この記事で分かること
- 株主借入金(役員借入金)の定義と、日本の中小企業に多い理由
- M&Aの譲渡価格算定でどう扱われるかを整数設例で確認する方法
- 返済・債権放棄・DES(デット・エクイティ・スワップ)の選択肢と税務論点
- SPA(契約)上の位置付けと日本実務での留意点(2026年8月時点)
30秒で分かる定義
株主借入金(Shareholder Loan、役員借入金)とは、株主(多くは代表取締役等のオーナー経営者)が会社に貸し付けた資金で、会社の貸借対照表上は負債(借入金)として計上されるものです。役員借入金・オーナー貸付金・代表者借入金とも呼ばれます。法的には金銭消費貸借契約に基づく通常の債務ですが、日本の中小企業では、資金繰りが厳しい局面でオーナー個人の資金を会社に投入する形で発生することが多く、増資(資本性資金の調達)の代わりに使われる、実務上は資本性に近い性質を持つ債務です。一方でM&A実務では、この「資本性に近い」という性質にかかわらず、原則として純有利子負債(ネットデット)の一部として調整対象になります。
なぜ実務で重要なのか
日本の中小企業M&Aでは、オーナー社長からの株主借入金がB/Sに計上されているケースが極めて多く、譲渡価格の算定・DD・SPA交渉のすべての段階で論点になります。M&A仲介・FAは、譲渡希望価格の提示段階で株主借入金をネットデットに含めるかどうかを整理し、売り手オーナーに説明します。財務DD担当者は、金銭消費貸借契約書の有無・残高・利息条件をチェックする立場です。買い手(事業会社・PEファンド)は、株主借入金の返済原資(クロージング時点の会社の現金で賄えるか)を資金計画に織り込みます。税理士・会計士は、債権放棄を伴う場合の債務免除益課税リスクを検討します。
仕組み:クロージング時の3つの選択肢
株主借入金には単一の計算式はなく、クロージング時にどう処理するかという「選択」が実務の中心です。
| 選択肢 | 内容 | 留意点 |
|---|---|---|
| ①ネットデット控除+返済 | 譲渡対価(株式価値)算定時にネットデットとして控除し、クロージング時に会社から返済 | 最も一般的。返済原資(会社の現金)の確認が必要 |
| ②債権放棄 | 売り手(株主)がクロージング前に貸付金を放棄 | 会社側に債務免除益(課税所得)が発生し得る |
| ③DES(デット・エクイティ・スワップ) | 借入金を株式に転換してから譲渡 | 税務上の時価評価・株式の帳簿価額に影響 |
整数設例で確認する
設例(架空数値、単位:百万円)。オーナー社長V氏が経営する中小企業D社を、cash-free debt-free基準で譲渡するケースです。D社のB/S(抜粋)は、現金5、銀行借入金30、V氏からの株主借入金20とします。
- EBITDA:15 / 適用倍率:5.0倍
- EV(事業価値)=15×5.0=75
- ネットデット=(銀行借入金30+株主借入金20)−現金5=45
- 株式価値(V氏が株式売却で受け取る対価)=75−45=30
ここで重要なのは、V氏が受け取る現金は株式売却代金30だけではないという点です。買収実行にあたり、買い手は通常、銀行借入金30と株主借入金20をあわせて返済(借換え・一括弁済)します。したがってV氏が最終的に受け取る現金は、株式売却代金30+株主借入金の返済20=合計50です。買い手側の総支出は、株式対価30+銀行借入金の返済30+株主借入金の返済20−既存の現金5(買収資金に充当)=75となり、EVの75と一致します(cash-free debt-free基準では、買い手の総支出は原則EVに一致するように設計されています)。
この設例が示す実務上の重要な点は、SPA上の「株式価値(譲渡対価)」の欄には30としか書かれないが、V氏の経済的な受取総額は50であるということです。株主借入金の扱いを正しく理解していないと、譲渡価格の交渉で誤解が生じます。
契約条項への影響
SPA(株式譲渡契約)では、「Debt-Like Items(デットライクアイテム)」の定義条項に株主借入金が明記されているかを必ず確認します。株主借入金がこの定義に含まれていない場合、譲渡対価から控除されずに買い手が二重に負担するリスク(対価は満額支払い、かつ借入金も別途返済)が生じます。また、価格調整・ロックドボックス方式を採用する案件では、基準日以降にオーナーが会社から追加で借入・返済を行っていないか(リーケージに該当しないか)も確認対象になります。返済のタイミング(クロージング当日か、その後の一定期間内か)や、返済原資が買収ファイナンスに含まれるかどうかも、契約交渉の実務的な論点です。
財務モデル・Excelでの使い方
ネットデット・スケジュールのタブに、株主借入金を独立した行として設けます。
- Debt-Likeフラグ:試算表から拾った各負債項目に「ネットデットに含めるか」のフラグ列を設け、判定根拠をコメントで残します。
- 関連当事者区分:短期・長期の残高を分け、関連当事者取引として別集計できるようにします。
- 返済原資チェック:クロージング時点の想定手元現金と、返済が必要な有利子負債合計(銀行借入金+株主借入金)を突き合わせるチェック行を設け、資金不足がないかを検証する仕組みです。
この用語をExcelで
株主借入金を含むネットデット・スケジュールから、EVと株式価値のブリッジを検算できるようになる。
実務家が確認するポイントとよくある誤解
- 誤解1「株主借入金は資本の一部だから譲渡対価に影響しない」→ 正しくは、会計上・法的には負債であり、通常はネットデットとして株式価値から控除されます。
- 誤解2「オーナーは貸付金を回収できない」→ 正しくは、通常はクロージング時に会社から返済されます。ただし返済原資・タイミングは交渉事項であり、資金繰りが厳しい会社では分割返済等の代替案が必要になることもあります。
- 誤解3「無利息・低利だから債務として重要ではない」→ 正しくは、無利息・低利でも法的には有効な金銭消費貸借契約に基づく債務であり、DDでは契約書の有無・残高確認が必須項目です。
- 確認ポイント:①SPAのDebt-Like Items定義に明記されているか、②正常運転資本の算定と混同していないか(株主借入金は通常運転資本ではなくネットデットの論点)、③債権放棄を行う場合の債務免除益課税リスクと繰越欠損金による相殺可否、④返済原資の十分性。
日本実務での扱い
(2026年8月時点)日本の中小企業のB/Sには、代表者からの借入金(役員借入金)が計上されているケースが非常に多く見られます。オーナーが正式な増資ではなく貸付という形を選ぶ背景には、①増資に伴う手続き・登録免許税等のコスト回避、②将来の返済・撤退の柔軟性の確保、③持株比率(資本政策)を変えたくない、といった事情があります。中小企業庁が推進する事業承継M&A支援の実務でも、後継者不在の中小企業の譲渡実行にあたり、株主借入金の整理(返済・放棄・DES)が前提条件として求められることが多く、非公開会社の買収特有の論点として扱われます。債権放棄を行う場合、会社側には債務免除益が発生し法人税の課税対象となりますが、繰越欠損金がある会社では相殺できる場合があります。株主借入金の残高・利率は、金融検査・税務調査の実務でも、実質的な資本性・回収可能性の観点から確認される項目です。
面接・モデルテストで問われるポイント
Q:中小企業M&Aで、対象会社のB/Sに役員借入金20百万円が計上されている場合、買収価格にどう影響しますか?
「役員借入金は通常、銀行借入金と同様に純有利子負債(ネットデット)として扱われ、事業価値(EV)から控除した後の金額が株式の譲渡対価になります。ただし、この借入金自体はクロージング時に会社から返済されるのが一般的なので、株主(オーナー)が最終的に受け取る現金は、株式の譲渡対価に借入金の返済額を加えた金額になります。SPA上のDebt-Like Itemsの定義に役員借入金が含まれているかを必ず確認する必要があります。」
深掘りでは「債権放棄とDES、どちらを選ぶべきか」「返済原資が不足する場合にどう対応するか」がテーマです。
よくある質問(F AQ)
Q. 株主借入金は必ず返済されますか?
A. 通常はクロージング時またはその直後に返済されますが、DDの結果や資金繰り、当事者間の交渉によっては、債権放棄やDESといった代替スキームが選ばれることもあります。
Q. 株主借入金に利息が付いている場合、価格算定にどう影響しますか?
A. 未払利息がある場合は元本とあわせて債務として評価します。また金利負担が重い場合は、将来キャッシュフロー予測にも影響するため、DCF法等の評価に反映する必要があります。
出典・参考(2 026-08確認)
- 中小企業庁「中小M&A推進計画」「中小企業M&A支援機関登録制度」関連情報 https://www.chusho.meti.go.jp/
- 国税庁 法人税関連情報(債務免除益の取扱い等) https://www.nta.go.jp/
- e-Gov法令検索「民法」(金銭消費貸借) https://elaws.e-gov.go.jp/
※本記事は教育目的の一般的な解説であり、法務・税務・投資助言ではありません。設例は理解のための架空数値です。