この記事で分かること
- EV/ARR倍率の定義と、EV/Sales倍率との違い
- なぜSaaS企業の評価でARRが好まれるのか
- 整数設例による両倍率の比較
- ARRの質(Net Revenue Retention等)が倍率に与える影響
30秒で分かる定義
EV/ARR倍率(EV to ARR Multiple、読み方:いーぶいえーあーるあーるばいりつ)とは、SaaS企業の年間経常収益(ARR:Annual Recurring Revenue)に対する企業価値(EV)の倍率で、契約ベースの継続収益だけを分母に置くことで、サブスクリプション型ビジネスの収益の質を反映しやすくした評価指標です。ARRはある時点の月次経常収益(MRR)を12倍して年換算した値で、決算期の実績売上高とは別に算出します。
なぜ実務で重要なのか
VC・グロースエクイティでは、SaaS企業の評価水準を測る最も一般的な指標としてEV/ARR倍率を使います。IB・エクイティリサーチでは、上場SaaS企業の決算開示にARRが明記されるようになり、EV/Sales倍率と並行して参照されます。PEがSaaS企業を買収する際も、ARRの継続性(解約率・アップセル)が投資判断の中心になるため、倍率の前提としてARRの中身を精査します。
計算式:ARRと総売上高の違い
決算上の総売上高には、初期導入費用・カスタマイズ開発費・コンサルティング収益など、契約更新のたびに発生するわけではない一時的な収益が含まれることがあります。ARRはこうした非経常項目を除いた「来期以降も続く見込みの収益」だけを対象にするため、EV/Salesより分母が小さくなり、倍率は高めに出るのが通常です。
整数設例で確認する
設例(架空数値、単位:百万円)。企業価値(EV)は24,000とします。
- ARR(月次経常収益×12):3,000
- 非経常収益(初期導入費用・カスタマイズ費用):1,000
- 決算上の総売上高:3,000+1,000=4,000
EV/ARR倍率 = 24,000 ÷ 3,000 = 8.0倍。一方、EV/Sales倍率 = 24,000 ÷ 4,000 = 6.0倍です。同じ企業価値でも、分母をARRだけに絞ると倍率が高く出ることが確認できます。この会社の非経常収益比率(1,000÷4,000=25%)が高いほど、両倍率の乖離は大きくなります。
投資判断への影響
EV/ARR倍率は「継続収益に対して市場がどれだけ評価しているか」を示しますが、ARRの質を見ずに倍率だけを比較すると誤った判断につながります。同じARR水準でも、解約率が低くアップセルで成長するARRと、営業コストをかけ続けないと維持できないARRでは、将来価値が大きく異なります。SaaS・スタートアップ指標の体系で扱うNet Revenue Retention(純収益維持率)やRule of 40と併せて評価するのが実務です。
財務モデル・Excelでの使い方
SaaS企業のCompsシートでは、EV・ARR・成長率・粗利率・Net Revenue Retentionを1行1社で並べます。
- ARRは開示された値をそのまま使うか、月次課金明細から
=SUMIF()等で積み上げて年換算する - EV/ARRとARR成長率を散布図にし、成長率あたりの倍率で相対評価する(高成長企業ほど倍率が高くなる傾向を可視化する)
- 非上場企業の資金調達ラウンドで参照する場合は、公開会社の倍率から非流動性ディスカウントを調整する
この用語をExcelで
ARRと非経常収益を切り分けたCompsシートを組み、SaaS企業の評価倍率を成長率つきで比較できるようになる。
実務家が確認するポイントとよくある誤解
誤解1:「EV/ARR倍率が高い会社ほど優良」→ 正しくは、成長率とNet Revenue Retentionを見ずに倍率だけを比較してはいけません。高成長期待が織り込まれているだけの場合もあります。
誤解2:「ARRは決算書に必ず開示されている」→ 正しくは、ARRは会計基準上の定義がない任意開示指標です。各社の算定方法(一時的な大口契約の扱い等)にばらつきがあるため、定義の確認が必須です。
日本実務での扱い
(2026年7月時点)ARRは日本の会計基準・IFRSいずれにも法定の定義がない任意開示指標であり、有価証券報告書では「経営指標」として企業が自主的に開示する形が一般的です。米国上場SaaS企業では四半期決算資料にARRの内訳(新規・アップセル・解約)まで開示する例が多い一方、日本企業のARR開示は総額表示にとどまることが多く、比較可能性の面で米国実務との差があります。日本のSaaS企業を評価する際は、開示の粒度が異なることを前提に、決算説明資料や有報の注記から非経常収益の有無を確認する作業が欠かせません。
面接・モデルテストで問われるポイント
Q:EV/ARR倍率とEV/Sales倍率はどちらを使うべきですか。
「SaaS企業のように収益の大半が継続課金であればEV/ARR倍率がより実態を反映します。ただし非経常収益の比率が高い会社ではEV/Salesとの乖離が大きくなるため、両方を算出して差の理由を説明できるようにしておくことが実務では重要です。」
深掘りでは「ARRの質をどう評価するか」「非上場企業の資金調達ラウンド倍率とどう比較するか」が問われます。
よくある質問(F AQ)
Q. MRRとARRの違いは何ですか?
A. MRR(月次経常収益)を12倍して年換算したものがARRです。月次の解約・新規契約の動きを追うにはMRR、年単位の評価水準を語るにはARRを使います。
Q. 非上場のSaaSスタートアップにもEV/ARR倍率は使えますか?
A. 使えますが、EVは資金調達時のポストマネー評価額から算定するなど、上場企業とは異なる情報源が必要になります。
出典・参考(2 026-07-25確認)
- EDINET(有価証券報告書) https://disclosure2.edinet-fsa.go.jp/
- 企業会計基準委員会「収益認識に関する会計基準」 https://www.asb.or.jp/
※本記事は教育目的の一般的な解説であり、法務・税務・投資助言ではありません。設例は理解のための架空数値です。