この記事で分かること
- 1602年の特許状がVOCの出資者に約束したこと(10年後の清算、売上の分配)と、公募・分割払込の実際
- 資本の永続化(1612年)と取締役の責任限定(1623年)が、資金繰りの圧力の中で後から加わった経緯
- 資本の期限と流動性、株主の発言権、経営者の責任を、IPO・上場後ガバナンスの設計にどう生かすか
想定読者:IPOや資金調達、IR・株主対応に関わる方、コーポレートガバナンスを学ぶ方
前提知識:株式と配当の基本があると読みやすい
1602年8月、アムステルダムで新しい会社への出資の申込が受け付けられた。オランダ連合東インド会社(VOC)である。同市の商館だけで出資者は1,100人を超え、150ギルダー程度の少額を投じる貯蓄者もいた1。全体の申込総額は約640万ギルダーにのぼる2。
VOCは株式会社の起源として語られることが多い。だが設立の特許状が出資者に約束したのは、10年後に決算をして、望む者には資本を返すことだった3。その約束は守られず、1612年に資本は期限を定めずに会社にとどまるものになった。取締役が会社の借入に個人として責任を負わなくなったのは、さらに11年後である。経済史家のGelderblom・de Jong・Jonker(2013)は、こうした特徴は最初から一組の設計として揃っていたのでなく、財務上の圧力の中で一つずつ継ぎ足されたと論じている4。
出資者の資金をどれだけの期間預かり、引き換えに何を約束し、経営者はどこまで責任を負うのか。上場を準備する会社がいまも答えを迫られる問いである。本稿ではVOCの最初の約20年を史料と研究でたどり、現代の資本調達とガバナンスの設計に引き直す。
| 年月 | 出来事 |
|---|---|
| 1598〜1602年 | 先行会社が16の船団(総額約800万ギルダー)を送り出す。出資者の責任は事業の目的と期間に限られた |
| 1602年3月 | 連邦議会の特許状でVOCが成立。アジア貿易の独占21年、10年ごとの総決算と10年後の離脱を定める |
| 1602年8月 | アムステルダムで出資の申込。全体で約640万ギルダー、同市の商館の出資者は1,100人超 |
| 1603〜1607年 | 出資金を4回に分けて払込(第4回は資料により1606年秋または1607年) |
| 1603・1605年 | 有力な取締役が戦費に抗議して辞任(ゼーラント、アムステルダム) |
| 1609年5月 | 元取締役ルメールが、法定清算の無視は違法で株主に不公平だと訴える |
| 1610〜1612年 | 配当を決議(合計162.5%、大半は現物)。株主は現物を拒む |
| 1612年7月 | 連邦議会が法定清算の見送りを正式に認める。資本が事実上永続的になる |
| 1617年 | 取締役全員が各商館の将来の債務を連帯保証する契約に署名 |
| 1619・1621年 | ジャカトラ(バタヴィア)を奪取。モルッカ諸島の支配を武力で獲得 |
| 1621〜1622年 | 株主がパンフレットで会計の公開と発言権を求める。1621年12月、最高裁が架空の名義書換の損害は会社が負うと判断 |
| 1622年12月 | 1623年からの21年間の新特許状を得る |
| 1623年 | 10月25日、アムステルダム商館が債券署名者の個人責任を否定する決議。主要出資者の委員会を設置 |
1602年の特許状は「期 限付きの会社」を約束した
VOCは1602年3月20日付の連邦議会の特許状で成立し、喜望峰以東のアジア貿易の独占を21年間認められた5。出資は六つの商館に割り当てられ、アムステルダムが半分、ゼーラントが4分の1、マース(デルフト・ロッテルダム)と北ホラント(ホールン・エンクハイゼン)が8分の1ずつを担い、全体の方針は17人会が決めた6。それ以前の1598〜1602年には、航海ごとに出資を募る先行会社が16の船団を送り出しており、出資者の責任はそれぞれの事業の目的と期間に限られていた7。
特許状の英訳を読むと、出資者への約束は具体的だ。連合州の住民は金額の大小を問わず出資でき、募集が必要額を超えれば3万ギルダーを超える出資者の分を按分で減らして他の人の枠を作る。10年ごとに総決算を行い、10年が過ぎれば希望者は資本を持って離脱できる。帰還した貨物の売却代金の5%が回収されれば出資者に分配する8。取締役には一定額以上の持分の保有と、大口の株主を小口より優遇しない宣誓が求められ、会社からの借入は禁じられた9。現代の金融の言葉でいえば、経営者と株主の利害をそろえ、経営者が株主の利益から外れて動くことで生じるエージェンシーコストを抑える条項である。
特許状はVOCに要塞の建設、軍隊の保有、アジアの君主との条約の締結を認め、独占を侵す船と積荷を没収すると定めていた10。国から武力と独占を委ねられたことは、要塞や戦費といった回収に長くかかる支出につながり、のちに資本の期限の約束を揺さぶることになる。
約640万ギルダーの公募と、4回の分割払込
募集は順調に進んだ。Gelderblom と Jonker(2004)によれば、アムステルダム商館だけで360万ギルダーを超える申込を集め、総額の半分弱を残る5商館が担った11。取締役が引受人として買い手を募る方法も使われたが、アムステルダムでその方法で集まったのは資本の29%で、大半は個人的な伝手によらずに集まったという12。不特定の人々に向けた公募に近い形である。ただし取引所への上場も目論見書も価格決定の手続もなく、現代のIPOと同じものではない。
出資金は一度には払い込まれなかった。Gelderblom と Jonker(2004)は払込を1603年(25%)・1604年(33.3%)・1605年(33.3%)・1607年(8.3%)の4回とし、Gelderblom ら(2013)は第4回を1606年秋とする。特許状の英訳には3回(1603〜05年)とあり、回数と時期は資料によって食い違う13。創業者たちは、第4回までに最初の船団の帰還で資金が回ると見込んでいたと Gelderblom ら(2013)はみる14。
この日程は、資金繰りの問題を出資者から会社へ移した。早く払い込んだ出資者には艦隊の出港まで年8%の利息が与えられたが、アムステルダム商館は市中で年7%以下で借りられたため、払込の前倒しを求めず、1604年1月〜1605年4月に最大40万ギルダーを借り入れて次の船団を準備した15。株主から呼ぶ資金と借入の金利を比べて安い方を選ぶ判断は、現代のファンドが、約束済みの出資金を投資のつど呼び出すキャピタルコールの前に、つなぎの借入(サブスクリプション・ファシリティ)を使う発想に近い。ただし現代のサブスクリプション・ファシリティには、事務の効率化やIRRへの影響など、目的が異なる面もある。
株式は紙の株券でなく帳簿への記帳で持ち主が記録され、譲渡には取締役2名の立会いのもとでの記帳が必要だった16。出資者は10年間資本を引き出せない代わりに、持分を他人に売って抜け出す道を得た。
返されなかった資本——1612年の永続化と現物配当
綻びは資本の使い道から現れた。Gelderblom ら(2013)は、VOCの資本は固定資産のためでなく、売上で補充しながら次の船団に回す「回転資金」として構想されていたと指摘する17。ところがアジアでは戦いと拠点の確保に費用がかさみ、年間の軍事費は1609年に40万ギルダーを超えた(推計)。1603年と1605年には、有力な取締役が戦費に抗議して辞任している18。
第2艦隊の司令官マテリーフは1608〜09年、10年目の法定清算が軍事への投資を妨げると指摘し、清算をやめてVOCを永続的な事業にするよう連邦議会に勧めた。元取締役のイサーク・ルメールは1609年5月、清算の無視は違法で株主に不公平だと訴え、配当も会計も清算もなければ後継の会社に出資する者はいないと警告した。Gelderblom らは、この訴えを法的に筋の通った主張とみている19。
取締役会は配当で応じた。1610〜12年に決議した配当は合計162.5%、約1,040万ギルダーで、元本相当の100%に、当時の利率である年6.25%の10年分を単利で加えた水準に相当すると Gelderblom らは説明する。元本を実際に償還したという意味ではない20。だが現金が足りず、配当の大半は香辛料の現物で示された。株主は現物を拒んだ。ゼーラント商館が1612年11月までに現物で払えたのは約50万ギルダー(同商館の資本の38.5%)で、全社でも現物配当は250万ギルダー以下、配当総額の4分の1ほどにとどまったと推計されている21。
1612年7月、連邦議会は法定清算の見送りを正式に認めた。取締役は現物を拒んだ株主に、1612年に現金で計57.5%を払い、残りを1613年(42.5%)と1616年(62.5%)に払うと取り決めた22。Gelderblom らは、この一方的な決定で、特許状を再交渉しない限り新株は発行できなくなったと論じる。約束を反故にされた株主が、保証もなく再び出資するとは考えにくいからだ23。ナショナル・アルヒーフの目録も、当初の出資額はVOCの存続期間を通じて変わらなかったと記す24。Gelderblom らの議論に従えば、永続資本は追加の株式調達の道と引き換えに得たものだった。
取締役の責任が限定されたのは1623年だった
株式を追加で発行できない会社に残る手段は借入である。だが当時のVOCでは、取締役が会社の借入に個人として責任を負っていた。Gelderblom ら(2013)は、取締役が身体と財産を担保に署名した債券や、1611年にゼーラント州がミッデルブルフ商館の取締役を債務による投獄で脅した事例から、特許状の免責の条項は賃金の未払いなど特定の債務にしか及ばなかったと読む。著者ら自身が2011年に示した「すべての債務が免責された」という従来の解釈を改めたものである25。
限定は段階的だった。1617年、取締役全員が各商館の将来の債務を持分に応じて連帯保証する契約に署名した。これを支えに借入は膨らみ、各商館の債務は1620年5月の約500万ギルダーから1623年3月には800万ギルダー超に達する26。申込総額の約1.25倍に相当する規模だ(編集部の計算)。1622年にはミッデルブルフ商館が、会計係が署名し身体と財産の担保を付けない債券に切り替えたとみられ、1623年10月25日、アムステルダム商館は債券の署名者が個人として責任を負うことを否定する決議を行った27。その前の1621年12月にホラント・ゼーラント最高裁が、帳簿上の架空の名義書換による投資家の損害は取締役個人でなく会社が負うと判断していた。損害を負うのは取締役個人でなく会社だという前例になりうるこの判決が、取締役を後押しした可能性があると著者らは推測する28。
株主も声を上げた。1621〜22年、不満を持つ株主はパンフレットで、会計の公開なしに特許状を更新しないよう連邦議会に求め、経営への発言権を要求した。VOCは株主の委員会が会計を作成して公開すると約束して1622年12月に新しい特許状を得たが、取締役はその作業を妨げ、委員会は数年後に断念した29。特許状の英訳には出資者の総会や議決権を定めた条項が見当たらず、株主の発言権が制度として現れるのは、一定額以上を出資する主要出資者の委員会が置かれた1623年である。その権限も決算の監査や取締役の補充時の選任などに限られ、目録は実質的な変化はなかったと総括する30。
この間、VOCは1619年にジャカトラ(のちのバタヴィア)を奪い、1621年にはモルッカ諸島の支配を「暴力の嵐」のもとで手に入れた31。借入で広げた事業は、アジアの人々への武力による支配を伴っていた。
資本の期限と流動性は交換できる——金融理論で読む
第一の論点は、資金の拘束期間と投資の回収期間の整合である。回転資金で要塞のような長期の固定投資をまかなえば、回収の遅れはそのまま資金繰りに跳ね返る。Gelderblom らは、回転資金型の資本構成は軍事重視の方針を支えるには弱すぎたと結論づけている32。10年後に清算する約束は、回収に10年以上かかる投資の価値を、清算の時点でいくらで売れるかに左右させる。
単純化した設例:期限付きの資本で長期投資をすると
- 今100億円を投じ、1〜20年目の末に毎年12億円を得る投資。割引率は年8%、税金は考えない
- 永続的な資本なら20年使い切れる。期限付きの資本なら10年目の末に投資を売って清算し、出資者に返す
- 清算時の売値は、残り10年分のキャッシュフローの価値(10年目末時点で、残り10年の受取を年8%で割り引いた合計。約80.5億円)に、買い手の付け値の割合を掛けた額とする
永続資本ならNPV(正味現在価値。将来のキャッシュフローの現在価値から投資額を引いた値)は約17.8億円のプラスになる。10年で清算する場合、残りの価値の6割でしか売れなければ約2.9億円に縮む。10年目末の清算で事業を終え、残りの事業からの回収をゼロとみると、当初の投資に対するNPVは約−19.5億円になる(会計上の損失ではない)。公正な価格で売れるなら清算しても価値は変わらない。投資家の出口を会社の資産の売却で用意するか、株式の売却で用意するかの違いである。永続資本と譲渡できる株式の組合せは、会社には長期の資本を、出資者には売却という出口を与える。言い換えれば、資本の期限と流動性の交換である。Dari-Mattiacci ら(2017)は、こうした資本の長期の拘束は契約でなく法的な革新で可能になり、出資を国に収奪されるおそれを政治制度が抑えた国で成り立ったと論じる33。
第二の論点は、約束と実行の乖離が次の調達を閉ざすことだ。配当・会計公開・清算の約束を破ったVOCは、追加の株式ではなく、取締役の連帯保証に支えられた借入に頼った。資金調達の順序でいえば、借入を選んだというより、株式という選択肢を失っていたとみることができる。
第三の論点は、離脱と発言の関係である。売却という退出の手段は、発言に代わる選択肢になりうる。編集部の整理では、VOCの株主は売却の道を得たが発言の制度をほとんど持たず、清算という離脱の道が閉ざされた後に、1621〜22年の運動で発言を求めた。
現代の実務への応用——資本の期間・約束・発言・責任を先に決める
上場の準備、資本政策、ファンドの組成に引き直すと、次の5点になる。
1. 資本の期間を、投資の回収期間から決める
存続期間が決まったファンドや、数年後の売却を前提とする出資者の資本で、回収に長くかかる投資をしていないかを確かめる。投資ごとに回収期間を並べ、資本の期限を越えるものは、期限前に売れる見込み(買い手と価格)を示すか、延長の手続や、満期を設けないエバーグリーンファンドのような期限の無い器、あるいは上場を検討する。IPO後の既存株主の売却を一定期間制限するロックアップも資本の拘束の一種だが、期間は短く、会社の資本そのものを縛るVOCの10年とは性質が違う。
2. 調達時の約束は守れる形で書き、変えるなら手続を踏む
目論見書で示す資金使途、配当方針、開示の範囲が、事業計画の現金の流れで裏づけられているかを点検する。変えざるを得ないときは、理由と影響を開示し、株主総会など正規の手続で承認を得る。VOCは国の承認だけで清算をやめ、株式で資金を集める道を失った。約束の変え方は、次の調達の条件になる。
3. 還元は、株主の受け取り方まで設計する
現物の配当は、株主に換金の手間と値崩れのリスクを負わせる。VOCの株主はそれを拒み、会社は現金の支払いを数年に分けるしかなかった。配当と自社株買いの選択や、株式・子会社株式による還元を検討するときは、株主が受け取った後の売却の可否・税・換金のコストまで想定し、会社の現金の手当てと時期をそろえる。
4. 売却の道と発言の道を、両方用意する
上場で流動性を得ても、議決権や情報開示、株主提案といった発言の仕組みが働かなければ、不満は別の形で噴き出す。1621〜22年のパンフレット運動は、現代のアクティビストの公開キャンペーンに似る面がある。ただし現代のアクティビズムは議決権行使や株主提案といった法的な経路を背景にするのに対し、VOCの株主にはその経路がほとんど無かった。上場準備では、株主が意見を伝え経営が答える経路を、開示の頻度や質疑の場として決めておく。
5. 経営者個人の責任の範囲は、資金調達の条件の一部と考える
取締役が会社の借入を個人で負う限り、借入は取締役の資力で縛られた。日本の中小企業の経営者保証は制度も時代も異なるが、経営者個人の責任が借入の余地を左右する構造は共通する。経営者保証ガイドライン(日本の中小企業融資で、経営者の個人保証を外す条件を定めた指針)の要件を満たす財務基盤の整備(自己診断の手順)は、上場の準備とも重なる論点である。
| 論点 | VOC(1602〜1623年) | 現代の上場会社(一般的な姿) | 読み替えの注意 |
|---|---|---|---|
| 資金の集め方 | 特許状で住民に広く募集。取締役が引受人として買い手を募る方法は一部(アムステルダムで資本の29%) | 目論見書で開示し、引受証券会社が需要を積み上げて価格を決め、取引所に上場する | 取引所への上場や価格決定の手続は無かった |
| 払込 | 4回の分割払込。艤装の資金は払込を待たずに借入でつないだ | 株式の払込は原則として一括。分割で資金を呼ぶのはファンドのキャピタルコール | 払込の遅れが会社の資金繰りの問題になった |
| 資本の期間 | 10年後に清算・返還の約束→1612年に見送り | 普通株式には通常、償還期限や会社への払戻請求権が無い(清算時の残余財産の分配とは別)。出資者は市場での売却で換金し、売却価格は保証されない | VOCは約束を後から一方的に変えた |
| 株主への還元 | 帰還貨物の売却代金からの分配を約束→現物中心の配当と分割払い | 配当方針を開示し、現金配当や自社株買いで還元する | 約束の不履行が追加の株式調達を閉ざした |
| 株主の発言 | 総会・議決権の条項は英訳に見当たらない→1623年に主要出資者の委員会 | 株主総会での議決権、株主提案、取締役の選任 | VOCの委員会の権限は限られ、実効性も小さかった |
| 経営者の責任 | 取締役は会社の借入に個人責任→1617年の連帯保証、1623年の決議で限定 | 会社の債務は会社が負う(経営者保証など個別の保証を除く) | 責任の範囲が借入の余地を左右した |
限界と異説
VOCの特徴が設計の結果か継ぎ足しの結果かは、研究の見方が分かれる。通説は一組の論理的なセットとして生まれたとみるが、Gelderblom ら(2013)は財務上の制約への対応で一つずつ生じたと論じる。永続資本の成立についても、同論文が資金調達上の必要を強調するのに対し、Dari-Mattiacci ら(2017)は政治制度の役割を重視する34。取締役の責任の解釈は2013年に改められたもので、本稿は特許状を英訳でしか確認していない。出資者の有限責任も明文ではなく慣習法上の扱いとされる。1700年以前の財務文書の多くは失われ、全社の数字は残る3商館の帳簿からの推計である。出資者の総数や申込総額の精密な値は確認できなかった35。
よくある質問
VOCは世界で最初の株式会社ですか。
定義によって答えが変わるため、本稿では断定しません。英国東インド会社は1600年に設立されており、VOCの永続資本や取締役の責任限定は1602年の設立時ではなく、1612〜1623年に段階的に加わりました。永続資本を得た時期は英国東インド会社より早かったとされます。
1602年の募集はIPOと呼べますか。
広く出資を募った点は公募に近いものの、取引所への上場、目論見書、需要を積み上げる価格決定の手続はありませんでした。現代のIPOと同一視せず、初期の公募の例として読むのが適切です。
まとめ——会社の設計は、約束を守れなくなったところで決まった
VOCの資本は、10年で返す約束から始まった。戦争と拠点への投資がその約束を守れなくし、1612年に資本は永続化し、借入に頼るなかで1623年に取締役の責任が限定された。資本の期間、約束の書き方と変え方、還元の受け取り方、発言の経路、経営者の責任。上場の設計で最初に決めるべき項目は、VOCが後から一つずつ決めざるを得なかった項目でもある。
脚注
- Gelderblom & Jonker(2004)p.654(R2)。「1,100人超」はアムステルダム商館の当初の出資者の下限の表現で、全6商館の出資者の合計は同論文にも Gelderblom ら(2013、R1)にも記載がありません。著者らは同市の成人人口を5万人以下と推計して対比しています。出資者名簿(ナショナル・アルヒーフ VOC 1.04.02, Inv. 7064。Van Dillen 1958 が刊行)は現存し(R4)、1959年の書評は同書が1602年8月の応募者「約1,200の名前と金額」を収めると紹介しています(R6。名簿本体は本稿では未見)。オンラインで流布する精密な出資者数は、本稿では典拠を確認できなかったため使っていません。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1054(R1)、Gelderblom & Jonker(2004)p.651(R2)。いずれも「6.4 million guilders」と記す概数です。より精密な総額として流布している数字は、本稿で読んだ論文・特許状の訳文に現れず、確認できませんでした。↩
- VOC特許状の英訳(R3。10年ごとの総決算と、10年後に希望者が離脱できる旨の箇所)、Gelderblom & Jonker(2004)p.653(R2)。Gelderblom ら(2013)p.1054(R1)は、当初の構想を「10年後に事業全体を清算して資本を株主に返し、望む者は後継の会社に再投資する」ものと説明しています。英訳は2009年の現代語訳で、条番号が付されておらず、蘭語原文との対照は本稿では行っていません。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1051, 1072(R1)。同論文は、VOCが所有と経営の分離・譲渡可能な株式を当初から備え、永続資本・取締役の有限責任(推論として法人格)を約20年かけて段階的に得たとし、これを「piecemeal engineering(継ぎ足しの設計)」と呼びます。研究者の解釈で、異説は本文「限界と異説」を参照。↩
- VOC特許状の英訳(R3。前文と末尾の日付「The Hague, 20 March 1602」、21年間の独占、喜望峰以東・マゼラン海峡以遠への航行の禁止の箇所)、Gelderblom ら(2013)p.1054(R1)。↩
- VOC特許状の英訳(R3。冒頭の商館別の出資割合と17人会の箇所)、Gelderblom ら(2013)p.1054(R1)。英訳によれば17人会の議席はアムステルダム8・ゼーラント4・マース2・北ホラント2・輪番1です。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1053(R1)。「約800万ギルダー」は同論文の記述で、根拠の Online Appendix は本稿では確認していません。↩
- VOC特許状の英訳(R3。「All of the residents of these United Provinces shall be allowed to participate」の段落、総決算・離脱の箇所、「As soon as 5% of a return cargo has been cashed」の箇所)。按分削減の規定が実際に適用されたかは確認していません。ナショナル・アルヒーフの目録の解説(R4, p.26)は、取締役が分配と決算公開の規定を守らず、連邦議会が取締役を支持したと記しています。↩
- VOC特許状の英訳(R3。取締役の宣誓と持分保有の箇所)。持分は最低1,000フランドル・ポンド(ホールン・エンクハイゼンは500)、取締役の手数料は出航費用・利益の1%とされています。フランドル・ポンドとギルダーの換算は確認していないため、ギルダー額には直していません。↩
- VOC特許状の英訳(R3。「build fortifications and strongholds」「at pain of confiscation of ships and cargoes」の箇所)。同じ特許状は、敵の船を拿捕した場合の配分や、特許の対価としてVOCが国に25,000ポンド(40フランドル・グロート単位)を払うことも定めています。↩
- Gelderblom & Jonker(2004)p.651(R2)。「360万超」は下限の表現です。公表された概数で計算すると、アムステルダム商館の比率は約56%です(編集部の計算。3.6÷6.4=56.25%)。分子は下限の表現、分母は概数のため、正確な比率やその下限は確定できません。商館別の精密な応募額は本稿では確認していません。↩
- Gelderblom & Jonker(2004)p.651 および脚注44(R2)。「引受人(underwriters)」は同論文の用語で、売れ残りを買い取る義務を負う現代の引受契約と同じ意味かは確認できません。脚注44は、秋の記帳に現れなかった出資者の株の80%を取締役が引き受けたと述べています(Van Dillen 1958 に拠る)。↩
- Gelderblom & Jonker(2004)p.652(R2。Van Dillen 1958, pp.38–39 に拠る)、Gelderblom ら(2013)p.1054(R1。第4回・8.3%を1606年秋とする)、VOC特許状の英訳(R3。「three instalments」)。払込の割合は資料の表記で、丸めのため合計は100%になりません(25+33.3+33.3+8.3=99.9%)。なお同じ2004年論文の脚注45は、ある商人(Hans Thijs)の帳簿では期限が1603年10月・1605年5月・1605年9月・1607年1月だったと記しており、請求の時期と期限の区別も含めて資料間の差は解消していません。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1054(R1)。創業者の見込みについての著者らの推論です。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1055(R1)、Gelderblom & Jonker(2004)p.652–653(R2)。両論文はナショナル・アルヒーフの原史料を根拠に年8%の利息を記しますが、特許状の英訳(R3)の通読の範囲ではこの条項は見当たりませんでした。2004年論文は、同じ時期に同商館が市中から最大50万ギルダーを調達したとも記しており、借入の集計の対象・範囲が異なる可能性があり、両数値の関係は未解決です。↩
- Gelderblom & Jonker(2004)p.654 および脚注56(R2)。同論文は、「最古の株券」として知られる現存の紙片は最後の払込の領収証であり、株式そのものではないとしています。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1054(R1。「circulating capital, a revolving fund」)。研究者の解釈です。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1056 本文と表2(R1)。1609年の軍事費は Van Dam(1927)に基づく推計(約42万ギルダー)です。辞任は1603年がゼーラント、1605年がアムステルダムの取締役です。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1061 と脚注13(R1)。マテリーフの提案はオルデンバルネフェルト宛の1609年5月18日付の書簡などによります。ルメールの評価(「法的に筋の通った主張」)は同論文の評価です。ルメールのその後の株式の空売りは本稿では扱いません。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1061 と脚注14(R1)。決議は1610年8月30日(75%)、9月15日(50%)、9月16日(7.5%)、1612年3月(30%)。合計と金額は編集部の検算(125+7.5+30=162.5%、640万×1.625=1,040万ギルダー。100+10×6.25=162.5%とも一致)で、同論文の記述と整合します。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1062 の表3と脚注15(R1)。全社への当てはめは著者らの推計で、対象は1612年末までの現物配当です(編集部の検算:250万÷1,040万で、配当総額の約4分の1以下)。1613年11月に取締役は、それまでに現金で57.5%を払い、香辛料は一部の株主に少し渡しただけだと連邦議会に報告しています。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1064 と脚注19(R1)、Dari-Mattiacci ら(2017、WP p.23、R5)。後者は決定を1612年7月31日とし、株主の私権の明確な侵害と評しています(同WPの脚注35は日付を1610年と誤記しており、本稿は前者の「1612年7月」を採りました)。1612年の57.5%は10月31日の現金支払いの決議で、1610年の未払い分7.5%と50%の合計です(編集部の整理)。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1064(R1)。Dari-Mattiacci ら(WP p.24、R5)も、永続化が追加のエクイティ調達を事実上不可能にし、負債がその代わりになったと同趣旨を述べます。いずれも研究者の解釈です。↩
- ナショナル・アルヒーフ VOC 文書館目録の解説 p.26(R4)。1992年刊(版は2026年9月)の目録の解説で、二次的な整理です。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1063 と脚注17・18(R1)。著者らは2011年の論文(Gelderblom, de Jong & Jonker, “An Admiralty for Asia”、本稿では未読)の解釈を改めています。同論文は免責条項を「Clause 47」と呼びますが、本稿が読んだ英訳(R3)には条番号がなく、該当箇所の対応も確認できないため、条番号付きでは扱いません。Dari-Mattiacci ら(WP p.20、R5)も、取締役は賃金未払いを除き無限責任、受動的な投資家は有限責任と整理しています。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1069 と脚注33、図4(R1。17人会の決議録 NA 1.04.02 Inv. 100 に基づく著者の再構成)。1620年5月の債務のうち72%はアムステルダム商館の分です。倍率は編集部の計算(800万÷640万=1.25。いずれも概数で、債務は「超」の表現)。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1070–1071 と脚注35〜37(R1)。1622年の債券の切り替えについて、同論文はミッデルブルフ商館が「おそらく」先駆けたと慎重に書いています。1623年10月25日の決議は NA 1.04.02 Inv. 228 によります。法人格は同論文の推論で、明文の付与があったわけではありません。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1071–1072 と脚注38(R1。ホラント・ゼーラント最高裁 1621年12月22日の判決)、Gelderblom & Jonker(2004)p.655(R2。1612年1月に書記の名義書換の偽造が発覚した経緯)。判決が取締役を後押ししたという点は著者らの推測です。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1070(R1)。同論文は株主側に「より良い論拠と法」があったと評価しています(研究者の評価)。運動の詳細を扱う De Jongh(2011)は本稿では読んでいません。↩
- VOC特許状の英訳の通読(R3。総会・議決権の条項が見当たらないという不在の確認で、蘭語原文では確認していません)、ナショナル・アルヒーフ目録の解説 p.26, 32(R4)。主要出資者は、アムステルダム・ゼーラントで6,000ギルダー、小さな商館で3,000ギルダー以上の出資者で、3つの委員会が置かれました。目録は、アムステルダムでは主要出資者の出席が少なかったとも記しています。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1067(R1。「storm of violence」)。同論文は暴力の規模を数値で示していません。バンダ諸島の征服の犠牲者数などについて流布する数字は、本稿では一次史料や査読論文で確認していないため載せていません。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1072(R1)。同論文は、VOCの売上・投下資本利益率などの成績が先行会社と比べて低かったとも結論づけています(散在する帳簿からの推計)。↩
- Dari-Mattiacci, Gelderblom, Jonker & Perotti(2017, JLEO、R5)。本稿はワーキングペーパー版(要旨と §3.B.3–4, p.19–24)を読んでおり、刊行版の本文は確認していません。同論文の「最初」は「永続資本を持つ最初の事業会社」という限定付きの主張です。↩
- Gelderblom, de Jong & Jonker(2013)p.1051–1053, 1072(R1)、Dari-Mattiacci ら(2017、R5)。通説として紹介される見方は R1 の整理によります。↩
- 取締役の責任は脚注25、出資者の有限責任は Gelderblom ら(2013)p.1051(R1)と Dari-Mattiacci ら(WP p.20、R5)による(特許状の英訳に明文の条項は見当たりません)。財務文書の欠落はナショナル・アルヒーフ目録の解説 p.17–18(R4)、推計の方法は R1 p.1051–1052。英国東インド会社の1600年設立と、同社が同様の永続的な資本を得た時期(R1は1650年代、R5は1657年とする)は R1 p.1051, 1053 と R5 による。↩
参考文献(2 026年10月確認)
- R1 Oscar Gelderblom, Abe de Jong, Joost Jonker, “The Formative Years of the Modern Corporation: The Dutch East India Company VOC, 1602–1623,” The Journal of Economic History 73(4), 2013, pp.1050–1076(doi:10.1017/S0022050713000879。ユトレヒト大学リポジトリの公刊版) dspace.library.uu.nl (参照箇所:pp.1051–1072。脚注2〜7・13〜15・17〜29・31・32・34・35の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R2 Oscar Gelderblom, Joost Jonker, “Completing a Financial Revolution: The Finance of the Dutch East India Trade and the Rise of the Amsterdam Capital Market, 1595–1612,” The Journal of Economic History 64(3), 2004, pp.641–672(doi:10.1017/S002205070400292X。ユトレヒト大学リポジトリ) hdl.handle.net (参照箇所:pp.651–656、脚注44〜56。脚注1〜3・11〜13・15・16・28の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R3 Peter Reynders(訳), Rupert Gerritsen(編), A Translation of the Charter of the Dutch East India Company (VOC), granted by the States General of the United Netherlands, 20 March 1602, Australasian Hydrographic Society, 2009(特許状の英訳。条番号なし) dutchaustralianculturalcentre.com.au (参照箇所:全文。脚注3・5・6・8〜10・13・15・25・30の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R4 M.A.P. Meilink-Roelofsz, R. Raben, H. Spijkerman, Inventaris van het archief van de Verenigde Oost-Indische Compagnie (VOC), 1602–1795 (1811), Nationaal Archief, 1992(目録 1.04.02。2026年9月の版) nationaalarchief.nl (参照箇所:解説 pp.17–18, 26, 32、Inv. 7064–7067 の記載。脚注1・8・24・30・35の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R5 Giuseppe Dari-Mattiacci, Oscar Gelderblom, Joost Jonker, Enrico C. Perotti, “The Emergence of the Corporate Form,” Journal of Law, Economics, and Organization 33(2), 2017, pp.193–236(doi:10.1093/jleo/ewx002。参照はイェール大学ロースクール掲載のワーキングペーパー版) law.yale.edu (参照箇所:WP 要旨、pp.19–24。脚注22・23・25・33〜35の根拠。閲覧日:2026年10月)
- R6 W.Ph. Coolhaas, 「Nieuwe boeken」(J.G. van Dillen, Het oudste aandeelhoudersregister van de Kamer Amsterdam der Oost-Indische Compagnie, 1958 の書評), De Gids 122, 1959, p.221(DBNL) dbnl.org (参照箇所:p.221。脚注1の根拠。閲覧日:2026年10月)
※本記事は教育目的の一般的な解説であり、投資助言ではありません。本文中の設例は理解のための単純化した設例で、VOCの実際の数値ではありません。史料の金額は名目のギルダー額で、現在の金額への換算はしていません。VOCの財務記録は欠落が多く、一部の数字は研究者の推計です。特許状は2009年の英訳で確認しており、蘭語の原文や校訂版は確認していません。VOCの事業はアジアでの武力による支配と独占を伴っており、本稿はその側面を肯定するものではありません。アイキャッチ画像は生成AIで作成したイメージで、実在の場面や史料を再現したものではありません。