。著者らはこの要求を買い方による踏み上げと位置づける。ルメールは当初、メースは配当ではなく販売だと応じたが、のちに満期には未払いの配当を含めて株を移すと伝えた24。編集部の整理では、契約の配当調整の取決めとその解釈によって、先渡の売り手が用意すべき現金や現物の負担は変わりうる。本件では、その扱い自体が争われた。

著者らは、禁止の命令が売り崩しを終わらせたのではないと強調する。4月1日に命令が効力を持った時点で、売り方は既に買い方に絞り上げられていた25。同論文によれば、シンジケートは取引を止め、未決済の契約の損失を約45,000ギルダーと見積もった。1610年4〜5月には先渡業者8人が破産し、うち3人はシンジケートのメンバー(Bouwer ら)で、帳簿係も含まれた。破産したのは、持株が少ないか持たないメンバーだった26。

ルメール自身は破産しなかった。1610年5〜12月に計70,000ギルダー分の株を売り(編集部の合算)、1611年3月にもアムステルダムに住んでいた27。買い方の Joncheyn の持株は1609年初の26,600ギルダーから1612年末に123,300ギルダーへ、約4.6倍に増えた。1610年9月には追加の配当(計57.5%)が決まり、株価は年末に226%に達した28。

金融理論で​読む——損益の​向きは​「持株 − 売り」で​決まる

現代の金融の言葉でいえば、先渡で売り値を決めることは、株価の下落で得をする売り持ち(ショート)のポジションを持つことである29。ただし現代の空売りは、通常、株を借りて売り、後で買い戻して返す。借株の仕組み(証券貸借)が売りの引渡しを支えている。当時は現在の株式貸借による引渡しを前提とせず、株を持たない売り手も満期の差金決済を利用できた。似ているのは損益の形、違うのは引渡しの手当ての仕組みである。

単純化した設例:持株の有無で先渡売りの損益はどう変わるか

  • 額面10,000の株を、先渡価格120(額面100に対する値。契約時の株価と同じとする)で売る
  • 金利・配当・手数料は考えない。損益は額面と同じ通貨単位で、実在の数値ではない
  • 比べるのは、持株なしで売る人、同額の持株を持って売る人、持株10,000を持ちながら4,000だけ売る人の三者
持株の有無で変わる先渡売りの損益(設例)図3 持株の有無で変わる先渡売りの損益(設例)先渡価格120。売りの額面は赤・青が10,000、緑が4,000縦軸:損益(額面と同じ通貨単位)−6,000−3,0000+3,000+6,00090120150180満期の株価(額面100に対する値)持株なしで売る同額の持株を持って売る持株10,000で4,000だけ売る金利・配当・手数料は無視。実在の数値ではない損益の向きは「持株 − 売り」の純額で決まる
編集部作成。​単純化した​設例で、​ルメールらの​実際の​取引ではない。​先渡価格は​契約時の​株価と​同じと​置き、​損益は​額面と​同じ​通貨単位。​持株側の​損益は​先渡価格からの​値上がり・​値下がりと​して​測った。

持株なしで売った人は、満期の株価が180なら−6,000、90なら+3,000になる。同額の持株を持つ人は、株価がどう動いても損益が相殺される。持株10,000で4,000だけ売った人は、差し引き6,000の株を持っているのと同じ状態(買い持ち)なので、株価90で−1,800、180で+3,600と、下落で損をする。図2のルメールと、持株の無いパートナーの違いはこれにあたる。

差金決済で済む限り、持株なしの売り手の損失は値上がり幅で決まる。だが相手が現物の引渡しを求め、渡せる株が限られていれば、売り手は不利な価格で手当てするか、義務を果たせなくなる。踏み上げ​(ショートスクイーズ)は、売り手の買い戻しや株の手当ての需要が価格の上昇を増幅する現象で、証拠金の不足やリスク管理上の買い戻しでも起こる。本件では、著者らは現物配当をめぐる履行の要求で売り手が追い込まれたことを squeeze と位置づける。

1609年3月の要請は、先渡で売った株を1か月以内に帳簿上で買い手の名義へ移す義務を、1610年の命令は、新しい先渡を時間勘定に登録させて保有を確かめる仕組みを求めた。共通するのは、会社の帳簿を通じて引渡しの裏付けを求める発想である。現代の規制が区別する「裸の空売り」(借株の手当てなしの売り)とは、考え方が似ているにとどまり、同じ制度とはみなせない。

現代の​空売り規制の​実証は​何を​示したか

規制の効果は、四百年後に大規模なデータで測られている。Beber と Pagano(2013)は、2007〜09年の金融危機で各国が導入した空売りの禁止を、30か国のデータで分析した。禁止の時期、対象銘柄、範囲(裸の空売りのみか、借株を伴う売りもか)の違いを使って効果を識別し、禁止は(i)流動性を損ない(特に時価総額が小さく、上場オプションの無い銘柄)、(ii)価格発見を遅らせ(特に下落相場)、(iii)米国の金融株を除けば株価を支えられなかった、と報告している30。

この結果は危機の局面の規制に関するもので、空売り規制全般に一般化はできない。著者らによれば、命令が効力を持つ前に勝負は決まっていた。著者らは、配当の決定と買い方の履行要求が売り手を追い詰めたと解釈する。同論文によれば、最大の値下がりもシンジケートが売りを始める前に起きていた。規制は狙いと実際の効果を分けて検証すべき対象である。

現代の​実務への​応用——売り​手・​買い手・​会社・​規制当局の​視点から

1. 売り​方の​顔ぶれを、​純エクスポージャーで​分解する

大量の売りが出たとき、持株のヘッジの売りか、持株なしで下落に賭ける売りかで、意味は正反対になる。運用の現場では、グロスと​ネットの​エクスポージャーを分け、売り残の主が現物をどれだけ持つかを確かめる。ルメールのように「売っているのに純額では買い持ち」の主体もいる。売りの量だけで相手の意図を判断しない。

2. 売る​前に、​引渡しの​手当てと​踏み上げの​条件を​確かめる

空売りを組むときは、借株が確保できているか、貸し手から返還を求められるおそれ、貸株料の変化を確認する(空​売りの​実務)。日本の信用取引なら信用倍率・​貸借倍率や逆日歩が、株の品薄を示す手がかりになる。1610年には持株の不足が履行を難しくし、破産したのは持株の少ないメンバーだった。

3. 会社の​資本政策や​配当の​変更が、​売り手と​買い手に​与える​影響を​読む

配当の形や時期、現物での還元は、先渡やオプション、貸株の配当調整の取決めとその解釈によって、売り手と買い手の負担を変えうる。発行会社の側では、こうした決定が特定の取引の当事者に有利・不利に働きうることを意識し、決定の手続と開示を整える。VOCのメース配当は、他の商館への事前の相談がなかったとして抗議を受けた。

4. 空​売り規制は、​目的・​副作用・​効く​時期を​分けて​評価する

日本の空​売り規制や、信用取引の急増を日次で開示する日々​公表銘柄のような制度を読むときは、何を防ぐのか、流動性や価格発見を損なわないか、いつから効くのかを分けて確かめる。効く時期の遅れも、評価の対象に含める。

5. 株主の​「売り」と​「発言」は、​同時に​起こりうる

ルメールは会社に方針の転換を求めて請願し、同時に株を売る組合を率いた。現代でも、ショートの投資家が会社を公に批判する例や、アクティビストが持株を背景に提案する例がある(アクティビスト・​ヘッジファンド)。会社の側では、批判の内容と批判者のポジションを切り分けて検討する。ただしルメールを現代の空売り型アクティビストの原型とみるのは無理がある。著者らの推計では純額で買い持ちで、著者らは主な動機を独占範囲の縮小に求めている。

限界と​異説

本稿の多くは2026年の一本の研究に依拠している。同論文の本文には、シンジケートの結成日、売り取引の総額と内訳、買い方の人数、メース配当の発表日などで食い違いがあり、本稿は月単位にとどめるか、著者の数字として引用した。1610年の命令の原文は確認しておらず、内容は同論文がVan Dillen(1930)の翻刻から伝える範囲に限った。Gelderblom と Jonker(2004)は、この事件を「史上初の売り崩し」としつつ、名義書換えに占めるシンジケートの割合は小さく、市場の「脇役」にすぎなかったと述べている31。「最初」は記録に残る最初という意味にとどまる。ルメールが空売りを発明した、売り方は秘密結社だった、政府は1609年に空売りを禁じた、売り崩しが株価を暴落させた、という流布した説は、同論文の検討では支持されない32。

よく​ある​質問

ルメールは​世界で​最初の​空売りを​した​人物ですか。

そうとは​いえません。​将来の​受渡しで​売る​取引は​穀物や​ニシンで​既に​行われ、​VOC株の​先渡も​1607年に​始まっていました。​ルメールらの​売り崩しは、​記録に​残る​初期の​組織的な​売りの​例と​して​研究されています。

まとめ——空​売りの​勝負を​決めたのは、​決済の​仕組みだった

VOC株の先渡は差金で決済でき、株を持たない売りを可能にした。会社は登録の義務で売りを抑えようとして政府に退けられ、研究によれば、規制の命令が効く前に、配当の発表と履行の要求が持株の無い売り手を追い詰めた。売り手は本当に売り持ちか、引渡しの義務を果たせるか、規制はいつ何に効くか。現代の空売りと規制でも、最初に確かめることは変わらない。

脚注

  1. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)要旨・§I(R1)。同論文は、従来の支配的な見方を「攻撃的で詐欺的な相場操縦の試み」とまとめ、VOCが当時まだ永続的な会社でなく、戦争を担う国家的な企業だったことを踏まえて再解釈しています。ルメールの横領の嫌疑については脚注8。↩
  2. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§I・§III(R1)。163件は Van Dillen(1930)の77件、Gelderblom & Jonker(2005)の65件、新たに見つかった21件を合わせたもので、価格・満期などが揃うのは134件です。同論文はオープンアクセス(CC BY)で、頁番号がないため節・表・脚注番号で示します。↩
  3. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§III 冒頭(R1)。↩
  4. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§III 第2段落(R1)。「人と財産」は契約の担保の定型表現の訳です。↩
  5. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§III(配当の段落、R1)。1607年初めは配当の扱いが契約ごとにばらついており、次第にこの形に標準化したとされます。↩
  6. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§III 末尾(R1)。私的契約に移ったため、先渡取引の全体の件数・金額は分かりません。↩
  7. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§III(17人会の要請の段落、R1)。要請は連邦議会に拒まれました。↩
  8. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§I 冒頭・§II Table 1(R1)。持分はアムステルダム商館の株主表による値で、VOC全体での順位を示すものではありません。辞任は横領の「疑い(allegations)」によるもので、本稿は横領を事実として扱いません。↩
  9. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§V 第1〜2段落(R1)。1605年の辞任時の誓約の担保として、18,000ギルダー分の株がアムステルダムで差し押さえられていたとされます。↩
  10. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§IV・Fig.1(R1)。現物価格の観測点は少なく、Table 2 では1607年10月〜1609年1月の現物の観測は2件です。値は額面100に対する%表示です。↩
  11. 書簡は Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§V・脚注72(R1)、株主としての3点の批判は Gelderblom, de Jong & Jonker(2010、R3)pp.32–33。R3 は、ルメールの主眼は独占範囲の縮小にあり、ガバナンスへの批判は控えめだったと評しています。Gelderblom ら(2013、R4)p.1061 は1609年5月の訴え(法定清算の無視は違法で不公平)を記しますが、本稿ではこれが1月の書簡と同じものかを特定できませんでした。書簡の原文は本稿では未見です。↩
  12. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§V・§VII 冒頭(R1)。アンリ4世の約束は10万クローネ(30万ギルダー)の出資と安全通行証で、実際に出資されたかは同論文に記述がありません。↩
  13. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§V 第4段落・脚注73(R1)。同論文は結成日を§IVで1609年2月17日、§Vで2月11日と書いており、本稿は月単位にとどめました。結論では「ルメールと10人の商人」とも書いています。↩
  14. 保有額は Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§V・Table 3(R1。アムステルダム・エンクホイゼン85,200ギルダー+ゼーラント14,000ギルダー、額面ベース)。純額で売り持ちに転じる境界(純エクスポージャーがゼロになる売り残高)は、編集部が Table 3 の持株と持分から計算したもので(99,200 ÷ 14/60 = 425,142.86…)、Gerritsen の値(27,100 ÷ 5/60 = 325,200)も同表と一致します。同論文の§Iは概数で約45万ギルダーと書いています。↩
  15. ルメールに帰属する売りが持株を下回っていたという推計は Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§I 第3段落・§V Table 3(R1)。同論文は確認できた先渡取引を「最低約50万、うちシンジケート約35万」ギルダーとしますが(§VI・脚注88。1609年2月〜1610年3月の66件・261,300ギルダー、うちシンジケート46件・182,400ギルダーに、1610年3月以降の通知から推計した未確認分を加えたもの)、これは期間中の累計の取引額の下限で、同じ時点の未決済の売り残高ではないため、本文の境界とは比較できません。また、編集部が同論文の内訳から再計算すると概数でも一致しません。著者の数字として、言い換えや丸めはしていません。↩
  16. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)要旨・§V 末尾・§IX(R1)。動機の解釈は、境界の計算と書簡・請願からの推論です。↩
  17. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§IV・Table 2(R1)。1609年2月〜1610年3月のシンジケート内外の契約の比較による。↩
  18. 要請の時期と内容は Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§VI 第2段落・脚注83(R1)。Van Dillen(1930)は要請を1609年8月としていましたが、著者らは3月と論じています。「裸の空売りの禁止」は著者の用語で、要請の中身は売り手が一定期間内に買い手名義へ株を移す義務です。寡婦と孤児の話は同論文§VI 第1段落が Van Dillen の描写として紹介するもので、実際の被害の裏付けは本稿では得られていません。↩
  19. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§VI 第2〜3段落・脚注84, 86, 87(R1)。取締役側は匿名の請願をルメールの提出とほぼ確信していたとされますが、著者らは断定していません。請願は Van Dillen(1930)に翻刻されています(本稿では未見)。↩
  20. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§VII 第1〜2段落(R1)。日付は同論文によれば1609年12月19日(諮問)と1610年1月19日(ルメールの反論)です。↩
  21. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§VII 第3〜4段落・Table 4・脚注107, 109(R1)。ルメールの訴えは当事者の主張です。同論文は買い方のグループの人数について本文と表で数え方が一致しないため、本稿では人数を書いていません。金額はいずれも「少なくとも」の下限です。↩
  22. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§VII 第5段落・脚注113(R1)。同論文は命令の内容を Van Dillen(1930)pp.68–69 の翻刻に依拠して記しており、本稿は命令の原文を確認していません。「時間勘定(time account)」は著者の英訳で、蘭語の原語は未確認です。1720年刊の通俗的な集成『Het groote Tafereel der dwaasheid』も同じ日付を記しますが(R6)、事件から約110年後の記述で、条文の内容やその後の扱いの裏付けにはなりません。↩
  23. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§III 末尾・§VII 第3〜4段落・脚注116(R1)。発表日は本文中で前後するため(3月20日、申込期間3月22〜27日など)、本稿は「1610年3月」としました。↩
  24. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§VII 末尾・脚注118(R1)。通知の日付は同論文で3月20〜27日とされますが、関連する日付の記載が前後するため、本稿は「3月下旬」としました。↩
  25. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§VII 第5段落・§IX(R1)。従来の説明とは異なる見方です。↩
  26. 損失の見積もりは Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§VIII・脚注89, 123(R1)。見積もりの時点を示す史料の日付が脚注間で整理しきれないため、本稿は日付を書いていません。破産は同§VIII 第1段落・Table 3・脚注121, 122(Bouwer、Rosencrans、Damman と帳簿係 Lems)。破産者の1人は、存在しない株の架空の名義書換えという不正をしていたとされます。↩
  27. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§VIII 第2〜3段落・§IX・脚注125–127(R1)。売却は1610年5〜8月36,750ギルダー、9〜12月33,250ギルダーで、合計は編集部の計算です。Gelderblom & Jonker(2004、R5)p.657 脚注69は同年の売却を69,400ギルダーとしており、厳密には一致しません。1611年1月の保有は15,200ギルダーで、過去の違反の罰金の担保として商館に差し押さえられていたとされます。↩
  28. Joncheyn の持株は Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§VIII 第4段落・Table 1(R1。アムステルダム・エンクホイゼン両商館、倍率は編集部の計算)。追加配当は同§VIII・脚注124(胡椒30%+現金7.5%、さらに胡椒20%。合計は編集部の検算で同論文の結論の57.5%と一致)。年末の株価226%は同§VIII。同論文 Table 2 によれば、現物価格の平均は1609年2月〜1610年3月が129.3(観測9件)、1610年4月〜1611年12月が169.3(同21件)で、観測は少数です。↩
  29. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§I(資料の段落、R1)。↩
  30. Beber & Pagano(2013、R2)。本稿が確認したのは CSEF Working Paper No.241(2011年9月版)の要旨・序論・データ節で、Journal of Finance の掲載版(2013)は未読です。版が異なり、表現や数値が掲載版と異なる可能性があるため、数値は引用していません。裸の空売りのみの禁止と、借株を伴う売りも含む禁止の区別は同WPのデータ節によります。↩
  31. Gelderblom & Jonker(2004、R5)p.643・p.657 本文と脚注69–71。名義書換えの台帳に基づく値で、先渡の現金決済は台帳に現れないと注記されています。↩
  32. Gelderblom, de Jong & Jonker(2026)§III 冒頭・§VI・§VII・§IX 第2段落(R1)。同論文は、売り方は秘密の組織ではなく取締役会は当初から把握していたこと、禁止の要請は1609年3月と12月で命令は1610年2月であること、最大の値下がりはシンジケートの売りの開始前に起きていたことを示しています。ただし、ルメールらの取引が価格に与えた影響の大きさは推計されていません。↩

参考文献​(2026年10月確認)

※本記事は教育目的の一般的な解説であり、投資助言ではありません。本文中の設例は理解のための単純化した設例で、ルメールらの実際の取引ではありません。史料の金額は名目・額面ベースのギルダーで、現在の金額への換算はしていません。1610年2月27日の命令は原文を確認しておらず、研究が伝える範囲で記述しています。中心とした研究の本文には日付・金額の食い違いがあり、本稿ではそれらを断定していません。アイキャッチ画像は生成AIで作成したイメージで、実在の場面や史料を再現したものではありません。