この記事で分かること
- M&Aモデル(マージャーモデル)の目的と、A/D分析の計算手順
- 対価(株式/現金)でEPSインパクトが逆転する設例(検証済み)
- 「Accretiveなら良い買収」ではない理由——分析の限界まで
手を動かして学ぶ:Excelでゼロから作るM&Aモデル
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M&Aモデルの目的
M&Aモデル(マージャーモデル)は、買い手と対象会社の財務を合算し、買収が買い手の1株当たり利益(EPS)に与える影響を測るモデルです。EPSが増えればAccretive(増益効果)、減ればDilutive(希薄化)と呼びます。
上場企業の取締役会・株主への説明では、このEPSインパクトが買収の「分かりやすい成績表」として使われます。DCFが「価値」を測るのに対し、A/Dは「会計上の見え方」を測る——この役割の違いが本記事の結論につながります。
計算手順:4ステップ
- ① 対価とファイナンスの決定:買収額をいくらで、株式・現金(借入)・混合のどれで払うか。
- ② 合算損益の作成:両社の純利益を合算し、取引の影響(追加利息、のれん等の償却、シナジー)を反映。
- ③ 新株式数の計算:株式対価なら発行新株を既存株数に加算。
- ④ 新EPSと変化率:合算純利益 ÷ 新株式数 を既存EPSと比較。
設例:対価でEPSインパクトが逆転する
買い手(純利益600・発行株数100・EPS 6.00・株価60)が、対象会社(純利益90)を1,200で買収する設例です(のれん償却なし・シナジーなしの前提。日本基準ではのれん償却が入る点に注意)。
| 項目 | 株式対価 | 現金対価(全額借入) |
|---|---|---|
| 取引の追加影響 | 新株 20株発行(1,200÷株価60) | 借入1,200・金利3%→税後利息 −25.2 |
| 合算純利益 | 690.0 | 664.8 |
| 株式数 | 120 | 100 |
| 新EPS(既存6.00比) | 5.75(−4.2%・Dilutive) | 6.65(+10.8%・Accretive) |
同じ会社を同じ値段で買っても、払い方だけでEPSインパクトの符号が逆転します。株式対価の損益分岐は「対象純利益 = 新株数 × 既存EPS = 20 × 6.00 = 120」。対象の利益90がこれに届かないため希薄化する——という構造まで言えると、計算の意味が説明できます。
実務での拡張:シナジーと償却
- シナジー:コスト削減・売上増を織り込むとEPSは改善します。「シナジー込みでようやくAccretive」の案件は、その実現可能性が審査の焦点になります。
- のれん・無形資産の償却:日本基準ではのれん償却がEPSを押し下げます。IFRSでは非償却(減損テスト)のため、基準によって見え方が変わる点は開示で必ず注記されます(のれんとPPAの詳説記事は準備中)。
- フットノート:A/Dの結果は前提(金利・株価・シナジー)に敏感なため、感応度つきで提示するのが作法です(感応度分析)。
限界:AccretiveでもValue Destructiveがあり得る
A/Dは会計上の見え方であり、価値創造の証明ではありません。低金利の現金で「割高な」買収をしてもEPSはAccretiveになり得ます。価値の検証はDCF・シナジーの現在価値・支払プレミアムの比較で別途行う——EPSと価値を混同しないことが、この分析を使いこなす最大のポイントです。
株式対価の実務:交換比率とコントリビューション分析
- 交換比率(Exchange Ratio)——株式対価の案件では「対象1株に買い手株を何株渡すか」で対価を表現します。設例:買い手株価15、対象1株への合意価値12ならER=0.80。固定比率なら受取株数は確定する代わり、クロージングまでに買い手株価が動けば対価の価値も動きます。固定価値(変動比率)はその逆。上下限を付けるカラーも使われます——どちらの株価変動リスクを誰が持つかの設計です。
- コントリビューション分析——統合会社への「貢献」と「持分」を突き合わせます。設例:買い手NI150・対象NI30(貢献16.7%)。ER0.80で新株20百万株なら対象株主の持分は20÷120=16.7%で貢献と一致(均衡)。もしER1.00(新株25)なら持分20.0%>貢献16.7%——対象側に有利な条件だと一目で分かります。株式対価の統合比率交渉の定番ツールです。
- ブレークイーブンシナジー——ER1.00の設例で買収前EPS1.50を維持するには統合NIが1.50×125=187.5必要。不足7.5を埋める税前シナジー=10(税率25%)。「この希薄化は年10のシナジーで中立化できる」と定量で語れます(実現可能性の検証はシナジーの定量化)。
買収会計・決算期ずれとの接続
- PPAとの接続——対価と時価純資産の差はのれん・無形資産へ配分され(のれんとPPA)、無形償却が合算PLに乗ります。資産のステップアップは将来の会計上の償却を増やす一方、税務簿価が変わらない場合は繰延税金負債(DTL)が立つ——「費用は増えるのに税金は減らない」ズレの正体です(繰延税金の直感)。精密なA/D分析はこの償却込みで行います。
- カレンダライゼーション(決算期ずれの調整)——12月期の買い手と3月期の対象を合算するとき、対象の数値を暦年に組み替えます。設例:3月期NI 100(当期)・140(翌期)なら暦年換算=100×3/12+140×9/12=130。期ずれを放置した合算EPSは、それだけで数%歪みます。
- 誰のための分析か——買い手側マンデートでは「いくらまで払えるか・EPSと信用力への影響」、売り手側では「この対価は十分か」の材料になります。同じモデルでも結論の書き方はクライアントの立場で変わります(売り手が提案を評価する軸)。
逆算ドリルと結合後の姿:面接の最終ラウンド水準
A/D判定と会計処理まで答えられたら、最後に来るのは逆算問題と結合後の姿の暗算です。2つのドリルで仕上げます。
ドリル1:金利が何%を超えると希薄化に転じるか。買い手の純利益200、対象の純利益60、買収対価1,000を全額借入で賄う(税率30%)。中立条件は「取り込む利益60=税引後の追加利息」なので、1,000×r×(1−30%)=60 → r≒8.6%。調達金利がこれを下回れば増益、上回れば希薄化——「増益か希薄化か」を暗記ではなく境界条件で答えられると、理解の深さが一気に伝わります(全額株式なら比較はP/E同士になり、境界は交換比率に現れる——交換比率の議論と同型です)。
ドリル2:100%株式対価の結合後EqV・EV・P/E。買い手:株式価値2,000(純利益100・P/E20倍)・ネットデット200。対象:株式価値600(純利益40・P/E15倍)・ネットデット100。プレミアム込み対価720を新株交付で支払う。
- 結合後の株式価値=買い手2,000+新株720=2,720(対象の旧株主が新株主になる)。
- 結合後EV=2,720+ネットデット合算300=3,020。検算:EV合算2,200+700に「プレミアム分120」を足しても3,020で一致——プレミアムはEVに乗るという理解の確認になる。
- 結合後P/E=2,720÷(100+40)≒19.4倍。20倍と15倍の間、買い手寄りに落ちる。「高倍率の会社が低倍率を買うと合成倍率は下がる=機械的にはEPS増益」という、A/D判定との整合も見えます。
- 深掘り「対価ミックスはどう決める?」——教科書的な優先順位は資金コストの安い順(手元現金→負債→株式)。ただし実務は、レバレッジ許容度(格付・コベナンツ)、株主の希薄化許容、対象株主の課税・継続保有意向、案件の確実性(スピード)で補正される。「安い順+4つの制約」で答える。
- 深掘り「EPSのA/Dが重要でないのはどんな時?」——買い手が非上場・PE傘下でEPSという物差し自体を使わない場合、赤字成長企業の買収でそもそもEPSが意味を持たない場合、戦略的必然性が支配的な場合。A/Dは価値創造の証明ではなく市場コミュニケーション上の制約、という一段上の整理まで言えると強い。
- よくある誤答——シナジー込みで「増益だから良い案件」。シナジーは実現コスト・時間差・競争相手の反応で目減りしやすく、モデルは楽観に傾きがち。シナジーなしでの姿を先に示すのが誠実な作法。
無料テンプレート:簡易3表連動モデル(Excel)
合算モデルの土台になる3表構造を確認できます。そのままダウンロードできます。
面接での問われ方
Q. Accretion/Dilution分析を説明してください。
A. 4ステップの手順→設例の逆転(株式−4.2%/現金+10.8%)→P/E比較の直感則、の順で答えると計算と意味の両方を示せます。
Q. EPSがAccretiveなら良い買収ですか?
A. いいえ。会計上の見え方と価値創造は別で、低金利下では割高買収でもAccretiveになり得ます。価値はDCFとプレミアム・シナジーの比較で検証します——が模範の骨子です。
まとめ
- A/D分析は「合算純利益÷新株式数」をEPSと比べるだけ。難所は前提の置き方。
- 対価の選択で符号が逆転する。P/E比較の直感則と損益分岐(新株×既存EPS)で説明できる。
- Accretive=良い買収ではない。価値の検証は別の道具(DCF)で行う。
近日公開:M&Aモデル 完全版(EX-MA)
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設例・出典について
本文の計算例は理解のための設例です(計算検証済み)。会計基準(のれん償却の取扱い等)の詳細に踏み込む際は、ASBJ・IFRSの一次情報を本欄に記載します。